『斧と回遊魚』その②

 プレゼントといえばセンザンコウ君は、パウパウと名付けられて私達の寝室の、ベッドサイドに鎮座していた。

 それなりに迫力があり、たまにお姉が抱いて寝ているのがかわいい。その寝顔なんかを写真に取ったりして、そういう時プレゼントしてよかったとしみじみ思うのだ。

 完全に私利私欲だけれど。

 ニヤけそうな顔を取り繕っていると、作業が終わったらしい音夢に裾を引っ張られる。

 目線が合わないからか、最近そうやって話しかけられることが多かったりする。

 私としては大歓迎だ。

「珠火っ。卵の殻、全部取れたと思う。どうかな」

 促されてボウルを覗き込む。なるほど黄身と白身はもうぐちゃぐちゃに混ざっていたけれど、薄皮も殻も全部拾えたらしい。

「オーケー、じゃあ牛乳入れるから取ってほしい」

 今更ながら今夜のメニューはオムライス。よって卵はこれで全然問題ないだろう。

 ちなみに、にんじんの葉っぱは卵の部分に混ぜる算段だ。

「任せて」

「ありがと」

 意気込んで、てくてくと冷蔵庫へ歩いて牛乳を持ってくる。

 ちっさい手が掴んでいるそれを受け取って、卵のボウルに注ぐ。

 よく白魚に例えられるけれど、実際音夢のそれは血が通っているのか不安になる方向で白く、雪とかシラスとか、そういうイメージがある。

「大佐、次は何しましょうか」

「包丁……、そうだねせっかくだし包丁使おう。にんじんと、たまねぎと、あと鶏肉。切り方はこの際任せようかな。にんじんの葉っぱだけこっちに頂戴」

 お米は出来合いのを温めてもらうとして、お姉がチキンライスを作っている間に私は卵と、副菜などを作ることにしよう。

 冷やご飯を冷凍室から取り出して、電子レンジに放り込む。

 橙色の明かりが付いたのを見届けて、調理台に向き直ったところで、ちょうど音夢が裾を引いた。

「珠火、葉っぱ切ったよ」

「よしきた。これを刻んで、卵に混ぜまず」

「混ぜますか」

 とりあえず、一口サイズくらいにざくっと切っていく。 

 そうやって浸かっていると、包丁に描かれた鯨がまな板の上を泳いでいるようで面白い。

 二人前なので大した量でもなく、流れ作業で全部ボウルにぶち込んでかき混ぜていく。

「えいやっ、おりゃー。ーーよし」

 不安なのは音夢の方で、変な掛け声を上げながら人参を切っていて、そもそも包丁の使い方も危なっかしい。猫の手は必ずしも必須ではないのはそうだけど、あれでは親指を巻き込みそうだ。

 声を掛けようにも、それでよそ見したら本末転倒かもしれない。

「えと、音夢。順調かな」

 一応、確認しておく。

「大丈夫、切れてるから……えいっ」

 震える刃先を人参に当てて、一閃。

 やや斜め、歪にカットされたそれが、明後日の方向に勢い良く弾け飛ぶ。

 音夢は音に驚いたかやっちまったと思ったかフリーズしていて、それならと手を伸ばして取ろうとするがギリギリ届きそうにない。割と自慢の百六十五のタッパは、肝心なところでちょっと足りないらしい。

 音夢に言ったら怒るだろうけど。

「うぁんぷ!」

 思い切って飛び跳ねて、なんとかキャッチしてボウルに戻す。

 思い切り身体を動かしたのはなんだかんだ久しぶりだが、思ったより動けるものだ。

 一息付いて音夢の方を見ると、なーんか目線が泳いでいることに気がついた。顔は私の方を向いているのに目が合わない。

 当然まな板に向き合うわけでもなく、私の顔を見るでもなく。その先にあるのは。

「へぇ……そっか。昔みたいに触りっこする?」

 こんなんでいいなら、と自分の胸を触って見せる。

 小学生の時は何も考えず、ふざけて乳繰り合っていた訳で。

 抵抗がないわけじゃないけど別に、と言った感じだ。

 背とは違って胸は、変わらず音夢の方が大きかったりする。この前お風呂で鉢合わせした時に、割としっかり見てしまっていた。

 とはいえ、決してまな板ということはないのだが。

「ふぇっ、いや、ごめんっ」

 どこか冷めた調子だった私に対して、音夢は大慌てでなにやら弁明しようとしていた。

 その様子と言えば角砂糖を前にした蟻のようで、頼むから包丁を置いて欲しいと切に願う。

 ちょっとやり過ぎたかなと一人反省したのも束の間、「ぎゃあ」という音夢の、情けない悲鳴がキッチンに響いた。

 次の瞬間がしゃんと音を立てて、包丁がシンクに落ちる。

「音夢大丈夫っ」

 指を切ってしまったらしい。

 流水で洗って、消毒は確か要らなくて、あとは。

 白化する脳を無理やり回して、今できることを探す。

 兎にも角にも音夢に駆け寄って、反射的に左手の傷を抑えて丸まった音夢の背中を支える。  指を伝ってぽとぽと溢れた雫の、赤い染みが白い大理石に広がっていく。

「珠火ぁ、指、切っちゃって。血、いっぱい出てて、それで。ーー痛いっ」

 びっくりして、麻痺していた痛みが遅れて伝わったらしい。

 傷を見ないほうがいい、と囁くけれど時既に遅く。

 咳き込んだり、つっかえるような荒い息が小さい体を揺らして、私の胸に顔を埋めてもがいている。深呼吸しようとしているみたいだけれど上手く吸えていない。

 元々、過呼吸の症状はたまに出ていたが、特に血を見るのが駄目だった。

 背中をとんとんして、「吸って、吐いて、吸って…‥」と誘導する。

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