斧と回遊魚

『斧と回遊魚』その①

 引っ越し初日の夜に音夢と決めた当番表に従えば、夕飯担当は私ということだった。

 空のカゴを乗せたカートを押して、鮮魚コーナーを進む。

 ホームセンターとかと併設してるこじんまりとした店だったが一通りの物は揃い、なんだかんだお世話になっていた。

「なんなら音夢、喜んでくれるかね」

 生活時間の問題で朝ご飯は別だ。

 それにお昼ご飯の時間は私はキャンパスに居るため各々で食べることになるのだが、「せっかく二人で住むんだしさ。夜ご飯は一緒に食べよう、ぜ?」と無理におどけた音夢の可愛い提案によって、夜は食卓を囲もうという事になった。

 しかし、当然音夢は料理なんて出来るはずもない。

 意外に得意だった掃除とトレードオフという形で私は夕飯を作ったり、時間が余ったら音夢の朝ご飯用にお惣菜を作ったりする担当に決まった。

 それが三日前の事で、早くもメニューに行き詰まる。

「パスタは今日学食で食べたし、カレーは昨日作ってまだ残ってるか。卵も余っているはず。期限はもうちょっと先だけど……」

 なんでもその道で名のしれたシェフにレシピを提供されたとかで、新メニューのイワシのパスタは絶品だった。

 流石に今日というわけにはいかないけれど、今度真似して作ってみても良さそう。

 とりあえず、お姉が好きだったはずのシシャモはカゴに入れた。

 最悪これと、カレーを温めてあとはインスタントのお味噌汁としようか。

 とはいえ、どうせ音夢は毎食カップ麺とかそういうので済ませているのだろう。

 美味しいし、私も教授もお世話になっているので悪くは言えないが身体にいいというわけではない。

 せっかくなら、手料理を食べてほしかった。

 それで笑ってくれると嬉しい。

 音夢は可愛いのだが、最近は特にご飯を食べているときが可愛いと思う。

 この間、ハンバーガーを食べていた時のことを思い出す。

 両手でバンズを握って、小さな口でちょっとずつ齧っていく。 

 トマトの汁が溢れてパティがはみ出て。そういう不器用な音夢というのは新鮮で眺めていて飽きない。

 私は小学生の頃、ウジウジしていた私を救い出してくれたお姉ちゃんが大好きで、それは今も変わらない。

 だけど今の、私を見上げる音夢の、一生懸命な視線に焦がれてもいいのかも知れなかった。

「そうだ」

 トマトとか買ってタコライスはどうだろうか。

 野菜売り場の方に戻る。

 小走りでカートを押してゆくと、半端に詰まったカゴの中身が揺れてゴソゴソと音を立てる。

 空いていたのでドリフトしたり、ちょっと回してみたりなどで遊んでいると売り場に付いた。

 私も音夢に当てられて、童心に帰りすぎているのかもしれない。

 山積みになっていたトマトから、良さげなものを何個か選んで袋に詰める。

 あとはレタスとかそんなんだったかと野菜の中を彷徨っていると、奇妙なものが目についた。

「葉付きにんじん、か。面白い」

 綺麗な橙色のにんじんから、繊細な印象を与える葉っぱが伸びていた。意外と長く、可食部かはともかくいわゆる本体の倍くらいはある。

 手描きと思しきPOPには簡単な調理法が描いてあって、そこそこ簡単に食べられるものらしい。

「そういえば音夢も、料理覚えたいとか言っていたな」

 ふと思い出して呟く。POPに描いてあるマスコットの女の子が少し似ていたからだろうか。

 これなら練習になるんじゃないだろうか。

「今夜はこれでいこう」

 決めて、カゴに入れる。

 とりあえず、二人分だし余分に三本で十分なはずだ。

 あとは、保険としてカップ麺も買っていくことにでもしよう。

 カートの車輪が、軽くなった気がした。



 傲慢というわけではないのだが、手先の器用さと料理の上手い下手は比例するという信仰があったことは否定できない。

 考えてみれば音夢は育成対戦ゲームとかは好きだったのに自分の成長期は育成出来なかったみたいなので、予想できたことかもしれないけど。

 卵を割ろうとして、机の角じゃなくて平面を使ってヒビを入れたときはとても期待したのだけれど、その後。

 親指をねじ込んでひっくり返して、それで広げて中身を出すあたりで力みすぎていているのだろう。

 ぐちゃぐちゃになった殻が黄身の膜を突き破って、ぼとぼと自壊しボウルに落ちる。

 多分音夢は女の子を抱くの苦手なんだろうと、少々卑猥な妄想が脳裏をよぎった。

 私も別に、優午に誘われて何回かくらいで特別経験が豊富なわけでもないのだが。

 食欲が溢れる場所で性欲を連想すると、どうにも居心地が悪い。

 初めて靴下を履いて布団に入ったときを思い出した。

「じゃあそのうち慣れるか」

 そういう問題でもないと思う。

「珠火、どうかした?」

 よこしまな私の横で、音夢は健気に箸で殻を取り除いていた。

 上手く取れるたび「やったあ」とか「みて珠火」とか喜んでいて、いっそ清々しいくらいの罪悪感に苛まれる。

「そういえばお箸、使わないの。私が選んだやつ」

 今音夢が握っているのはシンプルな黒い箸で、使い込んでいるらしくところどころ塗装が剥げていたり、欠けている。

 食器棚にはキャラクターがプリントされた、昔使ってたやつも手前に居る。

 服もそんな感じで昔を部屋着にしているし。

 適当なのか、執着が強いのか。

 同じ過去の思い出に属するであろう私の立場からすると、どちらかと言えば後者であってほしかった。

 惰性で続く関係は、自覚すると虚しい。

「ええと、あれは思い出だから。大事に取ってあるよ」

 使ってもらうつもりだったのだけれど、それが音夢なりの……愛、とかの形なのかもしれない。

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