『H-IIBの祈り・墜落衛星』その⑥
レジの横に居座っている、巨大なセンザンコウのぬいぐるみと目が合う。
細身のアルマジロのような生き物で、トゲトゲの鱗で覆われた身体を丸めて身を守るのだ。
例に漏れずデフォルメされているのだが、抑えるところはリアルで好みのデザインである。
「じゃ、またね珠火ちゃんっ。また遊びに行こう」
「すけすけの件はごめんね。今度着てあげるから」
「やった」
お会計の間、何やら聞こえてくる不健全な会話に参加する勇気はない。
結局全部買うことになって、お洋服たちを詰め込んだ箔押しの紙袋を珠火から受け取る。
「お、ありがと音夢」
焼け石に水だろうがかっこいいところを見せなくては。
指先にずっしりと重さが掛かる。
物理的なもの以上に、服に内包された恥ずかしい記憶がヘビーだ。
「ごめん珠火、ちょっと疲れたから……。休憩してくる」
「えっ、うん。オーケー、ちょっと見たいのあるから後で合流しよう」
申し出ると、珠火は不意を突かれたような顔で承る。
楽しい時間を中断したくはなかったのだが、まあ疲れたのは半分くらい誰かさんのせいなのでわかってくれると思う。
店を後にして、さっき見かけた噴水へ向かう。確かそれを囲むようにベンチがあったはずだ。
包丁は悩んだ末、シャチの柄のにした。
昔本物を水族館で見たことがあるが、印象とは裏腹に可愛らしい顔をしているのだ。
数分も歩けば噴水が見えてきた。
円形に配置されているベンチの一つに紙袋を置く。
服を濡らさない程度に降り注ぐ泡沫が涼しげだ。
「綺麗なもんだ」
すっかり傾いた太陽が、それに反射して輝く。
ゆっくりと、確実に沈んでいく太陽が一日の終わりを暗示する。
思い返せば、夢のような一日だった。
魔法に掛かったような潮流に流され、溺れかけて。
灰色を塗りつぶすには十分なほど鮮やかな陽光が私を翻弄する。
素直に、心情だけを吐露するのであればとても楽しかった。
普段行かないようなお店に行って。
普段はしないような格好をして。
そうやって変化した一日は楽しいのだ。
「楽しかったんだよな。うん、楽しかったのだが……」
心は間違いなく喜んでいて、しかし拭いきれない違和感。
言い聞かせるように楽しかったと思うほどにそれはチクチクと思考を指してきて、ふと気を抜けば、カサブタを強くひっかきすぎたような感覚が流れる。
正式名称はわからないけれど、この感情はきっと。
「これは、曖昧にしてはいけないんだろうねぇ」
愛情か、寂寞か。はたまた郷愁、なのか。
大好きな妹と、デートなんてしておいて何を望んでいるのか。
「ふんぬーっ」
痺れそうな脚を労って、軽くストレッチ。背骨と、肘とか膝からパリパリと不健康な音がした。
ふっ、と力が抜けて、そのままベンチに腰掛ける。
さらに瞼を下ろすと、なかなかリラックスできた。
珠火のことを考えていると、自然、一緒に居た昔の頃の記憶が蘇る。
珠火は引っ込み思案だった。
石とか虫とか、リボンとかシールとかそういうのを集めるのが好きな子供で。
なんでもやりたがった私に、怯えながらついて回っては一人、たまに二人の世界に入り込む。
手渡される変わった形の石が、その世界への切符代わりだったのをよく覚えている。
その関係性は私が六年生になるまで、つまり、文化祭で緊張した私が珠火の前で吐いてしまい、失望を恐れた私が逃げ出すまで続いたのだ。
そしてその妹は、何年も自分を放置し続けた姉に笑顔を向けてデートしてくれる。
「私は本当に無責任な姉だよ」
それを自覚すると自分が、とても小さくなったような気がした。
最愛の妹に吐き出したのは、消化不良の夕飯と胃酸と、そして劣等感にまみれた私の意地汚い本性だったのだろう。
嫌うことは出来なかった。こんなんでも、珠火は好きで居てくれるから。
でもなにも変わらず、いやむしろ墜落していった私は、重力を振り切るように軽やかに歩く珠火を見上げる事しか出来なかったのだ。
「このままじゃ、いやだ」
すごくいやだ。
口に出して、ようやく気が付く。
私は珠火と対等で居たかった。
振り回されるのも楽しいけれど、同じくらい珠火を振り回したい。
笑われるんじゃなくて笑わせたい。一緒に笑って欲しい。
「焦燥」
それが私を、ちりちりと内部から焦がす。
まだ飛べるんじゃないかと精神に問う。幽霊のように身体を震わせる、恐怖を除いた。
ころころと転がって、苔むさずしかし蝕まれていた私でも、崖じゃないかもしれない道が見えたなら、そこへ向かいたい。
その祈りは、きっと身に余るほど傲慢なのだろう。
でも届かせなきゃいけない。
アンコントロールな感情に身を任せて、立ち上がる。
まだ斜陽が差していた。
携帯電話で今朝交換したばかりの珠火の番号をコールして、数秒。
「珠火っ、待たせてごめん。今からそこ行く!」
「えっなにどうしたの音夢。ええと、二階の本屋さんに居るよ。お茶買い終わって」
確かそこの階段ですぐだったはずだ。
携帯電話を切り、左腕で紙袋を抱きしめる。
駆け上がって、珠火の元へ向かった。
「おーい、こっちこっち」
二階に上がると、道から逸れた柱の辺りで珠火が手を振って私を呼んでいた。
「珠火っ」
胸に飛び込む、とは行かないけれど、それくらいの気持ちで歩み寄る。
「どうしたどうした。よしよし」
自然な流れで、頭を撫でられてしまう。快感には抗えずひとしきり撫でられて、両腕になろうというところでなんとか首を振って離れた。
「あ、あのさ。珠火。今日はとっても、とっても楽しかったよ」
突然どうしたのか、と珠火はぽかんとしている。
構わず続けた。
「でも私は珠火に引っ張られてばかりだったから次は私が珠火のこと楽しませる私これでもお姉ちゃんだからぁ」
一息で全て溢れ出た。
舌が回りきらず、裏返る。
それでも珠火は聞き取ってくれたみたいで、「楽しみにしてる、ありがと」と。
破顔してくれた。
「私からも、良いかな?」
その顔を見つめていると呼吸も整ってきて、軽く上下する視界の中で珠火がそう言ってカバンから大きめの包みを取り出す。
パステルカラーのユニコーンと海洋生物の柄の袋、凝った結び方の真紅のリボン。
そして、それに引っかかっているメッセージカード。
「ハッピーバースデー、お姉ちゃん」
私への誕生日プレゼントだった。
あの感情の焦燥とは違う部分。何も無いだろう期待するだけ無駄と封じていたのだろう。
受け取って、確かに今日が誕生日だったと思い出す。
「これっ、中身は」
「ぬいぐるみ。迷ったけど、音夢が欲しそうにしてたから、センザンコウ。本当は私が「ちょっと見てからいくから、先休憩してて」とか言い出せばいいかなぁと思っていたのだけれど。思わぬ誤算だったかな」
珠火がくれたものは、やっぱりちっぽけな私にはずっしりと重たい。
けどそれがどうしようもなく、どうしようもなく嬉しいのだ。
幸せが心臓から打ち上がって、脳みそをずたずたにして飛んでいく。
塞がった両の手の代わりに、倒れ込むように頬で珠火の身体に触れてそれを伝えた。
「音夢、心臓バクバクだね」
それはきっと、珠火もだと思う。
区別は出来なかった。
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