『H-IIBの祈り・墜落衛星』その⑤

「……ごめん優午、これは私のだわ」

 優午さんを残して、カメラを受け取った珠火がカーテンを閉める。

 二人だけの空間に響く心音は、どちらのものなのか分からなかった。

 頬と、二の腕の内側辺りが熱くなって、どくどく血が巡るのを感じる。

 身じろぎするたび、揺れたレースが肌を撫でる。私の裸が、頼りない半透明の布でしか守られていないことを自覚して、どうにかなってしまいそうだ。

 涙腺から、涙ではなく火が出るようだった。

「いいじゃんいいじゃん、音夢ちゃんかわいいよ」

「その呼び方はやめろぉ」

 硬直する私の背中に柔らかいものが触れた。

 あくまでも嫌がる私を、珠火は後ろから、宥めるように抱きかかえてきた。

 振り向いて前を隠そうにもこの服は後ろだって無防備で。

 珠火の胸にすっぽり収まった私はもう逃げられない。

「写真取ろう、笑って」

 私の手足に自分のそれを絡ませて、縮こまろうとする私を無理やり広げる。

 昨日なぜか気分が乗って塗ってみた紫のペディキュア。骨ばった膝小僧。ふとももの、産毛。昨日ぶつけて出来た右手の傷。肉がついたと言うより、腹筋の不足に起因するお腹の膨らみ。平らな胸。枝毛と寝癖のせいで少しボサボサな髪。

 そういうものが、全部珠火に丸見えになっている。

 鏡に映る私がじっと、こっちを見た。

 珠火にとっては、私はぬいぐるみとか、お人形みたいな感覚なのだろう。

 そう思うとまあ。

 受け入れられなくもなかった。

「音夢ほら、笑顔」

 逆向きに持ったカメラを構えて、耳元で珠火が囁く。

 自然、口元が緩んだ。



「さてこれでパジャマもオーケー、次は……。音夢の家って包丁あるかな」

 撮影会も一段落して、やっぱり全部買おうということになり、がさばるので取り置きしておいてもらうことになった。

 優午さんは、「工房で作業するから下がってるね」とのこと。

 私はまあ、さっきのはまだおふざけ範疇だと思っているのだが、間に入りづらいイチャイチャした空気になっていたのかも知れない。

 気持ちと、頬の緩みはなんとなく自覚していた。

「ごめん、ない。というか調理器具とか揃ってないや」

 料理が特別嫌いという訳でもないし、適当に切ったり焼いたりと実験みたいなことをしているのは楽しいと思うこともある。

 でも毎日そんなことをするわけでもないし、だったら私が作るよりも誰かが作ってくれたものを食べたほうが楽しい。

 だから、買ってきたものを家で食べるか、外でご飯を買って食べるかのどちらかしかやってこなかったのだ。

「ていうか珠火さ、お箸とか、お茶碗とかも買わなきゃだよね。そういうの売ってるお店にいこう」

 引っ越しというわけでもないから、食器は持ってきていないらしい。

 窓ガラスからふと見下ろす吹き抜けの広場では、傾いてきた日差しを浴びた噴水が居心地悪そうにしていた。

「音夢、こっちこっち」

 服のコーナーの奥は食器とか、調理器具とかのコーナーになっていて、やはりどうしても手狭だったが色鮮やかな商品が詰め込まれている。 

 ちらし寿司とか……もっとおしゃれに例えるなら宝石箱と形容したほうがいいだろうか。

「私もお箸そろそろ買い替えどきだし、選びっこしない?」

「いいね」

 じゃあ早速、と箸のコーナーを覗く。

 通販を乱用する生活を送っていたので、何気に箸を実際に選ぶのは初めてだったりした。

「なんかあれだね、鉛筆売り場みたい」

「まあ、気持ちはわかる」

 もしくは、ボールペンでもいいのだけれど。

 ともかく色とりどりの箸が並んでいて、お花の模様入りだったり左右合わせると柄が完成する仕掛け付きだったりとなかなか面白い。

「そうだね……珠火にはこれだと思う」

 数分悩んで、似合いそうだと三毛猫が遊んでいる絵柄のものを選んだ。珠火の髪と同じ感じの暖色系が背景だったからというのもある。

「おっ、いいね。可愛い」

 反応は芳しい。喜んでくれているようで、素直に嬉しかった。

「じゃあ、私はこれにしてみよう」

 珠火が選んでくれたのは、宇宙探査機とロケットの柄の左右ペア。綺麗な深い青と紫のグラデーションで、金色の輪郭で表された人工物たちが、雲母の星の隙間を浮遊している。

 とても綺麗だった。

 なんでも原案を考えたのは珠火らしくて、それを優午さんが商品にしたらしい。

「音夢、昔からこういうの好きだったなと思って。向こうに、オリオン座のお皿もあったよ」

「珠火ありがと。大好き」

 せっかくだけど、この箸は使わずに大事に保管しておこうと思った。

 数十分ほど物色して、いろんな星座のお皿、おそろいのマグや海洋生物がプリントされたカトラリーセットなんかを二人で選んだ。

「さてと、大体こんなかんじだろうか」

「包丁は?」

 そうだった。

 そのカトラリーと同じシリーズの、鯨の絵が掘られた包丁を手に取る。

 カッターとかハサミとか、刃物特有の鈍い重みと輝きは昔から好きだった。

「あのさ珠火」

「なにかな音夢」

 ふとした思いつきを、口にしてみる。

「私も包丁買ってみようかな」

「二つもいらないのでは……」

 私も、正直そう思うけど。

 ただの気まぐれかも知れないけれど、せっかく新しい生活が始まるのなら何かに手を出してみるのも悪くないとも思うのだ。

 そういうことをたどたどしく溢して、珠火に伝えた。

「まあ、そういうことなら教えるよ。ーーそっか、それなら二つ必要か」

「ありがとっ、珠火ちゃん」

 鯨とペアにするなら、どんなのがいいだろうか。

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