Ignight

『Ignight』その①

 なんだか、お姉の距離が近い。

 私のすぐ右をハイヒールを履いてきているから目線が近いというのもあるのだろうが、開き直ってずっと手を繋いでいるというのもあるのだろうが。

 なんでだろうなとお姉の方を見てみると、すぐさま笑顔を返される。

 あんなことがあったからか少しぎこちない。握り返す手が窮屈そうなのは、身長差以上にそれがありそうだ。

 背伸びをしているのも、それはそれで可愛らしいのだが。

 かくいう私も、勢いで抱き上げたお姉の感触が腕に残っておちつかない。

 寒風が吹き付ける中、あたっていた部分と頬だけが不自然に熱い気がする。

 氷でできたように冷たい足元とは大違いだった。

 すこぶる冷たいというわけではないけれど、氷に触れているより氷でできている方がまだ暖かい感じがする。感覚が鈍っている感じ。

「よ、よく目が合うねっ」

 その通りで、この桟橋が長いということを考慮しても、三回も四回もこんなことを繰り返している。

 ふむ。

 もしかしてお姉、ずっと私のことを見てるんじゃないだろうか。

 そう思ってマフラーで膨らんだ髪の隙間から、横目でお姉を覗く。

 ふぅ、と洩らした息が白く染まった。

 案の定というべきか、いっそ清々しいくらいにその瞳は私を捉えていて、前方不注意を指摘することさえ躊躇う。そんな威圧感のようなものがあった。

 不思議と背筋が伸びる。凍るの間違いかもしれない。

 とはいえ放置するわけにも行かず、素知らぬ顔で左上を見つめて、「お姉、ちゃんと前見ないと危ないよ」

 警告を入れる。

「ふぇっ、えっと、これはちがくえ」

 舌が回りきらないまま両手を雑に降って弁明する。足元が覚束なくて危なっかしかった。

 そこから、「そろそろ付いたんじゃないか」を五回ほど繰り返して、ようやく目的の公園が見えてくる。

 厳密には、まだ控えめなイルミネーションの灯りと、大道芸人のアコースティックギターの音がそれを知らせる。シーズンに合わせて、陽気に愛を歌うそれを聞きながらスロープを降った。

 その先はもうイルミネーションの会場で、薄暗い公園の中に様々な色に発光する、きのこのようなモニュメントが林立している。

 近づいてみてみると、どうやら椅子としても使えるらしい。

 その中の一つの、メルヘンな意匠が施されたベンチ型のものに腰掛ける。

 お姉はというと「おぉお」とか「うわぁ」などと零しながら写真を取ったり、ぺたぺた触ったりなどしている。

「なるほど確かに、こういうのはお姉が好きなやつだ」

「う、うん。ここのデザイナーさんが好きでね、それを知ってる知り合いが、教えてくれて。向こうのエリアは整理券、必要なんだけど。優待券貰ったんだ」

 それはそれは。

 ふふん、となぜか得意げに券を二枚取り出して見せてくれた。

 お姉がこういうのに詳しいイメージはなかったけれど、そういうことだったか。

 公園自体は相当広く、どこから資金を集めたのかその全体が会場になっている。

 事前に調べた感じだと真ん中の方でプロジェクションマッピングの展示があって、その周りをタイアップしているいろんなアーティストの作品が囲う形になっているらしい。

 今座ってる椅子は、美大生の個人制作のクローンなんだとか。

 本当に日が落ちるのが速くなったが、それでも水平線の方から刺す太陽光のお陰で、空は幽かな紫色に光っている。

「珠火ちゃん、イルミネーションの写真、撮るねっ」

 怪しい手付きで携帯電話を取り出して、レンズをこちらに向ける。

「い、いぇーい」

「いぇーい?」

 ぎこちなく繰り出された掛け声に、反射的にピースサインをしていた。

 なにも私ごと取らなくてもいいと思うのだけれど。

 撮影された、不格好なポーズの私に照準があってしまって肝心のイルミネーションがぼやけている写真をみてそう思う。

 そういえば、お姉は昔から機械には強くなかった。

「ニ枚目、取ろうかな」

 携帯電話を傾けて、画面とにらめっこしながら何歩か後ろに下がっていく。

 映る限り全部を撮影しようという魂胆なのだろうか。

 前方どころか後方にも不注意で、危なっかしいなと見ていれば突然。

「うわっ」、と。

 脚を滑らせたらしい。

 自分でも意外なほど身体が素早く反応して、お姉の手を掴む。

 抱きとめようと引っ張ったが力みすぎて、ぼんと弾かれるように私の方が尻もちをついた。

 幸い身構えていたから、片手が塞がってるとは言え受け身は取れたし、お姉も怪我がなさそうで安心である。

 ひっくり返った拍子にバッグの中身がぐちゃぐちゃになったのが少し嫌だろうか。

「ごめん、ね。珠火ちゃん……、私っ、あんまりカメラ、得意じゃなくて」

「この場合、問題なのはね周りを見てなかったことだよ。得意とかじゃなくてお姉は」

 何もしないで。

 そう、いいかけた口を紡ぐ。綻ばないように、絆して、両の手で抑えた。

 言いたいことは伝えたいことは、そんなんじゃ。

「ほんとに、ごめんね珠火ちゃん。ほ、ほんとはさ、今日だって私は脚を引っ張ってばっかりで、珠火ちゃんが楽しむだけなら居ないほうが……良かったんじゃないかなって。珠火ちゃんはすごいよ、私ができないことなんでもできちゃって。で、でもっ。私はあんまりそういうの、だめで。それでーー」

 噤んだ私にお姉が駆け寄って、両手を握って謝った。

「やめてよ、そんな……」

 違う。

 そういうことではないのだ。

 これはいわば私の、お姉へのコンプレックスとでも言うべきことで。

 私はお姉が好きで心配なだけだ。

「お姉は、一人でこれ楽しみなよ。ごめん、私は帰る」

 どうしていいか、わからなかった。

 それでもお姉を傷つけたくないというのは本心で、拗らせてると自覚してはいるがこれしか思いつかなかった。

「珠火ちゃん、待ってーー」

 バッグを握り直して、夜の公園を駆け出す。脚の向く先はぐちゃぐちゃで、何を目指しているのかといえばそれもわからない。

 とりあえず明るい方を目指していた。

 これが前進なんかではなく情けない逃避行だとわかっていても、それに身体は追いついてくれない。

 お姉の声が聞こえなくなる。

 控えめに言って、最低な気分だ。

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