『Not ice me』その③

「お姉軽いから枝折れなくて済みそうだね」

 そういう珠火ちゃんは枝を気にしてか腕を抱いて立っていた。

 私だけ楽をするのもなんか罪悪感があるな。

「上、乗る?」

「はい?」

「その、私が支えるから、よかったら寄りかかってよ」

 我ながら変な提案だとは思ったが、珠火ちゃんはしばし逡巡したのち「じゃあ」、と私に身体を預けた。

 決して重たいわけではないと明言するが、それでも万全を期して足を前後に開いて、腰に手を回して安定させた。

 二人で密着していても、市井の風はそれなりに冷たかった。

 頭上を走るロープウェイの反射光が眩しい。

 そんなことをして数分、目的のバスが到着する。

 動物園から直通で往復しているもので、可愛らしい黄色の車体には動物のイラストがラッピングされている。

 キリンはどこだろうと探したが、居ないらしい。

 残念。

 小銭の計算に手間取ったりしたりしたが無事に乗り込み席に座る。

 ところで直通便なのに違う動物園の広告があるのは良いのだろうか。

 今日行く所のそれは、アリクイの写真が使われていた。

 かわいい。

「私タイヤの上の席って、ちょっと好きなんだよね」

 後輪のスペースを確保するために床が盛り上がっているところに足を乗せて、珠火ちゃんはぐっーと腕を伸ばした。

「揺れる時はそこ、凄い揺れるよね。酔っちゃいそう」

 私は一番奥の、五人がけの席が好きだ。だけど、そこに珠火ちゃんは座らないらしい。

 だったら。吐き気の一つや二つーー。

「ちょっと詰めて、私も座る」

「お姉の大きさならむしろ寄せても座れそうだけどね」

 そういいつつ鞄を膝に乗せて私に手招きする。リュックサックを間に置いて、隣の席に腰掛けた。

 なんというか、今更ながら密着するのが小っ恥ずかしかったのだ。

 そんな私の葛藤を知ってか知らずか、珠火ちゃんは楽しげに体を左右に揺らして遊んでいる。

「あのさ痛っ」

 なにか話題を振ろうと口を開いたのと、バスが発進して跳ねたのが同時だった。


 

 イメージしていたよりもだいぶハニカムな形をしていた図書館の前を通り過ぎると、バスの絵柄と同じ、動物たちの描かれたパネルが見えてくる。そこから少し進むと、バスが停車する。

 バスから降りる時珠火ちゃんに言われて気がついたが、黄色地に茶色の模様というこれ自体がキリンモチーフらしい。道理で探しても見当たらないはずである。灯台下暗しというか、木を隠すなら森の中というか。 

「そういえば珠火ちゃん。灯台下暗しの灯台は港のじゃなくて照明器具の方なんだよ」

「あれでしょ、江戸時代にクジラの油とかで」

「魚の油より匂いが無いらしい」

「そうだ珠火ちゃん。ソフトクリーム、売ってたら買おう」

「いいね、前来たときも食べたっけ。だいぶ前だけど」

「珠火ちゃんが小学校の時、だったと思う」

 その時私は中学生だったとはいえ、二人だけで遊びに来たの随分アグレッシブだぞ私。

 その頃並の根性を、出せると良いのだけれど。

 動物園の入り口はすぐそこだけれど、横断歩道が無いのでまどろっこしいけど歩道橋を渡る。隙を見て? 車道を通っちゃうのも手ではあるけど、ここは安全に。

 パステルグリーンの歩道橋は建て付けが悪くなっていて、歩いていて少し不安だ。

 珠火ちゃんはどうだろうと見てみると、何を思ったか私に笑いかけてくれた。

 は? だいすき。

 ふと橋の上から来た道を振り返ると下までずっと、見えないところまで坂道が続いている。

 これを登りきれる自信は毛頭なく、徒歩でGoを選ばなかったのは正解だろう。

 冬の乾いた風に吹かれながら橋を進み、到着。

 無料で開放されている動物園なので特にゲートといったものもなく、

 ここに来たのも小学生の時以来だが、ライオンの形をした募金箱も植木のモニュメントと花壇もそして入り口に待ち構えるソフトクリームの誘惑も、割りと記憶のままの景色である。

 ついでに視点も変わってないのはなんだかなという感じだが。

 気が早いことに、入口付近の装飾はすでに正月仕様である。クリスマスの舌の根も乾いていないというのに。

「ようやく付いた……。大丈夫、ここまでは予定通り」

 大した運動をした訳では無いが、肩と鎖骨を動かして大きくため息を付く。

 人が多いのも、思ったより削られた。

「私、飲み物買ってくるね。水筒、忘れちゃって」

 勢い任せに準備をした弊害が出ている。備えあればと、リュックサックにあれこれ荷物を詰めすぎたきらいがあった。

 セーターや携帯電話とかはともかくとして、双眼鏡は流石に要らなかったかもしれない。

 少ししょぼくれて自販機に向かおうとする私の、首筋の当たりをとんとんと叩かれる。

 振り返ると左の頬が、珠火ちゃんが差し出した少し蓋が緩まった水筒に当たった。

 受け取ってそれを見てみるとパンダをモチーフにしたかわいらしいもので、中の飲み物のせいか温かい。

「私の。飲む?」

「ええと」

 ええと、ええと。

 私のってのは所有格で、珠火ちゃんの水筒ということで。縁には、なんか口紅の跡がついててそれを飲むってことはつまりその。

「間接キ」ス、と言いかけて止める。

 そんなことはないのだろうけど、それを口に出したらなにもかも終わる気がした。

 そういう、イヤラシイことを意識していると思われて、珠火ちゃんに嫌われたくない。

「かんせつ?」

「いやその、少し痛いなって」

 冬場だし、インフルとか気をつけなね。と私を心配してくれているあたり、なんとかごまかせたらしい。

「それで、問題は」

 小声で呟く。

 私は、この水筒を飲んでも良いのだろうか。私は珠火ちゃんの事が好き、だし。

 珠火ちゃんに、そういう感情を向けないのかと言われれば携帯のカメラロールが答えだ。

「で、でもっ」

 姉妹なら間接キスとか普通。

 水筒のほうが、節約。

 それに。

「珠火ちゃん、ありがと」

 結局、理由は単純なことで。

 緊張と寒さで手が震えるので水筒を両手で持って。

 私は珠火ちゃんの飲みかけが飲みたいという気持ち悪い欲に従って、その中身を嚥下した。

 縁に付いていたのはリップクリームだったようで、ハッカかバニラかの刺激が唇をくすぐる。

「けふっ、けふ」

 むせた。

 色的に中身は紅茶かなにかだと思うのだが、味はよくわからない。不純なことを考えていた、天罰とかだろうか。

 口内から溢れたそれを袖で拭き取って、水筒の蓋を回して締める。

「お姉、大丈夫?」

 おろおろとする珠火ちゃんの唇を見ると、また心臓がドキドキと揺れて叶わない。

「だ、大丈夫。アイス、買ってくるから。珠火ちゃんの分も」

 逃げるように売店に駆け込んで列に並ぶ。

 こんな調子で、私はデートが終わるまで保つのだろうか。

 列の掃けは早くて、ついでなのでホットドックも注文すると少し遅くなるとのこと。

 番号が呼ばれるまで、幌の下でお土産を物色して待つ。アリクイのパペットとか可愛くて、ちょっと欲しかった。

 数分すると番号を呼ばれて、カウンターでアイスとホットドック二つづつを受け取って珠火ちゃんのところに戻る。

 コーンは珍しく黒色で、値が張るだけあってなかなか巨大だった。

 火傷気味の舌に、甘くて冷たいミルクの味がありがたい。

「これ、珠火ちゃんの」

「お金出すよ」

「良いって」

 お賽銭みたいなもんだし。違うかな?

 落ち着いて食べたかったしホットドックもあって両手が塞がっているので、ちょうどはじめの鳥コーナー前のベンチを使うことにした。

 鳥とはいうが猛禽類とか孔雀はもっと奥の方で、ここは水鳥のコーナーである。近づくと磯の雰囲気の中、極彩色の赤い鳥が水面を突いていた。よく見ると半開きにした嘴を水面に突っ込んで高速で振動させているが、何がしたんだろう。

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