『Not ice me』その②

がたんごとんと、電車が走る音がする。

 その音が鳴るたびに私の身体は揺られて、珠火ちゃんの肩に触れたり、触れなかったりを繰り返していた。

 暖房の効いた車内と、真冬とはいえ変わらずに差す陽光。そして規則的に揺れる車内と私の睡魔を誘う要素はみちみちていたが、それでも眠っていられないのは横の座席に座る、最愛の妹のせいだ。

「お姉眠い? 私も楽しみであんまり眠れなくてさーー」

 小学生みたいだよね、と無邪気に笑う珠火ちゃんを見ているとその言葉通り昔に戻ったみたいだった。一番、楽しかった頃に。

 二人で出かけるのはもう何度目になるのかわからないけれど、明確にデートというつもりで来たのは、これで三度目だ。

 一番最後のは、あの文化祭の直前。未だにフラッシュバックする最悪の、すぐ隣に眠るその記憶を忘れることはないだろう。

 行き先は、今日と同じ港町。

 買い出しについて行って、その帰りに。唐突に珠火が言い出したのだ。

 夕焼けの中歩いた街並みは、思い出として美化されているのもあるのだろうが本当に綺麗で、楽しかったのを覚えている。

 パンを買い食いして、お洋服とか選んで。

 仄かに風薫る潮の中、公園に立ち並んだ赤レンガの壁に寄りかかり星を見上げた。

 石畳を踏みしめるたび足首に纏わりつく冷ややかな気流が乗って、そんな時間を私は。

 今日のデートに夢見ている。

 一度深く深呼吸をして、溢れ出るクリエイティブを押さえつける。そわそわと落ち着かない心模様を観測していると、珠火ちゃんが「ねえ」と話しかけてくれた。

 抱えていたカバンを、座席の袖仕切りと身体の間に避けて膝をぽんぽんと優しく叩く。

「膝枕しようか」

 温暖と日光と振動に身を任せて寝てしまっても良いかもしれない。

 浮かれていた私に、そんな不意打ちが降り注ぐ。欲望と理性の間で思考は混沌を極めて、視線を降ろせば指の先がよくわからない動きをしていた。

「それっ……は、どうゆう、その。趣向で」

 わちゃわちゃ、がちゃがちゃ。脳が休まらない。ふらふらする顎の関節の、その震えを抑え込むので必死だった。

「いやまあ、趣向かぁ。特に考えてなかったや。嫌なら別に」

「ふ、ふわぁぁ」

 多少強引でもいい。珠火ちゃんは気にしない。

 多分。

 わざとらしくないように頑張ってあくびをして、珠火ちゃんの膝に倒れ込む。手のひらの触れたスカートはほんのりと温かく、珠火ちゃんの匂いがした。

 昔は、私がやってあげる側だったのだけど。いつの間にかその立場は逆転するほどの時間が流れていた。

 それでも、珠火ちゃんは私の側に居てくれて。だから。

「ありがとう」

 そう、言いたくなった。



 図書委員になっていた。書架の奥まったところにあるストーブで暖を取っていたが、半袖で靴下も短い。

 私は本を取り出しては小さい順に積み上げるという修行みたいなことをしていて、珠火ちゃんが空いた本棚の、上の方の高い場所に収まってこちらを見ている。

 こちらも夏服を着ていて、今気がついたがこの制服は珠火ちゃんの母校のだ。

 流石に狭かったのか足を伸ばした拍子に落ちてきて、私は大慌てで珠火ちゃんを受け止めようと手を伸ばす。

 そして勢い余って転んだあたりで目が覚めた。

「あ、夢か」

 目を擦って眠気と涙を拭い、無意識に出かかったあくびを噛み殺す。

 そういえばここは珠火ちゃんの膝の上で、それをひんやりと気持ちよく頬に伝わる肌の感触で思い出す。

 もぞもぞ動いたからか、こちらも少しうとうとしていたらしい珠火ちゃんが私を撫でる手を止めた。

「ん、お姉おはよう。あと、ーー三駅で付くよ」

 途中で、ちらっと電光掲示板を確認していた。駅の名前、覚えにくいよね。

 正直、昔から地理はちんぷんかんぷんだ。今日も地図アプリのお世話になるだろう。

「五分くらいか。なにして暇潰そっか」

 電車の移動時間の過ごし方には様々な意見があるだろうが、せっかく二人ででかけているのにスマホを弄っているのも、何かが違う気がする。

 ぐっーと伸びをして、名残惜しいけれど珠火ちゃんの体温から起き上がる。二度寝してしまいそうだから。

 二人で出来る遊びと言ったら、指相撲。もしくはしりとり。

 やっぱりどこか、発想が小学生から抜け出せていない。背も結局伸びなかったし。

 仕方ない。それでも、何もしないよりは。

 きっと、良い時間になると信じてる。

「じゃ、じゃあ珠火ちゃん、しりとりしよっ。私から、えと、りんご」

 半ば強制的に始める。

珠火ちゃんの返しは「御殿場」だった。昔遊びに行ったことがあったはず。

 ていうか、そこはゴリラじゃないのか。

「えと、バイオリン。じゃなくて、バイオリンムシ」

 オサムシの仲間の、面白いやつ。

「あー、はいはい。分かるよ多分。じゃあ、獅子舞」

「幼稚園でやったよね。私結構怖くて」

 噛んでもらうと健康になるとか言っていたが、私の目にはあの金色の歯は頭蓋骨をかみくだくための物にしか見えなかった。

 というかシンプルにデザインが怖い。

「い、イリテーター」

「なんだっけそれ」

「恐竜」

 背びれが無いスピノサウルスみたいな。小学生の時とかに、それこそ図書館の隅で児童向けの図鑑を読み漁ったので覚えていた。

「伸ばし棒が最後のときは母音にするんだっけ」

 いりていたあ、だから次は「あ」かな、と珠火ちゃんが首を傾げる。

 正直、勝敗とかそれの公正さとかは割りとどうでもいい。

 今大事なのは、今珠火ちゃんと楽しく遊んでいるということだがら。

「特に決めてなかったと思うけど、どっちでも良いよ」

 じゃあねー、と唇に指を当てて思案する。寒さで乾燥しているようで、ハンドクリームを貸してあげたかったが入れ忘れてしまっていた。

 少し、浮かれすぎだったかもしれない。

 そんな感じでしりとりは続き、アナウンスが目的の駅に到着したことを告げて十五分はいつもより早く過ぎる。 

 少し残念な気もするけれど、今日の本番はここからである。

「しゅ、珠火っ」

「はいなんでしょ」

 だぼだぼの袖から、ちらちらと右手を差し出す。

「手、繋がない、かな」

「えーと、なんで」

 拒絶、というわけではないのだろうが。浮足立っていた私に固い疑問符が投げかけられる。

 電車から降りる人も多くてハグれちゃいそうだし。冬だから、手が寒いし。

 いくつも理由を並べて呟くけれど、結局。どれも真実でないというのは自分が一番分かっていることだ。

「その、なんでもない」 

 ちょっと複雑な駅の中を、感でとりあえず直進して。

 ちゅうぶらりんの手を持て余したまま構内を進んで出口に辿り着く。

 北だの南だのといった風に複数ある出口という概念は家の最寄り駅には無いもので、実家を出てから暫くは慣れなかった。当時は、乗り換えるだけでヘトヘトだったものである。

 薄暗く人工的な光で満ちていた駅から出ると、日の光が眩しいくらいに降り注いだ。

 その散光に混じって、冷たい外の風と口を開けた怪獣のような建物が出迎えた。

「都会の建物って高いね」

 はぇー、と。思わず空を削れそうな高層ビルビルを見上げてしまう。

 私達の地元もまあ、周囲二駅くらいと比較すれば栄えている方なのだが。

「ん、ビルビルって?」

「多分、ビルの複数形」

 星々みたいな。

「なるほど。うん」

 そんなことを話しながらタイル張りの道路を進み、割りと有名な交差点を渡って、バス停へすすむ。

 途中植えてあった木蓮の枝の蕾が可愛らしかった。

 バス停はもちろん野外にむき出しで、簡素なベンチに座っている方が寒かったので植え込みに寄りかかってバスを待つ。

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