Not ice me
『Not ice me』その①
「あ、あのっ珠火ちゃん。来週の日曜日は、何か用事がありますかっ!」
金曜日の夜八時。バスボムを入れて早めのご機嫌な入浴をしていると、突然風呂場の扉が開いてお姉が顔を出す。
風呂に入っているはずの私よりも上気した顔をしている。
机で寝てしまっていたらしく、ぷにぷにとしたほっぺたに頬杖の跡が付いていた。
「あっその、ごめん」
一呼吸置いて状況に気がついたのか、お姉の顔が更に赤く染まる。
目を覆っているポーズこそしているが、指の隙間からガン見してることは指摘するべきだろうか。
「うんまあ、びっくりはしたけど、謝るほどでは。子供の頃散々見せあった訳だし」
いまさら羞恥心とかは無いし。
ただ、せっかく温まってきた身体が脱衣所の冷たい空気に当てられて冷えていくのはいただけない。
とりあえずさっきから硬直してしまっているむっつりスケベを浴室から押し出して扉を閉める。
「よくわかんないけど来週の土日は休みだよ。その後はちょっと忙しくなるかもだけど」
細かい話は後でねー。と、強引に会話を打ち切って湯船に戻る。
映画を見に行こうとか、何か食べに行こうとか。要するに今度の休日に遊びに行こうという話だと予想。
百秒数えて湯船から上がり、脱衣所にある籠から適当に服を掴んで羽織る。
リビングへ向かうと、お姉がパンフレットを山ほど床に広げて待機していた。
しかも何故か正座である。
「あ、珠火ちゃんこっちに集まって」
お姉の向かいに並べられた座布団を指差す。正座に慣れていないのか、お姉の足はすでにプルプルと震えていた。
お姉は平気そうだったが、風呂上がりとはいえ冬場にパジャマだけだと少し寒い。
リモコンをどこにやったとキョロキョロして数秒、ダイニングテーブルの上にあったそれを操作して、ソファの方へ放る。
こういうことをしているからいつもすぐ見つからないのだろうが、昔からの、ある種習慣じみた行為というのは中々抜けないものだ。
手を繋がれて、いやハグされて? その時の笑顔を見せる相手は本来は自分じゃないという事実に悶え苦しんでもらいましょう音夢ちゃんには。
さてさてひざ掛け片手にお姉へ向き直り、座布団の上にぺたんと落ちる。
散乱するチラシを一枚取ってみればやはり、クリスマス期間のイルミネーション系のモノばかりだ。
早いところでは十一月の中旬から始めるらしく、ハロウィンの舌の根が乾かないうちにそれはどうかと思う。ただでさえ九月を生贄にしているのに。
「それでで、でね珠火ちゃん。その、本格的に混み始める前にっ! 一緒にお出かけをしようという……」
お姉が大声を出すのは随分と久しぶりで、でもその勢いは長く続かずすぐに燃え尽きてしまう。杉の木みたいな姉だった。
しかし、出不精のお姉がお出かけのお誘いなんて、どんなパラダイムシフトがあったのだろうか。お姉が外出したがるよりも、軍が解体される方が先だと思っていたのだが。
「それで、具体的にお姉は私とどこにデートに行きたいの?」
この山ほどあるパンフレットの海から都合がいいのを探すのは流石に骨が折れるぞ?
「デートてっ、いやそのデート? ではあるかもだけどそのそういうつもりじゃなくて普通にお出かけ。うん普通のお出かけなんだけどね。……それでね、私も色々集めてみたんだけどやっぱりクリスマスシーズンだし面白そうなの多くってさ。私的にはここの国内最大級のツリーってのも気になってて……。あっ、でもここ県外で結構遠いから候補からは外れてて、だから近場で探したらこっちも県外だけどスクランブル交差点とかすごく綺麗でしょ?」
手渡されたパンフレットの写真は、待ち合わせ場所でおなじみの忠犬をアオリで撮影したもの。周囲を囲う木々が青白いLEDで飾り付けられていて、裏面によれば他の街路樹も大々的に装飾しているとのことだ。
「へぇーいいじゃん。洞穴の青って名前がちょっと中二病だけど、人工雪とかも持ち出して大規模だね」
なんで中二かといえば、青って書いて「カエルレウム」ってラテン語読みするのだ。
「で、でしょ? でも、ね。やっぱり人がすごく多いみたいで、ハロウィンとかでも毎年の様に暴動が起きてるし、ちょっと怖いかなって。思って。」
治安の悪さは相変わらずか。普段はそれほどでもないのだろうけれど。
「えっとそれで。結局デー……じゃないんだったね。お出かけ先はここにするの?」
「ううん。やっぱり県内の方が安心だなって思ったからさ。それで調べたんだけど……」
またパンフレットの山をゴソゴソと漁りだす。
気合い入れてくれるのは嬉しいし、お姉の妥協出来ない性格は尊重したいけれど、このままだとお夕飯を食べれるのが何時になるか分かったものではない。
なんかもう作るのは面倒くさいしピザでも頼むとして、とりあえずこの話を纏めてしまおう。
「ごめんお姉、結論だけ聞いても良い?」
「あっ、ごめんね珠火ちゃん。お話が、迷子になっちゃって。ええとね、桜ヶ丘町の翼公園のに行きたいな」
その不安げに俯くお姉の頭を放っておけなくて。
ぽんぽん、と赤子をあやすみたいに優しく右手で髪に触れる。
「しゅかっ、その。頭……」
「あっ、ごめん。つい癖で」
嫌なわけじゃ、ないんだけどね。と呟いてはいるが、やっぱりどこか不服そうだ。
ふるふる首を振って、私の方へお姉が身を乗り出す。床についた両手の間に私の身体が挟まり、押し倒されるような体勢になる。
「私は、お姉ちゃん……だから。一応。それでっ、お出かけ嫌、かな」
クリップで結んでいる髪が少しこぼれて、私の首筋に触れる。
#クリップは理性は倫理でしょうか。髪でカーテンを作る=珠火を囲う。
いまは少し理性が解けて心が溢れている。
共振するそれと、揺れ動く瞳が、私になにかを訴えかけてやまない。
あの辺りも混むだろうけど、クリスマス当日ではないし、ピーク時間をずらせばそうでもないだろう。
せっかくお姉が考えてくれたのだから、ここは前向きに。
「いいね。行こうか」
「やたっ、ありがと、ありがとう。珠火ちゃん」
ぱぁーっと、お姉の顔が明るく染まる。花が咲いたような笑顔とは、こういう屈託のない綺麗な顔を指すためにあるのだろう。
「おっと」
喜んだ拍子に腕の力が抜けたのか、私の胸にお姉が落ちてくる。自然、素晴らしい笑顔が、正しく私の眼前に迫っていた。
私はそれにしばし見とれてしまって、やわらかい曲線を描く頬に手を伸ばす。
私の指に吸い付く肌に触れていると、眠れない夜に潜り込んだ、お姉の布団の中を思い出した。
その熱が今、私の胸の中に収まっている。ぐちゃぐちゃに絡まった髪に指を通して、お姉の小さな手が私に触れた。
ちょっと頭を撫でにくいということも、この熱の前では。
些細な問題に思える。
「お姉、かわいいよ」
白い石の様に綺麗なお姉のおでこに、親愛を込めてそっと唇を添えた。
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