完全防水のモルグ

『完全防水のモルグ』その①

珠火はもう帰ってきていたらしく、家の窓からは照明の光が漏れている。

 パンケーキの店に居たのは二時間とちょっとだから、確かにそれくらいの時間だろう。

「そういや、お夕飯どうしようか」

 変な時間にお昼ご飯を食べたせいで、どうにもお腹が空いていなかった。

 というか、よく考えたら今家の冷蔵庫には何も入っていなかった。すぐ食べられるのはきゅうりくらいか。

 少し前に趣味で始めた家庭菜園だが、割と上手く行っている。

 最悪それ数本を夕食としなければならないかもしれない。

「それとこれね」

 フレンチトーストは珠火とはんぶんこする予定だ。甘いもの好きだったはずだし。

 内心噂をすると影が差し、「お姉おかえり。どこ行ってたの」ドアが開く。

 半開きにしたドアにぶら下がって、どてらを羽織った珠火が出迎えてくれた。

 こんな時間なのにほっぺたにポテトチップスが付いているのは、姉として注意すべきだろうか。

「ただいま。遅めのお昼ご飯食べてきた。夕飯いらないかも」

 靴を脱ぎ捨てる。

 何を思ったのか珠火が両手を向けてきて「うぇーい」流されるままハイタッチする。

 触れた手のひらは少し埃っぽく、その原因は半開きのドアから覗くリビングを見れば明らかだった。

「うゎぁーお」

 大掃除の真っ最中である。

 流石に私の部屋には手を付けていないようだが、放置していた洗濯物やひっくり返した戸棚の中身がぐちゃぐちゃに混ざってひどいメドレー。

 モニターの前だけ不自然に空間が空いていて、そこで作業していたらしい。

 分別されたゴミが山積みになっていた。

 そういえば朝出る前に、部屋の片付けをどうとか言っていたのを思い出す。

「これまた派手にやったね」

 足の踏み場をなんとか見つけてキッチンにたどり着き、とりあえずフレンチトーストを安置。

 布団を敷くスペースも無いし、安眠の為にも手伝おうと腕を捲った私を、珠火が呼び止めた。

「ちょっと待ってお姉。これやろうよ、続きは後にしてさ」

 いたずらを咎められた子供のような顔で珠火が胸元に抱えているのはゲーム機。それも最近のやつじゃなくって、私が小学生の頃現役だった箱状のと携帯機の二つだ。

「動くの」

「さっき動かした」

 丈夫だとは聞いていたが。

 機器も箱の方に使うコントローラーと、ケーブルとカセットなどあらかた揃っていたようで、嬉々として繋いで電源を入れてくれた。

 ソフトは対戦要素のあるRPG。モンスターを六匹育ててパーティーを作って戦わせる。

 昔はよく二人で対戦したもので、こういうのに凝りがちな私は近所では負け知らずだった。負けたのは近所に住んでた柳花ちゃんにくらいである。

 今ガチなパーティーを組むなら結構陰湿な戦法になってしまいそうだ。堅実に勝ちを取りに行きたいというのはつまり負けたら悔しいということで、それ自体は悪いことではないのだろうけどどこか、臆病になったなと自嘲してしまう。

 昔育てたモンスターの一覧を眺める。……珠火は私がどんな作戦で戦っても喜んでくれるかもしれない。

 でもやっぱり。

 せっかくなら童心に帰って楽しんでやりたい。

「珠火、三十分でパーティー育てて、それで戦お」

「おっ、面白そう。私そんなにやり込んでなかったからあんまりモンスター居ないし、それでやろうか」

 珠火は無邪気に賛同してくれた。



 なんでゲーム機を持ち出したのかと言えば、課題が手につかず部屋を掃除していたら発見したからで。

 なぜゆえ課題に手がつかないのかと言えば、お姉のことが気になって仕方ないからだ。

 どこか昔の、かっこいいお姉を期待していることはそうなのだけれど、それはそれとして。

 くるくる動いているお姉はとてもかわいかった。

 風呂上がりに、女児みたいな服で部屋をうろうろしているのを見ていると、庇護欲のようなものが萌えるのだ。

 それはあの文化祭のときの、吐いちゃったお姉を見たときから燻っているもので、その感情を私は何年経っても整理できずにいた。

「文化祭」

 小声で呟く。

 そう、文化祭。

  その言葉で少し、心臓が騒ぐ。

 触れていいのかもわからず、開けば不幸が飛び出るパンドラの箱として避けていたその話題を、私達は整理する必要があるのだと思う。

 とはいえ、改まって話題を出すには私達の間の空気は硬く、多分表面をなぞって引っかき傷を作るくらいしか出来ないだろう。

 そのためのゲームだ。

「さて」

 三十分とは言ったがそんなに厳密にやるつもりはなかった。多分お互いに。

 夜ふかししてゲームをするなら、温かい飲み物と甘いお菓子を添えたくなるものだ。

 どうもお姉には行きつけの 料理店とかいうロマンなものがあるらしく、そこの店長さんからフレンチトーストをもらってきたらしい。

 お姉はその準備をしてくれているので、私はお茶でも入れようと声を掛けてリビングに向かう。

 私がいつも飲んでいるお茶は、キッチンの棚の、普段使っている領域の更に奥に仕舞っていた。

 別に隠しているわけじゃあないし、家主に隠して保管するのは単純に意味不明なのだが、この間キッチンを整理したときに使っていなかったところを拝借したのだ。

 家賃という概念は無いが、光熱費なんかは割り勘にしているしそれくらいはいいだろう。

「よっと」

 ティーパックを取る。

 そんなに詳しいわけじゃないのだが、ダージリンは昔から好きだ。

 温かい飲み物を飲むと気分が落ち着くのか、温かい飲み物は飲み終える頃には気分が落ち着いているのか。

 よくわからないが結果的にリラックスは出来る。

 箱を無遠慮に放って、溢れ出た中身に怯えてよく見もせず閉じてしまう。

 それが一番いけないのだ。

 ケトルに水を入れて沸騰させ、注ぐ。

 ほかほかのティーカップを両手に持って、リビングへ向かった。

 

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