『処方箋キッチン』その③
「盃さんがこれ、ミネストローネです。ピザはサービスとのことで」
じゃがいもなんかが入っていてどちらかというとポトフといった趣だ。ところでピザはなぜか少し欠けている。
「……」
まあ盃さんが損してるわけじゃないしいいか。
とりあえず目の前の料理に集中したかった。
一口、一口とゆっくりスプーンを運んで、店の空気に溺れていく感覚を楽しむ。
焦げ臭いともまた違った、気分の落ち着く煙の香りが店の中を包んでいた。
普段は焦燥を煽る西日とすら、なかよし出来そうな気分である。
「そういえばおすすめされてた本、読みましたよ」
唐突に思い出して話題を振った。
少し血色が良くなった盃さんがピザを頬張る手を止めて向き直る。好きな本の話になると、みんなこんな感じなのかなと昔のパンケーキを思い出した。
「海底二万里はもう読んでましたよね。そうじゃなくても楽しめると思うんですがね、船長はファンサービス的ですし」
「船長の最期を見届けられて良かったです。オランウータンは生き残ってほしかったけれど」
昔見た映画の影響で読んだことがあり、そこからSFには色々手を出しているのだ。
何冊か読みたいリストに入れっぱなしだし、いつか消化したいのだが。
せっかくだし今夜は夜ふかししようかなと意気込んでいると、キッチンから「ぎゃーっ」濁った叫び声が聞こえた。
パンケーキだろうが、一体何をやらかしたのか。
私と盃さんが席であわあわしている間にシルクワームちゃんが駆けつけて、キッチンの中へ応援に向かう。
数分して、シルクワームちゃんに支えられてパンケーキが歩いてきた。
明確に焦げた匂いがして、おそらくさっきの煙の香りもこれが原因だろう。料理などのそれに混じって気が付かなかったが、軽くではあるが黒煙が溢れていては問答無用である。
「シルクワームちゃん大丈夫? これは……火事?」
「まずは私の心配からしてよね。大丈夫だよ音夢ちゃん。全然想定内だから」
オーブンがちょっと燃えたけどすぐ消したしと、パンケーキ。
全然大丈夫じゃないと思うのだが。
「そんなことよりお待たせしました。デザートだよ」
怪しい笑顔でパンケーキが、持ってきた料理を配膳する。煙の発生源らしく、暫時はそのせいで目が痛い。
丸々一斤トーストにしているのはメニューの絵の通りだけれど、黒に染まったこれはトーストはトーストでも「食パン」というより「おしまい」である。
上に乗っている葉っぱもなんか大きくて大雑把で、太めの2Bシャーペンのような作画だ。
「これは何?」
食パンの黒焼き?
「えーとねぇ。あっ、イタリアントースト」
「うまいこと言ったつもりだろうけど、焼きすぎは焙煎とは関係ないから」
そもそも別に、私はコーヒーに詳しくない。アニメに出てきたからふわっと知ってただけだ。
よく拾えたな私。
「えっと、どういう意味ですか?」
パンケーキの被っていた灰を落としたジェシカちゃんが会話に参加する。エプロンを着崩して私の右隣に座り、頬杖を付いていた。
接客はどうするのかといえばそもそも、キッチンもめちゃくちゃということで店のドアプレートはCLOSEにひっくり返している。
「そうだねぇ。ふぐっ」
恥ずかしがったパンケーキが、手を伸ばして私の口を塞ごうとする。それを握って、逆に両手を塞いでやった。
今更ギャグのつもりだろうか。
「ははっ」
はぁ。
「どうしました」
「いや、何でも。ーー私も詳しいわけじゃないけど、コーヒー豆って炒るじゃん。その加熱具合で呼び方が変わるんだ。二番目がフレンチローストで、一番上がイタリアンロースト。それで、この料理はフレンチトーストじゃん?」
「ああ、そういう」
邪推すれば、程度が知れたというふうにシルクワームちゃんが納得する。
もちろんそんなつもりはなく、ただ素直なだけなんだろうけど。
「うにゃーっ! ジェシカちゃんの、その淡白な反応が一番心に刺さるかなぁ」
そういえばパンケーキだけは、彼女の事をジェシカと呼んでいた。
「それで、なんでこんなことに」
まさかパンケーキが普通に料理に失敗したとは考えにくいのだが。その辺の信頼はあって、この女は基本的に用意周到なのだ。
「音夢ちゃんに一番美味しいのをと思ってさ。これはほんと。それで、張り切りすぎた」
焦げるギリギリを攻めたらこうなった。後悔はしてない、とのこと。
反省もしてなさそうだけど、パンケーキなりの愛の形なのかもしれない。
そう思えばまぁ。もしかしたら奥の奥は美味しい、パンドラの箱かもしれないし。
そう考えると黒い正方形というのもそういうことなのか。
躊躇いながらナイフを向けて、そういえばともう一つ尋ねる。
「そういえばこの葉っぱは? 三つ葉とかじゃないよね」
「パクチー。パクチーの塩ゆで」
うーん。不安。
なんにしてもナイフでつついた感じまだ熱そうで、心の準備ついでに少し冷ますことにした。
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