『処方箋キッチン』その②

「……」

 瞳を通して、頭の中を覗き込むようなパンケーキの視線に耐えられず首を下げる。

「いつものと、あとこのフレンチトースト」

 照れ隠しという訳では無いが、こんこんと指で叩いて注文を示す。

 それを聞いたパンケーキは「おおぉ……」変な声を出して伝票を書いていた。

 付き合ってた頃、誕生日プレゼントをサプライズであげた時同じような声を出していた気がする。

 なんか不安だな。

「んっ、お目が高いねぇ。それは最近ずっといじってた新作さ。まだ改良の余地がある気がするんだけど、自信をもってお出しするぜぇ。ーーせっかくだしサービスしてあげよか。増量するぜぇ」

 どこ吹く風とばかりのパンケーキに「へぇ、ありがとう」と返して、水を飲む。

 レモン風味かと思って尋ねるとレモングラスとのミックスとのこと。

 メニューに載っている写真は、ほぼ普通の草で。

 こういうのからでもいい香りはするんだなとちょっと面白かった。

「それでどう、最近良いことあったりした?」

 レタスを一口大に千切りながらパンケーキがこちらを見て尋ねる。

 カウンターの中には簡単な調理器具が揃っていて、切ったり捏ねたりは一通りはそこで実演しながら作ることがある。

「良いことってまあ、それなりの人生を送っているつもりではあるけど」

 オンラインゲームのランクマッチもそこそこ勝てているし、それこそ仕事も早く終わってしばらく暇だし。

 暇な事自体はそんなに嬉しいわけじゃないが、選択肢があるのは良いことだ。

「私には音夢ちゃんの目が、前よりも生き生きしてる気がするよ。……私といるときは全然見せてくれなかったのに」

 後半は独白のつもりだったらしく、上手に聞き取れなかった。

 パンケーキはちょっと逡巡して、閃いたのかぱっと咲いてこちらを指差す。

「妹ちゃん関連かなぁ。音夢ちゃんシスコンちゃんだし」

「シスコンじゃねえよ。でも珠火ーーええと妹関連でなんかあったのは、そうだよ」

「抱いたの」

 だったら良かったよっ。いや良くないんだけど。

「水道管の故障でね、珠火はしばらく私の家にいるよ」

 そういえば、政府の人がお見舞い代わりに持ってきたというメロンに手を付けていなかった。別に何を見て連想したというわけではないが。

「良かったじゃん。ベッドも一緒だったり」

 アルミのトレイからマグロの切り身を取って包丁を入れる。確かカウンターに出てきたときに一緒に持ってきていた。

「しないよ」

 ミニトマトたちを手際よく両断する音が響く。

 芝居がかった手つきで野菜を盛り付けて、しらすをまぶして、ドレッシングを一匙。

「ほい音夢ちゃん、前菜のさーらーだ」

 岩盤の切り出しだという、平らな攻めた皿に乗せて提供された。

「いただきます」

 一礼。

  中心が凹んでいたりするわけでもなく真っ平らで、色々乗っているということもあり指先が狂うと崩壊は必死だ。

 こういう趣向には我ながら慣れたもので、内側へフォークを動かして集めるようにして食べる。

「うん、美味しいじゃん。前はサーモンだったっけ。これも好き」

 水分の少ないドレッシングがいい感じにしらすと野菜を絡めて、マグロの食感に変化を加えていた。

 前のときは脂が乗っている分、酸味強めのシャバシャバ系のだったと思う。

「音夢ちゃん用にということで土壇場でお魚を変更してみましたー」

 パンケーキが一口分、手のひらに取り分けて頬張る。

 満足いく出来だったようで、美味しく仕上がって良かったー、私天才かもしれん、などと呟いていた。

「ちゃんとメニュー通りというか、私で実験しないでよね」

 経験則上、この女が調子に乗ると周囲にろくでもないことを撒き散らすため諌めた。

「はいはい」

 適当な返事をして、窯とか使うからとにやにやしながらパンケーキは奥へ引っ込んだ。

 それはそれで少しさみしい気がした自分にため息が出る。

 サラダのマグロを食べ終わったあたりで、「どんっ」とカウンターが揺れた。震源は左端、つまり盃さんで、どうやら頬杖が崩れたらしい。

「わっ、わあ……ああ、パンケーキのところか」

 起きたから崩れたのか崩れたから起きたのかは不明だが、目を覚ましていた。

 眠気覚ましにか例の、レモン風味の水を飲んで頬を軽く叩く。

「ああ氷室さん、こんにちは」

「こっ、こんにちは。お疲れですね」

 変な服装のせいで目につきにくいが、隈が出来ているしそもそも目に光がない。それに、さっきからずっと肩で息をしているらしい。

「昨日は寝かせてもらえなくて。あっ、えーと。仕事が忙しくて。仕事。なにか食べて元気だそうと思って、お店に入ったら力尽きちゃいまして。注文はーー」 

 すこしキョロキョロしてパンケーキの不在を理解したのか、なんか真剣な顔で手元を見ているシルクワームちゃんにオーダーを託した。

「おまかせでなんかちょーだい。ーーシルクワームちゃんは何やってるの?」

「ああこれですか、今割り箸の包み紙の限界に挑んでまして。なめすことでこう、耐久性をですね……おっと失礼、おまかせですね、オーダー入れてきます」

「おねがいします」

 すたすた厨房に歩いていく。

 定食とか一品物とかのパッケージングされたメニューももちろんあるのだが、パンケーキに任せてしまうこともできる。

 客の健康状態とか、そういうのを見て提供する料理を考えるらしい。

「最近はどんな本、読みましたか」

 ずり落ちていた腰を据え直して、盃さんが私に話しかけてくる。

「そうですね、久しぶりに本をを読み返していて。ゆっくりペースですけど」

 私も知っている古典の名前が上がる。

「オチがさ、いいよね。バッドで、反ハッピーエンドなんだけどさ」

「はい」

 同意する。

 雑なハッピーよりよっぽど綺麗な終わり方だ。主人公、なんだかんだ幸せそうだし。

 しばし沈黙が続くこともぐもぐ十数分。ちょうどサラダを食べ終わったあたりで、シルクワームちゃんがひょっこり顔を出す。

 量はそうでもないのだが、道中少し寒かったからかお腹が空くまで時間がかかったのだ。

 雨足は期待を外れて速くなってきて、屋根や窓に打ち付けられたそれがざめざめと音を鳴らす。天気雨らしく、わずかに黄色みを帯びた斜陽が窓から入り込んでいた。

「ええとまず、音夢ちゃんさんにパンケーキちゃん定食です」

 ちょっとだけ口に出すには恥ずかしい名前を読んで、リゾットが主食の、六分されたピザとかフルーツが並んだプレートを手前に置く。

 なんかスープの具が違ったりとかとかさつまいものフリット、まあつまりフライドポテトの量が多い気もするが。

 出来立ての湯気が温かく、食欲もとんとん湧いてきて早速リゾットを一口頬張った。

「おいしい。ふぉ、あつっ」

 優しい味が身体に染みて、幸せなため息が溢れる。

 今だけは素直に、パンケーキのことを好きになれた。

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