10 ドスケベ脚本

 なんでこんなことになったのか、早川はさっぱり分からなかった。演劇部の1年生があやねのポメラを盗み見たところまでは確定としても、なんであやね個人への誹謗中傷でなく、学校じゅうがザワつく不確定要素の多い疑いとして広がったのだろうか。

 早川はSFこそ好きだがミステリにはいまいち興味が持てない。だから理由を解き明かす気も、解き明かせる気もしなかったが、学校じゅうで噂話として広がっているということは、いずれ文芸部に学校の注目が向くことは想像できた。


 文芸部自体が誤解されるまえに、態度を明らかにしなくてはならない。


 だがあやねの可能性を潰すのはいやだ。あやねの小説は素晴らしい力量で描かれた、プロ作家のものとしても通用するレベルの官能小説だと思う。いや官能小説なんて読んだことはないのだけれど。


 どうしたもんじゃろの〜!!!! と考えていると、寺山が肩をつついてきた。


「どうした?」


「なんだか大変なことになってるじゃないか」


 寺山はとにかく背が高くて顔が整っていて声までいいので、その一挙手一投足が注目される。本来なら早川のような石の裏の虫に話しかけてくるような立場ではない。

 寺山の言葉でクラスの興味が早川に向いた。なんてことをしてくれるんだ、と早川は恨めしい気持ちでいっぱいになった。


「あのさ、演劇部を辞めて文芸部にいこうかなってうすうす考えてるんだけど、そのへんはどうなんだ? 椅子は足りてるか?」


 寺山の爆弾発言でクラスの「演劇部のマドンナ」が寺山に噛み付いてきた。


「まさか兼部しようってんじゃないでしょうね、文芸部と」


「いや? 演劇部をやめて文芸部に行くんだよ。さすがにドスケベ脚本を芝居としてコンクールにかけるわけにいかないからな。小説形式なら特に恥ずかしいことなく読めるだろ?」


「どっ、ドスケベ脚本!?」


「おう。最初はホームコメディのつもりで書いてたんだが、だんだんエロい方向に流されちゃってな。『妊娠しちゃった』ってタイトルで書いてるって話したろ?」


「それって女子高生がうっかり妊娠して家族や彼氏の家族を巻き込んだ大騒動になる……って話じゃなかったの?」


 演劇部のマドンナは色を失っていた。おそらくその脚本で芝居をやるなら主役の、妊娠した女子高生の役をやったのだろう。そしてその脚本はきっとエロくもなんともないに違いない。


「いやあ部員がやたら増えたせいで役を増やさなきゃいけなくなったろ? 1年生にもなんかしらセリフを言わせないと可哀想だからな。書いてるうちに『白雪姫の処女膜には7つの小さな穴が』みたいになってきて」


「はぁ!?」


 演劇部のマドンナは顔を真っ赤にしていた。

 そしてその日の放課後には、「演劇部の部長がドスケベ脚本を書いてしまったらしい」という噂が、「エロ小説を書いたやつがいるらしい」というずいぶんと不確定要素の多い噂を上書きしていた。

 そりゃそうだ、整った顔に長身、しゃべる声まで凛々しい演劇部部長、寺山がドスケベ脚本を書いた、となれば、そのギャップは凄まじい。話題を呼ぶこと間違いなしだ。

 石の裏の虫である文芸部がエロ小説を書いても面白いこともなんともない。しかし今をときめく演劇部の部長がドスケベ脚本を書いたならそりゃ騒ぎになるってものである。


 とりあえずこれで文芸部に疑いの目が向けられることはなくなった。

 しかしそれで終わりではない。文芸部の部誌に、どうやってあやねの小説を載せるか、そしてどうやって教頭先生の検閲を潜り抜けるか、考えなくてはならない。


 ◇◇◇◇


 文芸部の活動停止が解かれた日、文芸部の部室に教頭先生が現れた。

 さすがに龍本も手作りおやつを持ってきていなかったし、あやねはポメラから官能小説のデータを吸い出して、頑張って「ボロンに至る経緯」を書いているところだった。


「……とくに猥褻なものを書いているわけではないようですね」


 教頭先生はそう言って出ていこうとした。それと鉢合わせする格好で寺山がやってきた。


「寺山くん。演劇部の部室は斜向かいではありませんか」


「いえ、演劇部の顧問の先生に相談して、文芸部と兼部することにしたんです」


「……噂になったドスケベ脚本ですか」


 教頭先生も「ドスケベ」って言うのか。


「あれは冗談で言っただけです。これが本物の『妊娠しちゃった』の脚本です」


 寺山はスマホのメモ機能からA4の紙に出力した原稿を教頭先生に渡す。教頭先生は脚本をぺらぺら確認した。


「性的な行為をすることが大人になることだと勘違いした高校生の、悔い改めの物語なのですね」


「そうです。まさか『白雪姫の処女膜には7つの穴が』なんてコンクールにかけるわけにいかないじゃないですか」


 教頭先生は穏やかな顔をしている。


「活動をしっかり頑張るように。脚本の小説化、期待していますよ」


 主に寺山に向けられた応援を言い、教頭先生は文芸部の部室を出ていった。


「なんでキラキラ種族がここにいるんスか」


 富士見があからさまに敵対視しているので、早川からこれこれこういうわけで……と説明する。龍本は納得したようだったが、富士見とあやねは信じきれない顔をしていた。


「で、うちの後輩どもが話してた噂は本当なのか?」


「信用できないので教えたくありません」


「まあそう言うだろうなとは思ってたよ。でも教えないってことはクロじゃないか? もし冤罪だったらはっきり違うって言えるだろ?」


 あやねはでっかい墓穴を掘ってしまったようだった。寺山は鷹揚に笑った。顔を赤くして俯くあやねに、寺山は「大丈夫だから」と声をかけた。

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