9 ボロンする小説を書いてこそ

 教頭先生はまず、あやねのクラスの担任を捕まえた。しかしもう下校してしまった、という。早川はぬか喜びした。

 しかしそれでくじける教頭先生ではなかった。文芸部の部室をさんざん調べ、岩波先生を捕まえてプリントアウトしたものか記憶媒体はないのか、とさんざん騒いだ。

 とりあえずプリントアウトした原稿はあやねが持っていったので、きょうのところは諦めましょう、と教頭先生は言ったが、明日あやねが登校してきたらその場で捕まえてポメラを確認する気らしい。それ即ち公開処刑である。

 教頭先生は校門であのかわいいサッチェルバッグを開けさせて、そこからポメラを引っ張り出そう、というのだ。衆人環視のなかあのポメラを取り出すのはまさにあやねにとって地獄絵図ではないか。

 そしてそんなパワハラに遭ったらあやねのような繊細な人間は学校を怖がるだろう。来なくなるかもしれない。もしかしたら学校をやめてしまうかもしれない。それ即ち文芸部は廃部である。


「それはパワハラではありませんか」


「校内の風紀を保つために必要な措置です」


 早川は高校生だ、そもそもずっと歳上の教頭先生に意見できる立場ではない。しかも「校内の風紀を保つため」というもっともらしいお題目がついてしまったのだから逆らいようがない。


 諦めて明日はポメラを持ってこないように、と連絡するしかないだろう、そう思ったとき寺山が口を開いた。


「教頭先生、他人の書きかけの小説を読むのは悪趣味ですよ」


 それは岩波先生も早川も思っていたことだが、口に出せないでいたことでもあった。その程度で教頭先生が折れるとは思えなかったからだ。


「そうでしょうか?」


「少なくとも自分は嫌ですよ、書きかけの脚本横から見られたら。それも赤を入れて直そう、ってんじゃないんですよね? だいいちそのあやねさんとかいう子が書いたものが猥褻な小説とは限らないじゃないですか」


「……ふむ」


 寺山、要するに顔の整った演劇部の座付き脚本家兼部長は、すらすらと意見を述べ、教頭先生はしみじみと納得している。

 どうやら演劇部を全国大会に連れていった実績のあるやつが言うと、教頭先生も納得するらしい。解せない、自分たちと同じ高校生なのに、なんで全国大会レベルの演劇部と特に大会などなくのんびり活動する文芸部でこれだけ扱いが違うのか。


「とりあえず……今回は活動停止だけにしておきます。先輩である早川君が、ちゃんと指導して、猥褻で風紀を乱すようなものを書かないようにさせなさい」


 それはおかしい。あやねはボロンする小説を書いてこそのあやねだ。そう言い出そうと思った。しかしバレてしまっては元も子もないし、ここは大人しくしておくのが利口な手だと思って、ぐっとこらえた。


「なんか疲れちまったな。早いけど帰るか。いつもより1本早いのに乗れるな。本数少なくてなあ」


 部活があるはずの寺山が帰り支度をしている。早川も帰ることにした。


 寺山は隣町から列車で通学していて、早川と帰りのルートが途中まで一緒だった。


「すまんな早川」


「なにがだ? それに寺山は部活あるだろ。行かなくていいのか? 部長だろ?」


「文芸部の問題がこじれたのは自分のせいだ。それに座付き脚本家をやるのも疲れるんだ。新入部員がドカドカ入っちまって、慣れてない一年生のぶんまで役を増やしてやらなきゃいけない。高校の演劇部に入ってまで、鬼ヶ島の松の木とか竜宮城のコンブとかやりたいやついないだろ?」


「確かにな……」


「いいよなあ文芸部。ぜったい楽しいよなあ文芸部。そもそも自分は1人で淡々とお話を書きたいんだよ。顔だけで演劇部に引っ張り込まれて、演技が棒な上にあがり症だから座付き脚本家やってんだ、部長はほぼ名ばかりだよ」


「お前もいろいろ大変なんだな」


「中学の先輩が演劇部にいたんだよ。まあその中学も統廃合でなくなっちまったが」


 どれだけ田舎に住んでるんだ。そう思ったが早川の中学も1学年2クラスだったのでおまいう、というやつである。笑うことはできない。


 寺山と駅前で別れた。駅前と言ってもファッションビルとかそういうのはない、非常にシンプルなバスターミナルがあるだけのクソ田舎の駅なのだが、寺山が降りる駅はたしか無人駅だ。こっちのほうがまだマシである。


 家に帰ってきた。メールからあやねに連絡すると、あやねはもう家にいて、ポメラで「ドスケベ小説」を書いているらしい。


「明日はポメラを持ってこないほうがいいよ」


「わかりました。気をつけます。お風呂に入るので失礼します」


 いきなりのマルハラに少し驚きつつ、まあいまどきの連絡手段を使わないならぜんぜんアリだな……と早川は考える。メールには既読通知機能がないので、なにかメッセージを送って読んだ、と示したかったが、なにもかける言葉が見つからないし、これから風呂に入るなら迷惑だろうとそこでやめておいた。


 次の日の学校は騒然としていた。なにごとだ、と思ったら、演劇部の噂話を発端とした「エロ小説を書いているやつがいるらしい」という噂が、学校じゅうに広がっていたのである。

 具体的な名前は出ていなかった。性別や学年も噂には含まれていなかった。しかしとにかく、エロ小説を書いているやつがいる……という噂で、高校は騒然となっていたのである。

 小説と言えば文芸部、となるのを恐れて、早川はおののいた。なんというか噂の広がり方が、大昔どこかの町で女子高生の噂話から信用金庫に町中の人が殺到したという事件を思わせた。

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