8 楽しそうなお誘い

 昼休み、早川が弁当を開けようとしたところで、スマホが聞き慣れない着信音を鳴らした。見るとあやねからのメールであった。

 使い慣れないメールを開き、どれどれ、とメールを確認する。


「中庭で一緒にお弁当食べませんか」


 ほう。楽しそうなお誘いだ。誘われた場所の中庭というのは校舎のなかで存在を忘れられているような場所だ。

 あまりロマンティックな場所ではないが、自分たち石の裏の虫には適切だろう、と早川は中庭に向かう。


 中庭の荒れ放題の花壇や藻が生え放題の池を眺めながら、早川は小汚いベンチに座るあやねの横に腰掛ける。


「本当に今週と来週、活動停止なんですか」


「うん、でもまあ文芸部はチームにならなくても活動できる部活だ。みんなと顔を合わせられなくて寂しいけどそれはまあ……」


 あやねは弁当箱からチーズインウインナーを取り出してもぐっと口に入れた。


「やっぱりわたしは文芸部に迷惑でしょうか」


早川は即答した。


「そんなことはない。あやねさんという素晴らしい才能を潰そうとする教頭先生が悪い」


 そこでふと早川はあることに思い至る。


「……教頭先生は、あやねさんが官能小説を書いていることを、どうやって知ったんだ?」


 ◇◇◇◇


 5時間目の古文の授業のあと、早川は岩波先生を捕まえた。どうしてあやねの「癖」がバレてしまったのか。


「それが分からないんだ」


 早川先生は困った顔をした。そりゃ困るだろうなと早川は思った。

 可能性があるとしたらバスケ部のウェーイが、あやねさんのポメラを確認したとかだろうか。しかしポメラを見たウェーイたちはそれがなんなのか分からない顔をしていた。


 じゃあどこでもれたのか。さながら探偵である。6時間目の授業のあと、下校の支度をしつつ考える。

 校舎を出る。第一体育館のほうからキャッキャと笑う声が聞こえて、早川は嫌な予感を覚えた。

 そっと第一体育館を覗く。バドミントン部や剣道部が練習するその奥、ステージからその下品に笑う声が聞こえていた。

 校舎をぐるーっと回ってステージの裏に向かう。ここは演劇部が練習をしているところだ。笑う声はどうやら猥談をしていると思われるトーンであった。


「でさあ、うちのクラスのド陰キャ文芸部がさ、なんか休み時間にポメラとかいうやつでエロ小説書いてるっぽいの見ちゃってさ? それを先生に言ったら文芸部、教頭先生にお叱りを受けてストップしてるんだって! 超笑える!」


「えーすっごい気持ちわる! それ男子?」


「ううん、半分フランス人ですごくかわいい女子なんだけど、笑わないし当てられるたびキョドるし、すっごい気持ち悪い子!」


 おのれ陽キャ軍団め。他人の悪口を言うやつは破滅すると決まっているのだ。

 もしかしたら文芸部の様子を斜向かいから見ていたのかもしれない。なんだかすごくムカついてきた。

 ただ早川も陰キャなので陽キャ集団の演劇部にカチコミをかける勇気はない。どうしたものだろう。なにか策はないか。


「おい。お前はなんだ、覗きか?」


 唐突に演劇部の整った顔のやつに声をかけられ、早川は思い切り挙動不審になりながら、ここまでの経緯を整った顔のやつに説明した。

 演劇部の整った顔のやつは早川と同じクラスで、確か寺山とか言ったと思うが、早川は他人の顔と名前を覚えるのが苦手なのであった。


「ふーむ。うちの部員の告げ口が文芸部の活動禁止のきっかけになった可能性かあ……見ていいと言って出したわけでない文章を覗き見するのはいい趣味とは言えないな」


「分かるのか?」


「分かるよ。俺は1年生からずっと演劇部の座付き脚本家をやっているからな」


 整った顔のやつ改め座付き脚本家はニヒルに笑ってみせた。

 座付き脚本家は少し悩んでから、ぱっと体を翻して歩き始めた。早川はそれを追いかける。


「お、おい、どこに行くんだ?」


「職員室だ。事実誤認だと教頭先生に説明する」


 そんなことで解決するとは早川は思っていなかったが、とにかく職員室に向かう。教頭先生はとろけるような顔をして、職員室の窓辺に飾られた熱帯魚に餌をやっていた。


「教頭先生!」


「どうしましたか寺山君」


 どうやら座付き脚本家は教頭先生にコネがあるらしく、教頭先生は素直にこちらを向いた。


「うちの1年生部員が文芸部員の子のポメラを覗き見して、勝手に官能小説だと思い込んだらしいんです」


「……ほう。ポメラというのは電子メモ機ですね」


「官能小説なんか書いていないらしいんですよ。見間違いです。だから許してやってくれませんか」


「……その電子メモ機を確認しないことにはどうしようもありませんね」


 教頭先生は熱帯魚に餌をやる手を止めた。手を軽くぱしぱしして、水中のエンドリケリー・ポリプテルスとかいう哲学者のような顔の魚が餌を食べるのをチラリと見た。


「じゃあ、これからその生徒の電子メモ機を確認しましょう」


 教頭先生はぐい、と身を乗り出す。

 早川は慌てた。そして教頭先生に言い返す。


「教頭先生は生徒の言うことを信じないのですか?」


「……君は、文芸部の早川君ですね。演劇部の寺山君を信じたいのはやまやまなのですが、文芸部は信用できないというのが私の認識です。下品で風紀を乱すようなものを書く。S級美少女だ、ざまあだ、痰壺だと」


 痰壺だけトーンが違う。座付き脚本家はよく分からない顔だ。

 とにかくしくじった、それが間違いないことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る