7 そのりくつはおかしい

 早川は自分でも、勝てない相手に喧嘩を売ったことは分かっていた。17年生きてきた程度の人間が、この、歳は分からないがずっと歳上であることは間違いない人に、言葉で勝てないことも、承知の上であった。


 しかしだとしても文芸部の「言論の自由」や「表現の自由」を認めず、あやねという素晴らしい才能による文章表現を「高校生が書いてはいけない」と、あやねのいち属性に過ぎない「高校生」を盾にして禁止しようとするのだから、そこははっきりと意見すべきところである、と早川は真面目に考えていた。


 きっともっときちんとした根拠や論理が、教頭先生にはあるのだろう。確かに自分たちは未成年で、コンビニの成人書籍のコーナーに近寄れば叱られる。それでも、自分から止められず出てくる表現なのだから、認めるのが筋ではないだろうか。


 教頭先生は眉根を寄せた。


「あなたがたの『言論の自由』や『表現の自由』は、高校生という身分の上にあるのです。この文芸部があなたがたに書く場所を提供しているからこそ、あなたがたは『言論の自由』や『表現の自由』といったものを享受できます」


「はて。あやねさんはついこの間この部活に見学に来て、そのとき自前のデバイスで書いた長編の作品をプリントアウトして持ってきました。部活以外の場所で書いた、と思うのが適当だと思うのですが、そこには『言論の自由』や『表現の自由』はないのですか?」


 教頭先生は顔色こそ変わらないが、激昂していることは薄々想像できた。

 ガキが生意気なことを言っていると思っているだろう。事実そうだと思う。屁理屈に近いとさえ思える。

 教頭先生は顔をぴくぴくと引き攣らせながら、「このことは岩波先生に伝えます」と言い、文芸部の部室を出ていった。


 やっちまったかもしれない。

 もっと大ごとにして騒ぐ気かもしれない。

 でもきょうのところはとりあえずの勝利だ。クッキーに手を伸ばす。紅茶は冷めていた。


「ありがとうございます、早川先輩」


 あやねが小さく頭を下げた。


「いやいや、あのままじゃ僕らの活動にも影響がありそうだったし……でも岩波先生大丈夫かな」


「まあ難しいことは気にすんな。クッキー食えクッキー」


 龍本に勧められるままみんなでクッキーをポリポリ食べた。龍本はときどきこうやっておやつを作ってきてティータイムを開催するのであった。

 さて、その日はずいぶん岩波先生がやってくるのが遅かった。なんだろう。部員一同、ちょっと心配しながら待っていると、くたびれきった顔の岩波先生が現れた。


「先に帰っててくれてよかったのに」


「やっぱり教頭先生に詰められましたか」


「……君ら、本当に教頭先生を論破したのか」


 どうやら、今回起こったことは、富士見愛読の脚本術の本で言うところの「ケーキはおいしく焼けたが小麦粉を使い果たして夕飯に食べるぶんがない」という状況のようだった。


 早川に論破された教頭先生は、小テストの採点をしていた岩波先生をとっ捕まえて、「文芸部員が生意気なことを言う」「文芸部員は教師への敬意が足りない」などとネチネチクドクド言い続けたらしい。それでこんな時間になったうえに、小テストに関しては残業、ということになってしまったそうだ。


「まあ教員採用試験受かったときから諦めてたけどね、残業に関しては……でもきっと教頭先生、もっと強い手に訴えるかもしれないなあ。それこそ廃部とか……」


「廃部にされる理由がないじゃないスか。部員はちゃんと4人いるっス。活動の実態だってあるっス」


「……そう、そうだな。それはその通りだ。うん……よもや抜けじの要石……」


 岩波先生はなぜか地震避けのおまじないを唱えた。それから、文芸部は解散になった。早川が校門を出ると、むこうから陸上部の長距離選手が校外ランニングから帰ってくるところだった。

 結構遅い時間まで溜まってたんだなあ。早川は運動部の活動もそろそろおしまいの時間であることに、ちょっとだけ驚いた。


 ◇◇◇◇


 さてその翌日。早川が登校してくると青い顔をした岩波先生と鉢合わせした。


「どうしたんですか」


「龍本がクッキー焼いてくるって本当か?」


「ええ……紅茶とかも好きで、高校の給湯室だとやかんから直に熱湯を使えないのが残念だって……」


「まずいなあ……教頭先生、それに言いがかりをつけてきたぞ」


 どういうことだ。龍本ティータイムのなにが悪いのか。他の文化部だって活動の合間におやつをつまんでいるところは多いらしいし、バレンタインデーやホワイトデーには盛大にお菓子が学校じゅうを行き来する。

 進学校ゆえの「自由な校風」というのが、この高校の美点だと早川は思っている。だから龍本ティータイムに言いがかりをつける理由が分からない。


「文芸部はなぜ公然と、作業の手を止めてクッキーを食べていたのか、それも勉強するべき家での時間に作ったであろう手作りクッキーを、と、教頭先生は言っていた」


「いや、そのりくつはおかしい」


 ドラえもんのセリフが出てしまった。

 家にいる時間は勉強していろ、趣味の行為をするな、ということではないか。しかもその理屈だとあやねが家で原稿を書いていたのも「家で趣味の行為をするな」の一言で片付けられてしまう。

 岩波先生によると文芸部は今週と来週の活動停止を言い渡されたそうだ。納得がいかない。早川はグループLINEとメールで部員全員に連絡した。もちろん全員納得がいかない返事が返ってきたが、これは決定事項なのであった。

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