6 言論の自由や表現の自由
さてその翌日。
文芸部はいつも通りまったりと活動していた。今年は春が早かったせいか、部室の中は少しムシムシする。
さすがに不快だったので早川が窓を開けると、部室の窓のちかくに植えられた桜の木からすごい勢いで毛虫が殺到してきたので、慌てて窓を閉めた。
あやねはとても真剣な顔をして、「ボロンに至る経緯」を書いている。
しかし早川のなかには、「ボロンに至る経緯ではなく、ボロンしたあとにやることの方が、あやねさんにとって興味を持てることなのではないか」という予感があった。
だからボロンする話を盛大に書いてほしい。
だがそれは部誌に載せられない。高校の文芸部の部誌に官能小説が載るなんて前代未聞だ。
しかし自由と多様性の時代になにを思っているのか。いいではないか、ボロンする話。それをこの子は書きたいのだ、とも思う。
それを応援したい。しかしそれは岩波先生に迷惑がかかる。もしボロンする話が部誌に載ってしまって、教頭先生が激怒したら、いちばん迷惑を被るのが岩波先生だ。
岩波先生への恩は深い。岩波先生はこの高校に赴任してきた最初の年から文芸部の顧問をやっているそうだ。そんな岩波先生に面倒をかけるわけにいかない。
「……ティータイムにしないか?」
龍本がそう声を上げた。
「ティータイム? 龍本パイセン、またなんか女子力の高いもの作ってきたんスか?」
「おう。バターとチョコチップたっぷりのクッキーだ」
「く、クッキーって作れるものなんですか!?」
あやねが素っ頓狂な声を上げた。
「作れるぞ? 分量をきっちり守ってオーブンの設定もきっちり守ればだいたい誰でも作れるもんだ」
龍本はリュックから平たいお菓子の缶を取り出した。中には大きめで、バターの香りがしてチョコチップたっぷりのクッキーがギッシリ入っていた。
ステラおばさんが青くなって逃げるやつだ。早川は思わず笑顔になる。龍本は紅茶を沸かした。何度だって言うがフランスの人に紅茶を勧めたら戦争が起きるのではないかと思うのだが、あやねはニコニコしているのできっと大丈夫だ。
みんなで紅茶を飲みつつ、作品の進捗を語り合う。
「オレはいまちょうど、中盤の山場でヒロインと海に遊びに行くあたりを書いてるっス。白いワンピースのヒロインと海辺でキャッキャするのは王道っスからね」
「俺ぁ勇者一向に見捨てられた通訳係が通訳の力で魔族と仲間になるところを書いてる。冒頭25パーセントくらいかね。これからざまあするつもりだ」
「僕は……いまはまだロボットが自我を持って歩き出したところを書いてるなあ……我ながら遅いんだよ……」
みんなの目線があやねのほうを捉える。
「えっと。いまは合体変形に至りたくないヒロインが男性に抵抗するところを書いています」
ふむ。
「じゃあ、合体するのを、それこそロボットの合体変形みたいにSF的に展開させるのはどう? じかに合体変形ととれないくらいに」
「アクエリオン作戦か……いいんじゃないのか?」
「あくえりおん?」
「ずいぶん前のロボットアニメだよ。ロボットが合体するとパイロットが気持ちよくなるの。『あなたと合体したい』みたいなキャッチフレーズがついてた。僕がオタクだから基本的な教養としてざっくり知ってるくらいだけど」
なお調べてみたところアクエリオンは2005年の作品らしい。高校生なら生まれてすらいないのである!!
「なるほど……それはよさそうですね。要するに男女の合体変形とわからなくすればいいんですね」
「それであやねさんの執筆意欲が保たれるなら構わないけど、無理しないでね」
「大丈夫です! わたしだって半分は『月が綺麗ですね』が愛の告白になる国の人間ですから!」
残りの半分は愛を語る言語のお国柄なのだが。えねっちけーで放送されていたフランス発のミステリドラマ「アストリッドとラファエル」のラファエルは男性関係がややこしやだったのだが……。
クッキーをポリポリしつつ紅茶をすすっていると、誰かが部室のドアを開けた。岩波先生だろうかと顔をあげると、そこにいたのは教頭先生だった。
「こんにちは、教頭先生」
教頭先生は部員たちの挨拶を無視した。
「文芸部はいつから茶飲み会になったのですか?」
「茶飲み会……これは小休止です。囲碁とか将棋の棋士だって対局の途中でおやつを食べるじゃないですか」
「比較する対象を間違えています。囲碁将棋の棋士は脳をフル回転させるので甘いものが必要なのです。あなたがたはただキーボードやタブレットに向かってカタカタするだけではありませんか」
どうやらバカにされているらしい。
早川の頭のなかに、メラメラポッポと怒りが湧き上がる。他の部員も似たような気分らしい。
「素行が悪い生徒がいると聞きました」
「オレのことっスか。確かに中学のころはヤンチャしたっス。でもオレはラブコメに出会って変わったっス」
「あなたのことではありません。あやね・フランセーズさんのことです」
「えう!?」
「あなたは高校生が書いてはいけないような小説を書くそうですね」
「そ、そんなことは、ないです!」
あやねは必死で否定しているが、教頭先生は失敗作の焼き物を割る職人のような顔をしていた。
早川は教頭先生に、思ったことを素直に言う。
「……高校生が書いてはいけないような小説、とは? 僕らには言論の自由や表現の自由があるのではないのですか?」
教頭先生の表情が、静かに引き攣った。
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