4 ツイッターで見た
どうやって、あやねの書く特濃官能小説を、岩波先生に穏便に読ませ、納得してもらったものか、早川はぐるぐる考えながら登校した。ぐるぐる考えてはいたがいちおう進学校の生徒でもあるので、ちゃんと授業で指されれば答えたし、課題だってちゃんと提出した。
さて放課後。早川が文芸部の部室に向かうと、岩波先生が難しい顔をしていた。
「どうしたんですか。そんな眉間にしわをよせて」
「これ、OBが置いてった原稿? 私はそんなに長くここに勤めてるわけじゃないから、もしかしたら官能小説を書くOBもいたのかなあ、って思ったんだが……」
岩波先生が取り出したのは、きのう文芸部に爆弾のごとく投下されたあやね作の官能小説であった。
うっかり忘れた自分を殴りたくなりながら、早川はなんとかその場を取り繕おうとする。少なくともこれがあやねの作品であるのは秘密にしなければならない。
「まあOB会とかないし調べようがないわけだけど……これは素晴らしい作品だと思うよ、高校生が書いて部誌に発表できるかはともかく」
これ、女子の書いた作品だよね? と岩波先生は詰め寄る。
「どうしてですか。プリントアウト原稿なのに」
「文中に『ウエッとなる』という言葉が『嫌な気分』という意味で出てきた。こういう表現は女性特有のものだ……と、ツイッターで見た」
探偵かよ、と早川は呆れた。
「もしかして、あやねさんの作品?」
秘密にしようとしたのは失敗なのかもしれない。どう答えるべきか考えて早川が黙っていると、元気よく部室の戸が開いた。入ってきたのはあやねだ。
なにか一つ否定しておけばよかった。あやねの笑顔を見て早川は悔やむ。
「こんにちは。……あれ? それって」
岩波先生は、紙の束を机に置いた。そしてちらりとあやねを見る。
あやねは一気に青ざめた。
信頼できない人に読ませたら酷い目に遭う。そう思っているのが伝わる表情だった。
もはや場を取り繕うのは不可能だ。
「文芸部には『言論の自由』と『表現の自由』がある。高校生らしいものを書け、なんて偉そうなことは言わない。これだけ精緻で美しくて、内容に合う筆致で描かれた小説にはなかなか巡り逢えない。だから、恥ずかしがっちゃいけない」
あやねは真っ青な顔をしたまま後ずさりした。そしてそのまま文芸部の部室を飛び出した。追いかけねば。
早川は慌ててあやねを追いかけた。顔をあげるが見当たらない。どこだろうと思ったら、部室からすぐの廊下ですっこけてその場で泣き崩れていた。
「あやねさん、大丈夫?」
早川はそう声をかけた。
「岩波先生があんな怖い顔するなんて。きっと怒られるんだ。高校生らしいものを書けって叱られるんだ」
早川はあやねに手を伸ばした。
「大丈夫。岩波先生はそんなこと言わないって言った。怒るどころかすごく褒めてたよ」
「でも早川先輩はちょっとずつ薄めて読ませて慣れさせようっておっしゃったじゃないですか」
あやねは涙をこぼしながらそう語った。早川はかがんで、あやねと目を合わせた。
どうやら先生に内緒にしようとしたのは、大悪手であったようだった。
「そんなことをしなくて済んでラッキーだったと思うしかない。少なくとも今は。戻ろう」
「でも……先生って、そういうふうに信用して大丈夫なんですか?」
あやねは教師というものはそういうふうに信頼してはならないものだ、と言いたげである。
早川はあやねの手をとって立ち上がらせながら、ぼんやり(きっとあやねさんはハズレの先生しか見たことないんだろうな)と思った。
教師はガチャだ。ハズレを引けば最低一年、ハズレの先生と過ごさねばならなくなる。パワハラ、セクハラ、体罰、そういう行為が公然と行われてしまう。
最近でこそ親からの報告でそういうハズレ教師を動かしたりはするが、それでもハズレはハズレだ。受けた傷が治るわけでない。
早川先生がハズレ教師でないことを説明する。
「大丈夫だよ。岩波先生はウルトラレアないい先生だ」
「うるとられあ」
ソシャゲはやらないのか。
「すごくいい先生、ってこと」
あやねと部室に戻る。岩波先生はあやねの原稿を机に置き、ドライバーで机のネジを締めていた。
「逃げなくていいんだよ。先生はこういう素晴らしい才能が文芸部に入部してくれて嬉しいくらいだ」
「あ、ありがとうございます……」
「早川もその場を誤魔化すなんてしなくてよかったんだよ。あやねさんの文学的才能はまぎれもないものだ。龍本風に言うなら『無双』だ。野生の才能だ」
「でも。こういうものを高校生が書いちゃダメなのは、きのうの先輩たちの反応を見れば薄々わかることですし」
「なんで高校生が書いちゃだめなんだい? 美術部に熱心に来る子たちはみんな男色の漫画を描いてるそうだよ?」
男色の漫画て。それはボーイズラブというのだ……。
「早川、龍本や富士見もそうなんだけど、あやねさんの才能を我々教員が潰そうとするとでも思って、秘密にしようとしたのか?」
早川は素直に認めた。文学青年3人組も、先生というものを信頼しきっているわけでなかったからだ。
それをわかっている、という顔で、岩波先生はネジの締め終わった机をぱんと叩いた。
「この文才は隠しようがない。だよね、あやねさん」
「……よく、わかりません」
あやねはうつむいた。
「最初は家族やクラスメイトでなければ、小説を好む人になら読ませていいと思っていたんです。でも大人に原液で読ませちゃだめだ、薄めて小出しにしよう、って提案されて、それがいちばんいいやり方だと思ったんです」
「フーム。先輩たちはいらないおせっかいを焼いたわけだ。まあ気持ちは分かるよ、美術部の岡本先生だってあんまり生々しい男色漫画はやめなさいって言うらしいし」
岩波先生は天井を見つめた。
「ちわーっす」
「こんちわー」
なにが起きているのか知らない龍本と富士見が現れた。この現状をどう説明したものか、早川は頭をかかえた。
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