3 文学少女などという生ぬるいもの

「それがですね、原稿に龍本が見事に紅茶をこぼしてしまって。インクが流れてさっぱり読めなくなっちゃって」


 とっさに早川は嘘をついた。あやねが岩波先生に「不健全である! よって3日間の停学!」などと叱られるのを防ぐためである。

 まあ岩波先生は古文の授業で実際に「平安時代は恋して短歌作ってセックスするのが仕事の時代なので」とさらっと言ってのけるひとなので、おそらくあやねの原稿を読んだとて怒らないだろう。

 しかし岩波先生とて先生、つまり教員である。不健全と罵ることはなくても「もうちょっと高校生らしいものを書いてほしい」と言うだろう。

 そういうことで、あやねの才能を潰したくない、というのが早川が一番に考えたことであった。


「なーにやってんだよ龍本〜!!!! やばい才能確認したかったのになあー!!!! それ手書き原稿?」


「原稿自体はポメラに入っているので……」


 あやねが小声で言う。


「ポメラ? オシャレなもん使ってるねえ。キングジムのファイルなら職員室でも使うけどポメラかあ……あ、入部届にハンコすればいいかな?」


 この学校では部活に入部する際、顧問と担任と部活主任のハンコが必要である。あやねは恐る恐る入部届を取り出し、岩波先生のハンコをもらっていた。ハンコというかポケットから出てきたシャチハタをポン、だったが。

 あやねはもう入部届に名前と「文芸部」と書いていた。早川は意志の固さを感じた。書かれた「あやね・フランセーズ」という名前を見た岩波先生はふむふむと納得した。


「フランセーズさんかあ。いいねえ、文学少女って感じで」


「あやねで大丈夫です」


 そしてあやねは文学少女などという生ぬるいものではないのだった。


 さて、部活が終わって下校の時間になった。4人して校舎の中を進む。早川は言う。


「あやねさんの素晴らしい才能は潰したくない。しかしこの学校では『もっと高校生らしいものを』と言われるのがオチだ」


「マジで映像研スね」


「えいぞうけん?」


 あやねが首を傾げる。


「未来の都市で女子高生がアニメつくる漫画っス。その女子高生たちも『高校生らしいものを』って言われて激怒してたっス」


「ごめんなさい、わたし漫画のことってさっぱり分からなくて。親が漫画とゲームは禁止、って決めていて」


「古風な家庭だな」


龍本がため息をつく。


「でもこっそり河原に落ちてる漫画を拾って読んでたんです。毎朝河原にアンリ……犬と散歩に行くので」


 河原に落ちてる漫画って、それはエロ漫画というやつではなかろうか。白ポストだ。

 そういうのを参考にあれだけの熱量の官能小説を書くのか……。一同、あやねのパワーに気圧されていた。


「あ、いえ、河原に落ちてる漫画は特別猥褻なのは知ってますよ? 図書館で藤子・F・不二雄の短編集とかは読んだので」


 いらない弁解に一同うむうむとなる。


「この才能を潰さず育てたら、公募なんて余裕だと思うンスよね」


 富士見がため息をついた。富士見はずっとラブコメラノベを書いてはライトノベルの新人賞に送り、結果すべて一次落選しているというのをよく嘆いている。


「どこか官能小説をアップロードできる媒体ってないのかな。ノクターン? とかムーンライト? とかそのあたりが妥当なのかな……でも俺はカクヨムしか知らねえんだよな」


 龍本はため息をついた。龍本はカクヨムでハイファンタジーをゴリゴリUPして書籍化を目指しているが、PV数はたいへん少ないのでロイヤルティプログラムでうまい棒すら買えないとよく自嘲している。


 早川はため息をついた。


「とにかくしばらく、岩波先生には徐々に慣れてもらおう。ちょっとずつ小出しにするんだ。最初からあんまし濃ゆいのをぶつけるのはきっとよろしくない」


「そうですね……分かりました。えっちなのは控えめにして、高校生らしく明るい作品を書いてみるのに挑戦します」


「別に高校生らしくなくていいんだ。それがあやねさんの持ち味なんだから。ただ先生にいきなり原液を浴びせちゃだめという話」


「ふむ……」


 そんなことを話しているうちに昇降口まで来た。てんでに別れて下校していく。

 早川は、どうやって岩波先生に、あやねの書く特濃の官能小説を叱られずに読ませたものか、悶々と悩みながら帰宅し、夕飯を食べ、課題を終わらせ、ぐっすり寝た。


 ◇◇◇◇


 さて時間は少し戻って、文芸部の部室から部員が全員出ていったあとの夕暮れの時間である。

 岩波先生はなにやら机がガタついていることに気づいた。脚のネジが一本ゆるんでいる。こりゃドライバーを出してきて締め直さねばならないなあ、と机の中をふと見ると、分厚い紙束が突っ込まれていた。

 なんだぁ? と岩波先生は机の中の紙束を取り出す。誰かの書いた小説のようだ。出来上がった部員の作品はだいたい見ているので、早川がSFを書きがちで、龍本がハイファンタジーが好きで、富士見がラブコメを書きたがることは知っていた。

 しかしそれにしちゃ湿度の高い書き出しだな。誰かOBが置いていったものだろうか。とにかく読み進める。

 読み進めるに従い、岩波先生は「やべぇもん読んでる……」と思い始めた。明日部員にどういうことか聞きたださねばならない、とも。

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