2 なんていうか……官能小説です

 突然の美少女の登場に、奥手文学青年3人組は色めき立った。色めき立った、というか、ぎょっとした、というか、びっくりした、というか。


「あの。ここって文芸部でいいんですよね」


「う、うん。ああ、き、昨日バスケ部のウェーイに絡まれてた」


 女子生徒は花の咲くような笑顔である。


「きのうはありがとうございました。お礼も言えなくてごめんなさい」


「や、やあ、気にすることないよ。ここ、もともと進学校のはずなのにスポーツに力を入れ始めてああいう輩も入学してくるんだ」


 なんとかこの、自称「ラブコメ教徒過激派」富士見言うところの「S級美少女」を文芸部に引き込まなくてはならない。3人は無言のまま意見の一致を見た。


「まあ入りなよ、お茶飲もうぜ」


 そう言って龍本が女子生徒を部室に入れた。女子生徒は部室に入るなり分厚い紙の束をばさっと机の上に置いた。

 龍本はその間に、ポットに汲んであったお湯でこだわりの紅茶を淹れていた。龍本は紅茶が好きで、よく隣町の専門店まで紅茶を買いに行くのである。ただこの学校の設備では熱々のヤカンからじかに紅茶を沸かせないのが不満なのだそうだ。


「わあ、いい匂い」


 女子生徒は微笑んだ。きみのほうがいい匂いだよと早川は思った。

 よく見ると女子生徒は髪の色が少しブラウンがかっていて、瞳も涙のような灰色だ。この学校は当然ヘアカラーもカラコンも禁止である。だとしたら親が海外にルーツを持つのかもしれない。


「名前は何ていうんだい? 僕は早川冬樹で、文芸部の部長。こっちの紅茶好きが龍本武巳。こっちの2年生が富士見明」


「えっと。わたしはあやね・フランセーズと言います。父がフランス人なんです」


 フランス人に紅茶を勧めるのは第三次世界大戦が勃発するやつではないのか……? と早川は思ったものの、龍本の淹れた紅茶を、あやねはおいしそうに飲んでいる。


「あの。わたしの原稿、読んでいただけませんんか?」


「もちろん。どんなのを書くの?」


 早川はテーブルの上に置かれた原稿をとった。少々下手くそでも褒めてあげよう。そして入部させるのだ。


「なんていうか……官能小説です」


 龍本が紅茶を噴きそうになった。

 富士見はあごが外れんばかりのポカン顔である。


 まあ少々わいせつな単語が出てくるだけだろう。その点に関して、早川は筒井康隆のSFの下品なやつに鍛えられている。少々の山なしオチなし意味なしぐらい平気だ、そう思って原稿を開く。


 それは、湿度のある筆致で、じめっ……と、淫靡かつ濃密な男女の性交渉を描いた、紛れもない官能小説であった。


「うわあ……」


 早川は言葉に詰まった。天才だ。10代の女の子が書くものではない。ここにいるのはまぎれもない天才作家だ。

 早川は黙って龍本に原稿を渡す。


「……すげ」


 龍本は生唾ごっくんの顔をしていた。龍本はそれを富士見に渡す。


「……うおッ」


 富士見は大変わかりやすく鼻血を出した。あわててティッシュペーパーで鼻を押さえる。


「……つまんないですよね。きっと先輩方と違って小説のていを成していないでしょう」


「い、いや。これは才能だ、素晴らしい才能だ。こんな文芸部なんかにいていい才能じゃない。僕らでは敵わない圧倒的な才能だ」


 早川は早口でそう言った。たしかにあやねの書いた官能小説はプロ級のレベルであると思われる。少なくとも18禁小説をダウンロード販売できるサイトに置いたら相当稼げそうだ。

 あやねはキョトンとしていた。きっといままで誰にも作品を見せたことがなかったのだろう。まあこの作風では親きょうだいに見せることはできまい。


「すごいね……」


「すごいっスよ……」


「あの、もしかして、わたし……褒められてるんですか?」


「もちろんだよ! こんなに上手い小説、なかなか書けるものじゃない!」


「えっ、ほ、ほんとですか!? お世辞とかじゃなくて!?」


「お世辞抜きに絶品だぜ」


 龍本が紅茶をぐいーっと煽った。


「レベル高いっスよ、あやねちゃんさん……」


 富士見が「〜っスよ」の口調になるときは、相手へのリスペクトがそうさせる。


 あやねの書いた官能小説は、奥手文学青年3人組に感動に近いなにかを与えていた。もっと言えばシンプルに興奮していた。いろいろな意味で。


「わ、わたし……まわりの人になにか褒められるのって、ほとんど生まれて初めてで。そっか、褒められてるんだ……!」


 あやねは白い頬を紅潮させて、涙色の瞳を輝かせていた。よほど嬉しかったらしい。

 そうやっているとガラガラーと戸が開いて、岩波先生が現れた。慌てて早川があやねの原稿を机の中に隠した。


「お? 部活見学来てるのか? しかも女子だ。こんなむさ苦しいタコ部屋みたいなところより、演劇部とか美術部とか吹奏楽部とか、そういうキラキラしたところがいいんじゃないのか?」


「センセ! この子の才能マジやばいっスよ!」


 富士見が早口であやねのことを説明しようとするのを早川は慌てて止めた。さすがに新一年生の女子が官能小説を引っ提げて部活見学に来た、というのはどうかと思われたからだ。


「岩波先生、キラキラしてるっていうのは褒め言葉じゃないですぜ」


 龍本が穏やかにそう言う。あやねも頷いていた。


「才能がやばいってことは、なにか原稿を持ってきたのか? 先生も見ていいか?」


 あやねはちょっと困った様子で、岩波先生と早川を交互に見た。早川は表情でだめだ、と伝えた。教師たちからしたら自分たちは子供だ。大人からしたらこれは子供が書いていいものではない、そう思ったからだった。

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