11話 残された時間、僕らにできることは

 急いでニーナを寝室の布団に寝かしつけた後、暴走の緩和剤であるオキトシンという薬剤を水月はニーナに注射していた。それでニーナの容体は落ち着き、痛そうにしていた頭も特に異常はなくなり、時計の短針も正常通りの動きをしていた。だが、今はよくても時間稼ぎにしかならない。いつまた暴走の兆候が見られるかもわからない。もし次発作が起きれば、自我を失って攻撃的になるのも時間の問題だろう。


 僕は水月が介抱している間、課長に電話で報告する。回収の段取りも滞りなくするようにということと、最悪強硬手段での回収の準備を進めるようにと言伝された。当然だろう、こんなにも兆候が顕著に出ているのだから、悠長にしているわけにはいかない。


「加賀さん」


 水月がニーナが寝る布団の傍で彼女の手を握りしめる加賀に向かってこう言う。


「もう時間がありません。回収期限自体はまだですが、幼い年齢のエンティアはプログラムの仕様上早くに暴走が起きやすい現象が多々あります。理由としては、子供の動きを模倣するためよく寝ることが原因だとされています・・・。なので、ニーナはもう」

「わかってるさ・・・! すまないが、少し1人にしてくれないか・・・?」

「・・・・・・・わかりました。今日は緩和剤を入れたので恐らく1日目を覚まさないはずです。なので暴走の危険はないかと思います。明日の11時に様子を見に来ますので。その時は、申し訳ありませんが、回収の強行をさせていただきます」

「ニーナの前でそんな話はやめてくれ・・・! わかったから今日はもう帰っておくれ!!」


 そんな声が廊下にまで響いてきた。大丈夫かと扉を開けて中を見る。水月が立ち上がってお辞儀をしているのが見えたので、今日は一度帰宅ということになったみたいだ。


 寝室から廊下に出て水月と僕は並んで玄関に向かう。水月の表情は暗く、事情を聴くのにここの家の中では厳しそうなので、黙ったまま玄関を目指す。


「すみません、僕おトイレだけ借りていきます」

「節操がないですね・・・。どこにあるか私は知らないので、しらみつぶしにでも探してください。車で待ってます」

「はい・・・」


 もうゴタゴタで漏れるのを我慢していたせいもあり、正直限界が近かった。水月が外に出た後、廊下の扉を順番に開けていく。加賀さんに直接聞ければいいがあの状況だ。今は声を掛けるのはよそうと思って探すことにする。こうやって扉を開けていくと空き巣の気分になるが、今はなりふり構ってられない。


 と、3つ目の扉を開けたとき妙な部屋に着く。家具などは一切なく、奥にただぽつんと置かれている何かを発見した。


 仏壇だ。線香は昨日からまだ新しくしていないようですでに火が消えてしまっている。そしてその仏壇の中にある遺影。どこかで見覚えがある・・・。


「この子、ニーナにそっくりじゃないか・・・」


 瓜二つ、とはいかないものの顔の骨格や笑った表情、目と鼻の位置までそっくりだ。ニーナが短髪なのに対してこの子は腰くらいまで髪がある。笑ったその子の表情はどこか引き付けられる魅力があった。しかし年齢は明らかにニーナとは違う。中学生くらいだ。名前は萩野 春香。


 と、ここでいよいよ僕の膀胱は限界を迎えそうだったので急いで部屋を後にしてトイレ探しに没頭した。次の部屋がようやくトイレで、何とかやらかさずに済んだ。



「遅かったですね」

「結構トイレ混んでて・・・」

「なんで家でトイレが混むことがあるんですか。何か探してたんじゃないですか?」

「ま、まさか・・・。そんなこと」

「あるんですね。はぁ、あまり契約者の家を物色しないでください。それで訴えられたらどうするつもりですか」

「すみません」

「で・・・。何かわかったことありますか?」


 言うか迷った。だってあれは恐らく加賀さんにとっての触れられたくない過去なのだろう。ニーナに執着する理由ももしかしたらあの女の子に関係しているのかもしれない。それを話して解決するならまだいいが、触れられたくもない過去に踏み入って、それこそ加賀さんの逆鱗に触れるようなことになれば。どんな結果になるかも想像できない。


「葵君」


 悩んで決めきれない僕に、水月はそっと言葉を投げかける。


「言いたくないのだったら無理にとは言いません。話して絶対解決できるとは言えませんけど、あなたは加賀さんに信頼されているのだと思います」

「そんなことは・・・」

「何を見たんですか?」


 挑戦的な眼差しを向けられて僕は思わず視線をずらす。


「葵君」

「・・・関係あるかは、わかりません。遺影を見たんです、ある一室で」



 そこから僕は居間で2人で話した内容と遺影の件、まとめてすべて話した。僕がすべて言い終えるまで水月は一切口を挟まなかった。何かを言うわけでも肯定するわけでもなくただひたすら聞くことに集中していた。


「っていう感じです」

「・・・話してくれてありがとうございました。加賀さんがなぜ一向に返却を渋るのか。その萩野さんって人に関係があるのかもしれませんね」


 僕も正直そう思う。あれだけニーナに似ているのだから、関係ないなんてことはないはずだ。それはきっと正しい。だけどそれを知って何かできるのか? 僕たち回収課にできることなんてあるのだろうか。それだけが僕が言うのを躊躇っていた理由だ。だって、これを言ってしまえばそれを知っても尚何もできない無力感を水月にまでも強要させてしまうのじゃないかと思ったからだ。


「私は大丈夫ですから」


 だからそんな一言が水月から発せられたとき、僕の心臓は跳ね上がった。心を見られたんじゃないかと思うほどにタイミングが合っていたから。水月は続ける。


「葵君が話してくれたおかげで、私は私の信条の元行動できる。もしこれで最悪の結果になったとしてもそれは葵君のせいじゃない。私も何もできなかっただなんて思わずに済むので」

「それって。何かできるかもしれないってことですか?!」


 僕は思わず車内でそう叫んでしまった。


「わかりません。これからそれを確かめに行く予定です、今日は残業になるかもしれませんが」

「そんなの何時間だってやってやりますよ・・・! ニーナと加賀さんのためなら、残業の1つや2つやってやります!」

「私は残業、あんまり好きじゃないんですけど」

「あ・・・すみません」


 そこで水月はふっと笑みを浮かべる。なにか策があるのだろう。ここは大先輩である水月に身を任せるのが吉らしい。


「とりあえず一度会社に戻ります、多分この時間ならギリギリ飯田さん残ってると思いますので」

「飯田さん? 飯田さんがどうしたんですか?」


 それにこたえることなく、水月は車を走らせた。





「はぁ?! 俺にハッキングしろってのかよ・・・!?」


 会社、時刻は18時過ぎ。帰ろうと玄関に出てきていた飯田を水月は全速力で止めて交渉に出ていた。水月は飯田の叫び声に苦言を呈す。


「声が大きいです・・・!」

「ああ悪い、てしょうがないだろそんなもの! ハッキングなんかしてバレたらどうすんだよ! 大体ハッキングなんてして何を調べるつもりだ? それに俺はハッキングなんて」

「飯田さんこの部署に来られる前は別会社でシステムエンジニアされてたんですよね? しかもエンティが使ってるシステム「ディネット」の開発者だとか」

「そうなんですか!!?」


 と、僕は思わぬ情報に飯田の3倍大きな声を発してしまう。水月に睨まれて僕は謝罪をするが、それを見送る前に飯田を正面にして話をつづける。


「なんでお前、そんなこと知ってんだよ」

「一色さんから。あの方と昔一緒に働かれてたんですよね」

「あいつめ・・・。口の軽い女はこれだから困る」


 食堂で飯田と一色が話していた時のことを思い出す。確かにあの時明らかに先輩後輩といった感じはしなかった。かなり親密な関係じゃないとあのやり取りはできないので、この話を聞いて妙に納得してしまった。


「そんなもの何十年も前の話だ。それに、今はエンティのシステムもアップデートの繰り返しで俺が知らない言語も使われてるはずだ。システム権限も引継ぎした時に消失しているし」

「ある契約者の家族構図と連絡先が分かればいいんです。それなら何とかなりませんか」

「・・・契約者のって、お前何するつもりだよ・・・。コンプライアンスもろアウトな案件じゃねぇか。嫌なこった、そんなのでしょっ引かれるなんてごめんだな。ほかを当たれ」

「そこをなんとか、お願いします」

「無理だって・・・。いや葵君もさぁそんな顔されても困るって・・・。できる出来ないの問題じゃないの。俺だって生活があるんだから、そんなハッキングなんて真似」


「話は聞かせてもらいました!」


 と、新しい声が聞こえてきて3人同時に肩を震わせる。これを奥村などに聞かれでもしたら一発停職処分な案件だ。だが、声の感じからしてもっと若そうな・・・。


「一色・・・!? なんでお前ここに・・・!」

「いや退勤時間なんですから玄関に来るのは当たり前じゃないですか・・・。そもそもそんな危なっかしい話をこんなところでしてるお三方のほうがやばいですよ」

「それもそうだな・・・、つか何の用だよ」


 一色はぐるぐると僕らの周りを一周しながらこう語る。


「いや、あの無口で仕事に対して何考えてるかわからない水月先輩が、ゴミで屑で変態でどうしようもない飯田先輩に対して懇願し、契約者のためにコンプライアンスをも違反しようとするその姿勢、素晴らしいじゃないですか」

「誰がゴミ屑変態のペテン師飯田だ!」

「いやペテン師なんて一言も言ってませんけど。灰塚さんの言うこと気にしすぎでは?」

「き、気にしてねぇから!」

「それよりもです。飯田さん、こっそりまだエンティのシステムハッキングしてますよね?」


 その一言で余裕をかましていた飯田の様子が一変した。何か後ろめたいことがある証拠だろうと、水月は2人の様子を見守る。


「何適当なこと言って」

「適当じゃないですよ、10年前に一緒にシステム開発してた仲じゃないですか。飯田さんは10年携わってなくても、私はついこないだまで最新のシステム言語やツールを使っていた人間ですよ。バレないとでも思いましたか? ここにきて2日で「あ、この人やってんな」って思いましたもん。痕跡残しすぎですよ、システム弄れる人がこの部署にいなかったからって」

「う、うるせぇ!」

「今回協力してくれたら、そのこと黙っててあげますから。どうします? 協力するかしないか、選んでください♪」

「・・・お前、ほんっとに10年前と変わってねぇな、クソガキめ・・・」

「それはお互い様ですよ」


 長い激闘の末、結論は出たみたいだ。飯田と、追加で一色が協力してくれるらしく、決行は今日の20時、社員寮の飯田の部屋で行われることとなった。

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