10話 説得の時間。そして―

「なんでわらび餅と煎餅なんだい。前の担当者からシュークリームを買っていけばいいと言われたはずだろう」


 居間に座ってテーブルを挟み、畳の上で僕と水月、加賀の話し合いが行われていた。さっそく差し入れを変えてきた理由を聞かれて、ここは僕がと水月に言って話す。


「昨日にお邪魔させてもらったときチラシが見えたんです。浜田商店のチラシで、少し古いものでした。で、そこに特製抹茶のわらび餅に〇を書いていたのが見えたので。もしかしたら長い期間あの店に行けずに困ってたんじゃないかと。商店の最新のものと比べてもチラシはもう1か月前のものでしたし」

「煎餅は? それならわらび餅だけでいいはずだろ」


 そう聞かれて僕は一度視線をテーブルに落とす。言うべきかを迷っていたが、ここで嘘をついて追い出されでもすればそれこそ水の泡だ。慎重に言葉を選びつつも僕は率直な思いを加賀に伝えた。


「以前ニーナさんに会ったときにその、加賀さんが腎臓を悪くされているとお聞きして」

「まったくあの子は・・・」

「今回のは塩分が控えめなものなので腎臓にも負担がかかりにくいものです。元々煎餅もたんぱく質が少なく持って来いのものですから。ニーナさんが煎餅好きかもっていうのも理由の一つです」

「・・・あんた」


 ひとしきり説明が終わり、加賀はそう言って僕のほうをじろりと睨みつけてきた。やはり病気のことは口に出すのはまずかったと思って脂汗をかいてしまう。


「おもしろいね」

 加賀から出た言葉はそれだった。何か文句を言われてトラブルに発展するかと思いきや、加賀は初めて笑顔を見せてそう言った。僕は緊張から解放されて肩をなでおろす。ただ水月のほうはここからが本番といった表情で本題に映る。


「今回はお招きいただきまして感謝します。何度もお願いに上がって恐縮ではありますが、回収の件、ご承諾のほどお願いできませんでしょうか」

「それはできないね。少なくとも今は無理な話だ」

「それはなぜなんですか? 理由をお聞かせください」

「あんたたちには関係のない理由だ。話す気は毛頭ない」


 あまりに勝手な言い分に僕は憤りを感じた。加賀の行動1つで近所の住民1人が犠牲になるかもしれないのだ。それは決して他人事ではないし、僕たちにも関係がある。それを加賀は関係ないと断言できる理由は何なのか。わからないでいた。


 その時、ふすまがバッと開かれて中からニーナが菓子を手に持ったまま居間に入ってきた。


「おばあちゃん、一緒に食べよう!」

「こらニーナ!! 客人と話してるっていっただろう! 勝手に入ってくるんじゃないよ」

「ごめんなさい・・・よかったらお兄さんたちと一緒に食べたいなって思ったから」


 もじもじしながらそう話すニーナは僕たちのほうにもチラッと視線をずらす。わざとらしい演技にも見えるが、8歳の子供ぽいその動きには加賀も譲らないわけにもいかなかったみたいだ。


「はぁ、わかったよ。お茶を持ってくるからお兄さんたちと話してなさい」

「やった」


 加賀はそう言ってキッチンのほうに消えていった。ニーナはさっそく袋に入っていた菓子類をテーブルに広げて水月のほうに座り込む。


「お姉ちゃん名前は?」

「わたし? 私は水月、水に月夜の月と書いて水月。こっちのお兄さんは葵」

「みつきさんにあおいさん、覚えた! お煎餅とお餅どっちがいい?」

「私はどっちでも・・・というかこれはお2人のために買ってきたものなので私たちが食べるわけには」

「いいのいいの、おばあちゃんもどうせそんなに食べないし。3人で食べちゃおう?」

「でも・・・」


 子供の対応に困り果てている水月は新鮮さもあり見ていて楽しかったが、横目で助けろという視線を送ってこられたので僕は焦ってニーナに提言した。


「とりあえず加賀さん、じゃなくておばあちゃんが戻ってくるまで待ってよう?」

「まぁ、おばあちゃんの取り分も確かに必要だしね・・・。わかった」


 やはり聞き分けのいい子だ。ちゃんと言われたことを守る、いい育ち方をしたのだろう。まぁエンティア対して何を言っているのかという話だけど。結局回収してしまえば元の人格は消えてしまう。まったく別の人間へと設定を上書きされてしまうのだから。過ごした5年間は契約者にとってはかけがえのないものでも、エンティアからしてみれば―。


「まったく、今日は騒々しい1日になりそうだね。そら、ニーナの好きな緑茶だよ」


 加賀がおぼんに乗せたお茶の入ったコップを4人分持ってきて姿を出す。ニーナはコップを2つおぼんからとりだして僕と水月に渡してくる。僕たちは「ありがとう」と一言言ってそれを受け取る。そこから僕たちは加賀たちとニーナを含めて4人でなんてことのない世間話を40分ほどつづけた。加賀は10分で追い出すと言っていたが、僕たちも総じてそんなことは忘れていた。


「ちょっと・・・そんなに押されたら危ないですから・・・!」

「いいじゃんみつきさん! もっと勢いよくさせちゃうからー!」


 話の後、大きい庭にブランコがあったので、それに水月とニーナは2人で交互に譲り合って遊び始めていた。居間から見える庭を僕と加賀は2人で静かに見守るような構図でゆっくりとしていた。時刻はもう17時を回ろうとしている。そろそろ会社に戻らないと心配をかけてしまうだろう。定時は18時なのでそこは心配ないのだが。


「そんなに揺らしたら危ないからね」

 加賀が大声でそう言う。


「本当に危なっかしい子だよ」

「わんぱくでいい子ですね」

「そそっかしいだけさ。聞き分けはいいけどね、目を離したらすぐにどこかに行きそうだから目が離せないのさ」


 我が子を見るかのような優しい眼差しで加賀はニーナを見つめる。いや、実際我が子なのだ、加賀にとっては。実際の子供がいるかは定かではないが、加賀の様子から察するにニーナには特別な感情を抱いている。それはいいことのような気もするが、僕たち側からすれば回収の邪魔になるその感情はやりにくいとしか言いようがなかった。


「いい育て方をされたんですね」

「何言ってんだい。あの子はエンティア、ロボットだよ? 元々そういう性格として生まれるように設計されるんだから。あたしがどうこうしようがあの子はあの子さ」

「僕、まだ実は入社して1か月も経ってないんです」

「本当かい? それにしてはさっきのチラシの件と言い煎餅の件と言い、洞察力と気の利きようは新入社員のそれとは思えないね」


 予想外の褒められように僕は「ありがとうございます」とだけ返答する。まぁ褒められるのは嬉しい。だけど、そんなことを言いたいわけじゃなかった。


「さっきの案件の方がそうだったんですけど、元々温厚な性格に設定されているエンティアを契約されてて、ただその子を奴隷みたいに扱ってる方だったんです」

「・・・酷い話だね」

「はい。で、実際そのエンティアはどうなったかっていうと、信じられないほどに粗暴な物言いをするエンティアになってしまってました。人と同じ心を持つエンティアだからこそ、投げ出される環境によっては善にも悪にもなるんだって思ったんです」

「そんなこともあるもんなんだね」

「はい。なのでニーナはすごく幸せだったんだと思いますよ」

「え?」

 加賀は僕のほうに視線をずらす。僕はその視線に正面から見つめ、ニーナのほうへ手を伸ばして指を指す。


 だって、こんなにも。


「ニーナ、楽しそうですよ」


 水月とはしゃぎまわるニーナを加賀は見る。まるで目に焼き付けるように目を見開いて。忘れないようにと言わんばかりに加賀はじっと、ずっと2人の姿を見やる。

 僕が指していた指を下ろして加賀の様子を見る。変わらず2人のほうを見ている加賀だったが、すぐにハッとしたような表情を浮かべたと思ったら地面に視線を移した。


「あたしは、なに、やってるんだろうねぇ」

「話してくれませんか? なんで返却をここまで拒否されるのか。何か理由があるんじゃないんですか?」

「・・・言っても無駄さ」

「無駄なんかじゃありません。きっと話してくれれば何かお手伝いができますから」


 加賀は僕の言葉に聞き入ってくれるが、返答はなし。また視線を地面に落として何かに考えふけるようにして黙り込んでしまう。これは説得失敗かと、諦めようとしたその時だった。


「ニーナ?!」


 突然、水月の叫ぶ声が聞こえてきた。加賀と僕は驚きのあまり2人して立ち上がって水月とニーナのほうへ顔を向けた。そして加賀がニーナに向かって名前を叫ぶ。


「ニーナっ!!!」


 ブランコで楽しそうに遊んでいたニーナだったが、地面に頭を抱えたまま倒れこんでいるのが目に飛び込んできた。急いで駆けよって彼女の様子を確認する。


「これは・・・」


 青い瞳、その片方が赤色に変色しつつある。そして回収端末である時計の短針がぐるぐるとあらぬ方向に回り狂っていた。

 明らかに研修で学んだ、エンティアの暴走の兆候だった。

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