7話 いつだってこの仕事はイレギュラー

 翌日、僕は見事に水月に軽蔑の眼差しで見られ、案の定僕のテリトリーは元通りになってしまった。トイレ洗濯風呂、すべて僕は外でしなければいけない。何なら自分の着替えはトイレですることになるのだから、これ以上間抜けな話はない。飯田のせいにしよう。あのチャラい人に感化されて僕はいつもとは違う言動をしてしまったのだ。悪くない、悪くない。


「あの葵君のきょとんとした顔! 傑作だったね! 1人でブツブツ言ってたのよしかも! 倫理的な問題があーだこーだ、試練がどうたらこうたらって。隠れてる時に笑いを堪えるのに必死だったよ」


 オフィスに出勤すると、さっそく水月を除いたメンバーが全員勢ぞろいで僕の悪口を言っているところを目撃してしまった。大笑いしているのは昨日僕をはめてきた一ノ瀬だった。


「おはようございます・・・」

「お、来たか下着フェチ男! 結構お前やるじゃねぇか、男だなお前も、それもむっつりスケベと来た! むっつりビキニ男だな!」

 何が面白いのか、飯田はキャッキャと大笑いしながら転げまわる。


「はい、僕はむっつりスケベです。変態です、今日も元気よくよろしくお願いいたします」

「ちょっとあんまりいじめてあげないでくださいよ・・・葵君も、その、むっつり、、スケベくんだなんて・・・」

 一色が笑いを抑えながらそうフォローしてくれているが、まったくフォローになっていないし、なんならさらに傷つくからやめていただきたい。僕は机にリュックを置いて水を出しながらそう切実に思う。


「俺は信じてたんだけど、自分の性欲の大きさを恨むことだよ葵君。俺は水月さんに提案して乗っただけ。俺は君の味方だから」

「だったらなんで昨日見逃してくれたなかったんですか・・・。鉢合わせしたときに速攻で売ったじゃないですか」

「だってそれはさ・・・、だって、面白すぎるからじゃん・・・! あんなの黙ってるほうが無理だって・・・! ごめんってごめん泣かないでよ!!」


 あの優しそうで謙虚なイメージだった一ノ瀬がこんなにも意地悪な性格だったなんて・・・。確かにこの2週間研修ばかりでまともに会話はしたことなかったから完全にイメージだったけど、正直ショックで泣きそうだ。



「水月先輩・・・怒ってますか?」

「怒ってません」

「怒ってますよね」

「怒ってません」


 怒ってませんと言うたびに運転する車のアクセルを回すので、僕は叫びながら謝罪に徹することしかできず、これを回収業務に出てから5分は繰り返していた。


「すみまあせんって・・・! 謝りますからその危険な運転やめてください・・・!」

「怒ってませんから!!」

「怒ってるじゃないですか!!!」



 というわけで、今日のスケジュールは下記の通りだ。


 11時 渡辺さん 回収の手続き。この契約者は昨日の時点で話がつき、回収も翌日でということなので予定通りに。


 13時 速水さん 昨日居留守を使って出てこなかった契約者だ。今日は見張りをして外に出てきた時点で話を聞くような流れ。対話できるかは不明。回収期限が今日の17時までとなっているのでかなり急を要する案件。


 16時 加賀さん 昨日の頑固おばさん。まずは話を聞いてくれるようにしないと。


 こんな感じだ。タスクの量で言えば簡単と言えば簡単だが、1件1件がしんどい作業が予想される。特に午後の2件は考えるだけで億劫になるほどだ。加賀さんに関しては話だけでも聞いてもらえればとは思うのだが。


「渡辺さん宅。もう着きます」

「了解です、ぱっと終わらせましょう」

「何をそんな悠長なこと言ってるんですか? まだ回収作業も1回しかやってないくせに」

「結構作業の流れも簡単でしたから余裕かなって思ったんです。しかも渡辺さんに関しては快く回収を受け入れてくれたじゃないですか。こんなに楽なことないですよ」

「気は抜かないでください。回収するまでが、仕事ですから」


 当然と言えば当然だ。だが、もう予約の時間まで取り付けて回収だけという状況なのだから、ここから駄々をこねられるなんてこと早々ないと思うのだが。まぁまだ現場入りして数日の新人が何をわかったようなといった感じだが。それでも僕は楽観的に構えていた。




「やられた」

「・・・これ、どういうことですか・・・?」


 渡辺さん宅はもぬけの殻で、住んでいた痕跡すらない状態だった。


「夜逃げ、よくあるケースです。契約満了の知らせが来た時点で、快く返却を引き受けたと見せかけて時間を作ってその間にエンティア共々逃げる。第8課に回ってくる案件だと時々あります」

「夜逃げって、それやばいんじゃないですか・・・?! だってエンティアの期限が過ぎればエンティアは・・・!」

「ちょっと、声が大きい・・・! 周りの住民に聞かれでもしたら大騒ぎになります。一旦車に戻って、整理しましょう」


 ハッとして手を口に当てて紡ぐ。こんな時に水月を焦らせるようなことを言ってもどうにもならない。彼女が一番、事の重大さを理解しているから。その理由は、彼女の言動から明白だった。


「一旦課長に報告します。少し待ってて下さい」


 1人で車に戻るようにと指示をされて僕は助手席に座り込む。長いようで短いようで、水月が帰ってくるまでの数分間は、正直生きた心地がしなかった。水月が帰ってくると、これまで見たことのないほどのレベルで落ち込んでいるのが目に見えた。


「大丈夫・・・ですか?」

「え・・・? ええ。とりあえずテックレントの本部には報告を出して、警察と連携して指名手配するようになるそうです」


 当然だろう。暴走したエンティアは最早テロリストと同様だ。強制シャットダウンすることもできなければ、コントロールすることも当然できないブレーキの利かない列車同然。人に害を与えることになるかもしれないのだから。


「きっと大丈夫ですよ。なんとか警察がしてくれますし、僕たちは僕たちができることをしていきましょう」

「・・・そうですね、はい。葵君の言う通りです・・・。しっかりしないとですね」


 ある程度活力が回復したのか、水月は顔をパンと両手で叩いて気合を入れ始める。


「それじゃあ、まだ早いですけど速水さんのご自宅に行ってみましょうか。普段行かないこの時間なら、もしかしたら出てくれるかもしれません」

 気合を入れなおした水月は、どこか頼れるお姉さん感を醸し出していた。




「はぁああ。たく、期限だの返却だの、そんな知らせばっかりだな」

「ご主人様、かなりポストにチラシが溜まっているみたいですが大丈夫ですか・・・? もしかして、私のことに関することなのではないですか?」

「大丈夫大丈夫。こちとら高い金払ってお前を買ったんだ。少しくらい期限が過ぎったって罰なんて当たりはしないさ」


 そう言って速水は寝転がりながらポテチを貪り、競馬レースの実況をタブレットで閲覧しながら更けていた。そして彼が雇っているエンティア、名前は付けられていないらしい。エンティアは周りに散らばる服やごみを片付け、締め切っていたカーテンを開けようとする。


「おいロボット! 何度言えばわかる?! カーテンはこの時間帯は開けるなって言ってんだろ? 回収屋にいることがバレたらどうすんだよ」

「も、申し訳ございません。ただ、もう1か月も太陽を浴びていないものですから・・・。太陽にさえ出れば、きっとまたお仕事をされる気力だって・・・」

「なんだ、お前も俺を馬鹿にするのか?! 会社の連中と同じように俺を寄ってたかっていじめようっていうのかああぁ?! 言っとくけどな、お前らエンティアに未来はねぇんだよ! 今だってエンティの表に出たらやばい話がいくつも―」


 ピンポーンと、甲高い音が部屋に響き渡る。この時間帯は回収屋は来ないはずだ。いつものでんきやガスの営業の訪問だとは思うが、念には念を。インターフォンから映像を確認する。


「宅急便です。えっと、速水 昭様のご本人受け取りになるので、エンティア以外のご家族様かご本人のサインが必要になりますのでお願いしますー」


 なんだ、いつもの宅急便か。何かネットで買ったか? 覚えがない、基本はまとめ買いしてるからこいつが持ってるような小さい小包では来ないはずなんだが。

 怪しい、回収屋は回収できるならどんな手段もやってのける連中と聞く。これはスルーかな。


 と思っていた矢先、エンティアがこういった。


「ご主人様、すみません。もしかしたら私の荷物かもしれません」

「ああ? 荷物ってお前、何頼んだんだよ」

「動的供給用のオイルです。今日までなので」

「ちっ、回収に合わせてオイルも調整してんのかよ・・・。流石にこれは受け取らないわけにはいかねぇな・・・。ロボット、もし宅急便の奴が変な動きしたら即効窓から飛び降りてどっかに隠れてろ」

「・・・・・・・はい」


 まぁ奴らも妙な真似はできないだろう。なんてったて俺は顧客だ。契約者だ。そんな人間を蔑ろにするほどあの会社も腐ってはないはずだ。


「はい。速水です」

「お手数おかけします。オイル用品です、お会計はすでに頂いてますのでサインだけお願いします」

「はいはい・・・これでいいか?」

「はい。ありがとうございました」


 そう言ってあっけなく配達員は帰っていった。やはりただの荷物だけだったみたいでほっとする。やつらもルート営業みたいにいろいろ回ってここに来るのだから、こんな朝早い時間帯にくるわけがない。それはこの1か月観察してわかっていることだった。


「こんな便利な道具、簡単に手放してたまるかよ」

「便利な道具も、使いようによっちゃ身を滅ぼすことになるってこと知ってますか? 速水さん」


 不意、後ろから男の声がした。配達員とはまた違う声音だ。閉じかけていた扉の隙間から足を差し込ませて、完全に閉じないようにさせている人間がいた。急いでチェーンをしようとするが、願い虚しく扉が完全に開かれる。


「テックレント回収課の水月と申します。回収の件でお話に上がりました」


 扉を勢いよく開けた男の奥に華奢な女性が佇み、そう淡々と告げた。

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