王者、福岡私立富滝高校との練習試合4

 俺は家に帰ってからも、バスケットボールを指に置いてくるくると回しながら美香のことを考えていた。


 いつものことなのに。中学のときと何も変わらない。だけど、こんなにドキドキすること、美香に対して戸惑うことはなかった。


「あぁー!!」


 自分でもびっくりするくらい、大きな声を出していた。


 ダメだ! バスケに集中しないと!!


「あんた、何、大きな声出してるの?」


 ん? 姉ちゃんの声?


「あれ? 姉ちゃん、帰ってたのか?」


 部屋の扉をノックもせずに開けてきた姉ちゃん。


「そう、また、すぐ戻るけどね。でも、今日はいる」


 姉ちゃんは、たまに帰ってくる。普段は大学の寮で暮らしている。たまに帰ってきて、母さんの手伝いをしている。


 俺が何もしないから、母さんも大変だからと姉ちゃんは言っている。


 失礼な。俺だってやる時はやるんだ!


「それよりも、何、大きな声出したのよ?」


 姉ちゃんは、じっと見つめる。


「えっ……?」


 俺は、姉ちゃんから目を逸らす。明らかに動揺した。見透かされているみたいだ。


 姉ちゃんは鋭い。だから、もう、バレているのかも。


「美香ちゃんだっけ? その子のこと考えてたでしょ?」


「はぁっ? そんなこと考えてねぇよ!」


 俺は、なんとか誤魔化そうとしたが、これはダメだ。ますます、姉ちゃんは俺を疑う。


「図星だな、こりゃ。あんた、ずっと一緒にいて、まだ、自分の気持ちに気がついてないんだ」


 姉ちゃんの呆れ顔を見て、俺は必至に抵抗する。


「別にそんなんじゃねぇし。ただ、中学の時から一緒だっただけだろ」


「はいはい、でも、自分の気持ちに気がついたとき、もっと強くなるよ。バスケも。人ってさ、大切な誰かがいると頑張れるんだよ」


 姉ちゃんは、俺の額を小突く。


「人だけじゃないけどね。今、当たり前にあるもの、大切なものに感謝できる人は強くなる」


 姉ちゃんは、高宮コーチみたいなことを言う。姉ちゃんもずっと感謝してたのかな。


「メディアはいろんなこと言ってるけど、あんたはあんた。自分のできることをすればいい。この逆境に感謝できる?」


「えっ?」


 俺は目を丸くしてしまった。


「あんたは辛いよね、兄ちゃんと比較されるしさ。でも、それは私もだったよ」


 姉ちゃんの告白に驚いた。姉ちゃんもそんなことがあったのかと。


「そうだよ、拓海の妹だってね。すごく悔しかったよ。だから、私はこう考えた。兄ちゃんの妹だと言わせないくらいの選手になれるチャンスを与えてくれてありがとうって」


「姉ちゃん、すげー考え方」


 俺は呆然とした。姉ちゃん、自分の苦しい状況にも感謝するなんて。


「美香ちゃんも樹のこと理解しようとしているのかもよ? だから、美香ちゃんにちゃんと感謝しなさい」


 姉ちゃんの言うことは理解できる。でも、最近、母ちゃんに似てきたな。


「姉ちゃんは苦しい状況でもよく感謝できたな」


 姉ちゃんはにっこりしている。なんだろう、堂々としてるというか迷いがない。


「そうだね、なかなか難しいね。でも、そういう苦しい状況だからこそ、ポジティブに考えたいよね。そんな時に感謝するとポジティブになる」


「それで、姉ちゃんは強くなったのか?」


 俺は姉ちゃんに聞いた。高宮コーチの指導を受けたことなんてあったか。そう思うほど同じことを言っている。


「うーん、強くなったと言われるとわからないけど、感謝するようになってから明らかにメンタルは変わったね」


 姉ちゃんを尊敬した。姉ちゃんも注目されていて、凄いなと思っていたけれど。どんな苦しい状況でも乗り越えられてきたのは感謝のおかげ。


「兄ちゃんだってそうしてきたんだよ。あんたは相当、プレッシャーだっただろうけどね」


「えっ?」


 姉ちゃんに言われて初めて気がつく。そういえば、兄ちゃんの苦しい状況を見たことがない。あえて、俺に見せなかったのか。


「兄ちゃんは兄ちゃんで偉大すぎるから凄い。でも、その分、期待が大きすぎるからプレッシャーが半端ない」


 姉ちゃんは何か悟っているかのようだ。どこまでメンタルを極めているんだ?


「それでも、あんたに辛いところを見せないのは、あんたに辛いことがあっても、ちゃんと前を向けるように見本になりたいからなんだってさ。兄ちゃんもあんたが比較されて落ち込んでいるのを知ってるからさ」


 そうだったのか。


「兄ちゃんもさ、ずっとNBAは無理って言われてて、諦めかけていたんだよ」


 姉ちゃんは、本当に心の変化に鋭いな。兄ちゃんのことも察していたんだ。苦しいことも、辛いことも。


「俺、全然、気がつかなかった。兄ちゃんのこと。兄ちゃんはいつも明るく振舞ってるし、前向きだったから」


「こういう苦しい時こそ、わざと明るく前向きに振舞うのよ。そうすると、脳が明るく前向きにって思い込むから」


 姉ちゃんはニヤリと笑う。


 兄ちゃんはわざと明るく前向きになっていたんだ。俺が勝手に兄ちゃんと姉ちゃんは特別だと思っていた。多分、メディアのせいもあるだろう。だんだん、脳が兄ちゃんと姉ちゃんは特別と認識するようになってしまったんだ。


 本当は兄ちゃんも姉ちゃんも特別じゃない。ひとりの人間なんだ。苦しい思いも辛い思いも俺だけがしているわけではない。何故、そんなことに気づけなかったんだろう。


 本当に俺はバカだ。


 そう気がついたとき、涙が溢れてきた。


「何やってるんだ、俺は……」


 美香も言ってたじゃないか。ひとりじゃないって。その意味も今ならわかる。


「メンタルは強くなろうと思って強くなるものじゃない。落ち込んでも、苦しんでも、そういうときに感謝できて、前を向くための言葉選びができるかだよ。それがメンタルを左右する」


 姉ちゃんは俺の頭をガシガシと強く撫でた。


「がんばれ! あんたには美香ちゃんがいるよ。それに城伯高校のバスケ部の仲間がいるじゃない」


「ありがとう、姉ちゃん」


 その夜、俺は何故か涙が止まらなかった。

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