凄腕のコーチがやってきた8

「ただいま」


 俺はそっけなく答えると、すぐに自分の部屋に行き、スクールバッグを置いて、制服を着替えた。


 雑にベッドの上に制服を脱ぎ捨てて、すぐにリビングに向かう。


「あんたも手伝って」


 母さんは手際よく料理を作り、皿に盛っていた。


「あぁ……」


 俺は面倒だなと思いつつも、自分でお皿をテーブルへと持っていく。母さんも大変だからな。


 俺には父さんの記憶がない。3歳の頃、父さんの不祥事で離婚したらしい。それから、ずっと母さんがひとりで育ててくれた。高校にも行かせてくれて、バスケもやらせてくれている。そのことは感謝しないと。


 俺には、21歳の兄ちゃんと19歳の姉ちゃんがいる。


 兄ちゃんと姉ちゃんはそれぞれ、大学でバスケをしている。


 兄ちゃんは、日本代表になりたいって言ってた。


 兄ちゃんも姉ちゃんも大学の寮で暮らしており、この家にはいない。たまに兄ちゃんからはラインがくるけれど。


 母さんって凄いな、ひとりで何でもこなして。


 俺は、料理を全部テーブルに置くと席に着く。


「あぁ、拓海たくみから聞いた? 今年の秋、アメリカの大学に編入するんだって」


「えっ? まだ、聞いてないよ、俺」


 母さんに突然言われて、俺はびっくりした。


 拓海は俺の兄ちゃんだ。兄ちゃんはメディアからも注目されている。


 バスケの本場、アメリカでNBAに挑戦するのではと、ずっと言われていた。兄ちゃんは黙っていたけれど、ようやく決意したんだ。


 アメリカの大学に編入するということは、NBAを目指すため。


 日本人がNBA選手になるのは狭き門だ。


 実際、NBAを目指して、アメリカの大学に行く人はいるが、NBA選手は、まだ、わずかに3人しかいない。


 そんなところにチャレンジしようとしているんだ。


 NBA選手、いいな。俺もなれるのかな。兄ちゃんがNBA選手として偉大な選手になって欲しい。だけど、このモヤモヤはなんだろうな。


 俺も兄ちゃんみたいになりたい。でも、兄ちゃんみたいになれないことが悔しいのか。


 ふと、ご飯を食べながら高宮コーチのことを思い出す。あのコーチ、来てくれないのかな。どうしても、あのコーチにバスケを教わりたい。


 そんなことを考えていたら、いつの間にか箸が止まっていたらしい。母さんの声でハッとする。


「樹、どうしたの? 箸止まってるけど」


「えっ? あぁ、食べるよ」


 考えるのをやめてご飯を食べ始めたとき、テレビからニュースが流れ始めた。


 そのニュースを見て、俺は吹き出しそうになった。


埼玉県立城伯高等学校さいたまけんりつじょうはくこうとうがっこう谷牧たにまき教員が暴行の疑いで逮捕されました」


「なんだって?」


 俺は耳を疑った。


 テレビの画面から、女子アナウンサーがもう一度、繰り返す。


「繰り返します。埼玉県立城伯高等学校の谷牧教員が暴行の疑いで逮捕されました」


「えっ? 樹、大丈夫なの? あんたのバスケ部のコーチよね?」


 母さんもニュースを見て、呆然としている。


「急なことだから、わからない……何があったんだ?」


 俺は、ただ、テレビを凝視していた。そのとき、ラインの通知音がなる。


 スマホを確認してみると、姉ちゃんからだった。


『谷牧ってバスケ部のコーチだよね、何があったの? いつも厳重注意で終わってたのに』


 姉ちゃんの名前は美香。姉ちゃんは母さんと同じで心配症だ。俺の高校で起きた事件で心配になってラインをしたのだろう。


 そうか、高宮コーチがなんとかするって言ってた。まさか、高宮コーチが警察に突き出したのか。


 今度は着信音がする。俺はスマホを確認すると、兄ちゃんからの電話だ。


 電話に出ると、兄ちゃんは単刀直入に言ってきた。


「おまえの学校の先生、逮捕されたけど、おまえは大丈夫なのか?」


「あぁ、俺は大丈夫だけど、まさか逮捕されるとは思わなかった」


 しばらく兄ちゃんと話したあと電話を切った。


 急に谷牧コーチが逮捕されて、俺の頭の中は真っ白だった。一体何が起こったのだろう。


 そんなことを考えていたら、結局、夜は眠れなかった。

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