第2話

 やや伏し目がちの三日月が出ていた。

 下弦の三日月は娼妓の眼に似ている。

 己が表情を隠すために瞳を見せない。

 妓楼に生きる、端女はしための定めでもある。

 冷え冷えとした風が吹き抜けている。

 川面を忍びゆく風に冬の匂いがある。

 その薄暗がりでも、川面に浮かぶ桜の花弁は白々と見える。

「親父、その鬼とやら。女子供を襲うというが死人は出ておるのか」

「へぇ、とんと存じあげまへんなぁ」ともう興味を失ったように、熱の入らない声音だ。

「左様か」

「ただの噂の類と、はあ」

 総司の脳裏に閃きがある。

「ではその噂の出所は存ぜぬか。襲われた女子供の口から出たものか、それを側で見ていたものか、あとひとつは・・」

 しゅん、と空気が鳴った。

 天空から、竿がやや斜めに振ってくる。

 並みの武者であれば避けられぬ。長刀では薙刀には敵わない。杖術にも敵わない。されどその竿の丈は長槍に近いものがある。

 それを立てていた長刀の柄で受けた。刹那に手首に重い感触がある。鍔と柄の角を竿に絡めながら、それを頭上に払い、掻い潜るように、総司は羽板を蹴って船尾へ飛ぶ。

 船頭は竿を持ち上げる。

 竿をさらに鞘で跳ね上げる。

 半弧を描いて鞘で打ち込む。

 折れない、やはり竿の軸に鉄芯がある。ではいよいよ、抜くか。

 竿が両岸の桜枝を打ち、花弁が雪花のように舞う。

 そう。枝が少なくなる箇所で誘った。最後のひとつは鬼自身が噂の元である、と。それが船が下り枝が川面にかかっている。

 乗った、のが運の尽きよ。

 しかし船頭もしたたかである。

 彼は艫船張ともふなはり板を踏み鳴らし、船体を大きく揺らした。喫水の浅い高瀬舟であり、しかも空荷で不安定さが増している。

 総司の踏込みが怪しくなるのを見越して、船頭は竿を右岸についた。

 その先端を支点にその身体が宙に浮く。総司は抜いた。だが届かない。それを見切り逆手持ちに薙ぎ払う。

 白刃は宙を掠めて、手応えはない。

 それは桜の吹雪の中に消え失せた。

 物音に驚いた犬が、烈火の如く吠えている。

 狐に化かされたようだの、まだゆらゆらと鳴動する舟上で総司は刀を納め、岸を上る手立てを考え始めた。


 高瀬舟は捨てた。

 舟を脚で揺すって、岸へと寄せて飛び移った。

 暇潰しにはなったものよ。それにあの船頭の身のこなし。あれを追ってゆけば、もっと無聊を慰めることになろう。

 舟を捨てる、つい先刻のことだ。

 はて、と船頭の立っていたかし板をめくってみた。彼の欲しかったものはその中にあった。

 空の財布が数個に、白粉の詰まった蛤があった。その香りをきいてみる。安物の唐物ではなく、白粉花の高級品である。さらに奢侈な紅を収めた蛤まである。とてもとても船頭の持ち物ではありえない。

 それを袂に収めて総司は壬生の屯所の方へ歩いている。

 遠く鶏が鬨の声を上げている。

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