第3話

 陽は既に昇っていた。

 壬生みぶの屯所までは一里半はあろう。

 街路は露に濡れていて、雨上がりに見える。

 朝靄あさがすみのなかで京長屋の通りでは煮炊きの匂いがしている。

 そぞろ歩きをしながら、総司は事の顛末を愉しんでいた。

 懐には空の財布と化粧道具を入れている。いや実はその財布は空に見えて、手応えがある。ひとつを開いて摘まみだし、ふふんと鼻で嗤った。羽の如くの軽きものが、武士の矜恃の如く重い。

 これでは死人も出ずば、盗人の届け出も出ないであろう。

 それは判る。

 しかしながらそれらの持ち主の技量を蔑視する。覚悟のなさ、胆力のなさを嗤うのである。確かに彼も逃げられてしまったが、まだ諦念に暮れてはおらぬ。必ずや炙り出してくれる、勝負は尽きてはおらぬ。

 壬生の屯所といってもまだ仮住まいである。

 江戸から上洛してきてまだひと月にならぬ。

 漸ようやく街路を尋ねずとも、ここに辿り着く程度の土地勘がある程度だ。それでなくともこの京という都は、能面のごとく似通った顔がありすぎる。してその顔色は好悪が練り混じったようであり、胸襟を明かすことなどはない。

 ただ田舎者としてすに見ているのは、肌身に沁みる。

 さてもさても。

 長屋門には壬生浪士組と墨書された看板が一枚のみ、それが身を立てる証である。それを潜って主家に向かう。表玄関の脇に控えるかの如くの四畳半の部屋がある。そこが総司の棲まう部屋になる。

 個室の扱いを受けているのは総司と、奥座敷にいる芹沢という、浮薄で淫蕩な、高飛車な奸物である。彼は座敷の八畳を得ている。

 総司の師である近藤も、先輩である土方らも相部屋となっている。

 総司が個室を得ているのは、腕が一番立つということであり、その室は浪士隊の盾の御役目があるためだ。そして彼は煙管の煙が大の苦手で、ときに激しく咳込むことがある。

 然るに。

 部屋割りが腕の順列であれば、芹沢の扱いは納得いかぬ。いずれ黙らせるかなと彼は考えている。


 開け放たれた表玄関から、自室に入る。

 緋色の文書机がひとつある。その右縁の漆が剥げて木目が覗けている。そこの前に座して、今朝方の獲物をポンポンと並べて眺める。そしてあの船頭の体術を脳裏に描くのだ。あの身の捌き方には癖が伴うが、只物ではない。

「お戻りでございますなぁ」

 戸外から鈴の鳴る如き声がする。

 立ち上がり、からりと障子を開くとそこに幼子を背負うた娘がいる。名を石井秩という。この壬生村の医師の、出戻りの娘である。余りに咳が続くので、医師に煎じ薬を処方して貰うときに知己になった。

 彼はこの娘に思慕している。

 壬生という京の縁にある小村に咲いた、水連の花を見る思いだ。彼女が背負うた子に、わざわざ彼は勝手にお京と呼んでいる。

「おお、息災か」

「なんですのん、大袈裟な」

 秩は手に携えてきた竹皮の包みを手渡した。じっとりと湿気を持ってまだも温かい。握り立ての飯のようである。

「誠にすまぬの」

 満足気に微笑む顔を見ると、総司は胸が満たされる。この娘だけは表裏がない顔をしている。

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