第32話

 議事堂近くの正門広場では、運動部たちがトレーニングをしている。


 サッカー部の才原優斗イケメンは並べたコーンを敵に見立て、ドリブルの練習。

 右へ左へ。ボールを巧みにコントロールしながら敵陣を突破する。

 彼の頭には仮想敵が見えているのだろう。たまにフェイントを入れていた。

 そんな彼を由良麻美ファンが間近から応援している。

 俺なら練習の邪魔になるから遠くへ行ってもらう。

 しかし、才原優斗イケメンは彼女の存在を気にも止めていないようだ。

 集中力が高いのか、それとも眼中にないのか、どちらだろう。



 陸上部の曽木八重乃巨乳は短距離走の練習。

 ときおりフォームを確認しながら何本も走りこんでいた。

 そんな彼女を潘英樹覗き魔が遠くからエロい目で窃視せっししている。

 彼女の胸が動くたびに、彼の瞳も揺れ動く。

 鼻の下をデレっと伸ばした情けない顔は、見ていて不愉快だ。

 この気持ちは同族嫌悪かもしれない。

 けれど俺ならば表情コントロールができるので、締まらない表情など他人に見せはしないのだ。



 狛勝人空手バカは上半身裸で型の稽古。

 拳や蹴りをくりだすたびにボフッボフッっと風切り音が鳴る。

 そんな彼を曽木八重乃巨乳は走りながら横目でチラ見している。

 アキレス腱を伸ばしながらチラ見。

 もも上げをしながらチラ見。

 クラウチングスタートのポーズのままガン見。

 筋肉フェチにも程があるだろう。



 新体操部の鬼頭日香莉アイドルは回転技やジャンプ技は危険なので柔軟体操をしている。

 立った状態で片足を開く。

 足は真横の位置を通過し、Y字バランス。さらに足は天を指し、I字バランスになる。

 そのまま体を前に倒しつつ背中をそらす。

 あげている足を背中越しに両手でつかむ。その姿は横から見ると数字の9に見える。

 信じられないほどの体の柔らかさだ。

 そんな彼女を出淵旭アニオタが双眼鏡で観察していた。


 え? アイツ、鬼頭日香莉アイドルが好きなのか?

 隠れファンが大勢いるのはしっていたが、よりによってアイツかよ。




 連城敏昭野球バカはバットを振っている。

 その姿を議事堂の影から亀ケ谷暁子エセ京都が見ていた。

 頭の上から小さなハートがプカプカ浮いているような、恋愛ボケしただらしない表情だ。


「ぅおいっ!!」

「ひやぁいっ!!」


 彼女は突然声をかけられ、ひどく驚いている。


「に、苦瓜にがうり君かぁ。驚かさんといてや」

「いつになったら連城れんじょうに告るんだよ」

「心の準備ができてからどす」


 なぜかムスッとした。


「声をかける勇気がないんだろ」

「おっきなお世話どす」

「そんな、奥手なキミに助っ人を用意した。先生よろしくお願いします」

「うむぅ」


 俺の背後にいた儀保裕之悪友は、生えていないヒゲをなでながら登場した。


儀保ぎぼ君に話したの?!」

「ワシは儀保ではない、脳筋博士じゃ」


 役になりきっている。


「遠征に出発する前、脳筋博士にはあるミッションをお願いしていたのだ。それは連城れんじょう丸裸大作戦!」

連城れんじょう君の丸裸?!」

「勘違いするでなぁ~い。あの野球バカから根掘り葉掘り聞き出す作戦じゃ」

「ああ……」


 なぜか彼女は残念そうだ。


「ワシは脳筋博士。野球バカのことならなんでも知っておる。遠慮なく聞くがよい」

「彼はホモですか?」

「最初の質問がソレかよ!」


 思わずツッコミを入れてしまった。


「だって、才原さいばら君とのうわさは有名やし」


 彼女は頬を染め、両手の指をからめてモジモジした。


「どうですか脳筋博士」

「うむぅ。限りなく黒に近いグレーじゃ」

「やっぱり!」

「じゃが安心するがよい。まだ一線は超えておらぬ」

「好きな人はおるんどすか?」

「いないぞ。アイツは野球しか愛せないバカじゃ」

「好きな女性のタイプは?」

「あえていうならボール。そもそも女性に興味がないのじゃ」

「あぁ……」


 彼女は悲しそうな表情になった。


「脳筋博士、彼女の恋を実らせるにはどうすればいいでしょうか」

「うむぅ。野球バカの価値観を塗り替えるのじゃ」

「どのように?」

「あのバカがなぜ野球に打ち込むか知っておるか」

「甲子園に出場するんが夢とちがうんどすか?」


 彼女は小首をかしげた。


「そこは通過点にすぎぬ。ヤツはかっこいい大人になりたいそうじゃ」

「もやっとした答えですね」と言いながら俺は腕組みをして考える。

「バカだからな。小さいころに見た野球選手がかっこよかったそうじゃ。選手の名前は……忘れた。――じゃからバカの記憶にあるカッコよさを塗り替えてやるのじゃ」

「おぉ~っ」


 儀保裕之悪友がまともなことをいっている。


「ワシに良いアイデアがある。亀ケ谷暁子かめがやきょうこよ、おぬし、どんな試練でも耐える覚悟はあるか?」


 彼女はゴクリと唾を飲み込んだ。


連城れんじょう君と交際できるなら、この身をなげうつ覚悟があるんや」

「その心意気、良し! ついてまいれ」




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 ここは亀ケ谷暁子エセ京都の自宅。

 気仙修司パンダにお願いして和室にしてもらったらしい。

 なので床には畳が敷かれている。

 家具を置いていないガランとした室内。

 部屋と言うよりは部室に近い。


「いいから入れって」


 外から儀保裕之悪友の声が聞こえる。

 ドアが開くと連城敏昭野球バカが姿を見せた。


 そんな彼を出迎えたのは着物を着た亀ケ谷暁子エセ京都

 大会に出場するくらい気合の入った振袖姿だ。


「おいでやす」

「えっ?」


 彼は困惑し、顔をひきつらせている。


「どうぞお上がりください」


 儀保裕之悪友に背中を押された彼は、靴を脱いで畳のうえにあがった。


「どういうことだ?」

「百人一首に興味をもってもらうのが今回の催しだ」


 儀保裕之悪友は、彼の背中を押しながら部屋の中央へ誘導する。


「かるたに興味はないぞ」

連城れんじょう、競技かるたを見たことはあるか?」

「ないが」

「そうか。ならいい機会だ、じっくり見ていけよ」


 儀保裕之悪友は彼を畳のうえに正座させた。




 彼の前に振袖を着た亀ケ谷暁子エセ京都が正座する。

 窓から差し込む光が艶やかな着物を優しく照らす。

 着物を間近で見るなんて、おそらく正月の初詣くらいだろう。

 非日常感は否が応でも彼の精神を刺激する。


 彼女はヒモを取り出すと、たすきがけをして振袖が暴れないよう体に固定した。


 俺と儀保裕之悪友は彼女の斜め後ろに立つ。

 いつもは下ろしているストレートのロングヘアは、運動の邪魔にならないようポニーテールにしている。


「読手は俺がやる。歌を詠み始めたらふだを取ってくれ」


 俺は二人にそう告げる。

 彼女は取り札とりふだを二人の中央に一枚だけ置いた。


「一枚なのか?」

「ああ。ふだを覚える必要ないだろ。速球に慣れているオマエなら取れるはずだ」

「余裕だ」


 速球という言葉に反応した。やはり脳筋バカだ。

 肩を回し、やる気を見せている。


「詠むぞ。き――」


 タン――。


 彼が手を出そうとした刹那せつな取り札とりふだは遠くに弾き飛ばされていた。

 彼女は飛ばした取り札とりふだを拾いにいく。


「は?」

「遅いぞ野球部。それじゃあエラーだ」

「いやまて、反則だ」

「競技かるたでは先にふだに触ったほうが取りなんだよ」

「それを先に言え」


 こんどは取り札とりふだを二枚置いた。


「『わが』と『ころも』で始まる下の句しものくだ。どちらか片方を詠む」


 本来ならば、詠まれた上の句かみのくから下の句しものくを予想するのだが、脳筋バカにそんな芸当はできない。

 なので俺は、彼女が置いた取り札とりふだの、どちらか片方を詠むだけだ。


「なるほど、これはおもしろいな」


 彼は愉快そうにニヤリと笑うと、少しだけ身を乗り出す。

 乗り気になってきたようだ。


「詠むぞ。こ――」


 彼が畳に触れる前に、取り札とりふだは遠くに弾き飛ばされていた。


「凄いな」


 彼は彼女のテクニックに驚嘆きょうたんしている。

 スポーツ選手の好プレーを見る子供の目だ。


 俺はわざとらしく大きな溜息ためいきをはいた。


「遅い、遅すぎる。やはり野球部ではかるた部には勝てないか」

「いや練習すれば取れるようになる」


 彼は少しムッとした。やはり野球部をバカにされるのは許せないのだろう。


「へぇ~っ、練習ねぇ~っ。野球じゃあ百本ノックがあるよな」

「ああ」

「百本かるたをするか」

「は?」

「今の要領で百枚連続で取るんだよ」

「なるほど、いいな!」


 やはり脳筋バカは練習が大好きだ。目を輝かせている。


「百本ノックを途中で止めるなんてありえないよな」

「もちろんだ、血反吐を吐いてでも取りつづける」

「よし、何があっても途中てとめるなよ」

「おう!」


 百本かるたが開始された――。


 儀保裕之悪友は家の外に出て玄関の前に立つ。

 練習の邪魔が入らないよう見張りをするためだ。


 亀ケ谷暁子エセ京都連城敏昭野球バカのあいだには、四枚の取り札とりふだが置かれた。

 取るたびに補充し、つねに四枚置く。




 いち枚、またいち枚と取り札とりふだが飛ぶ。

 彼女は息が荒くなっていた。


「はぁはぁはぁ」

「凄いな亀ケ谷かめがやさんは」

「お喋りしている暇はないぞ。次――」


 弾き飛ばした取り札とりふだを拾いにいくのは、取った人の役目だ。

 なので、ほとんど彼女が拾っている。


 重い振袖を着て、立ったり座ったりを繰り返す。

 額から噴き出た汗は、首筋をとおり、胸の谷間に流れ込む。


 その光景を彼はずっと見ていた。


 帯がゆるみ、前がはだける。

 もちろんこれはわざとだ。

 本来ならばヒモできつく縛っているので着物が着崩れることはない。


 俺は彼女の後ろに立っているので、はだけている姿は見えない。

 それに、取り札とりふだを拾いにいくときは目線をそらしていた。

 彼だけが、そのあられもない姿を見ることを許されている。


「おい苦瓜にがうり、これは――」

「集中しろ連城れんじょう。オマエは百本ノックを途中で止める根性なしか!」

「ぐっ……」


 生半可な方法では彼の頭から野球を消すなんて無理だ。

 それこそ度肝を抜く体験じゃないと彼の思い出に割り込めない。


 もし誘惑しようと彼の前で裸になっても痴女扱いされるだけ。

 ならば彼が逃げ出さないよう、かつ大胆な行動が必然となるシチュエーションを用意する。

 これが儀保裕之悪友の考えた作戦だ。


 俺は札を次々と詠んでいく。




 なぜか、途中から彼は札を取らなくなった。

 いや動けないのだ。

 勃起ぼっきしてしまい、立ち上がることができない。

 彼は目を閉じ、横をむいている。


「目をそらすな連城れんじょう。相手に失礼だろう!」

「だが!」

「百本ノックはひとりで行なうのか? バッターがいるんだろ? オマエは辛いからといってバッターから目をそらすのか! 打ってくれる人への感謝の気持ちはないのか!」

「ある!」


 彼は目を開き、練習相手を見た。


 着物の下がどのような姿なのか俺は聞いていない。

 だが、彼の反応から察するに、凄い姿なのは想像できる。


 彼の脳裏には強烈なイメージとして今日の思いでが記録されるはずだ。

 それこそ、練習中に思い出すくらいに。






 俺は百枚目の札を詠み終えた。

 彼女はフラフラしながら最後の札を取る。

 すると、そのまま畳のうえにつっぷしてしまった。


「おい! 亀ケ谷かめがや! だいじょうぶか?」


 競技かるたでは五十枚しか試合で使用しない。のこる五十枚は空札からふだだ。

 けれど今回は百枚を休憩なしで通した。

 この練習は彼女も初体験にちがいない。



 俺は畳のうえに小瓶を置いた。


財前ざいぜん特製の体力回復薬だ、飲ませてやるといい。俺たちは行くから」

「これ、どーすんだよ」

「オマエが看病してやれ」

「はあっ?」

「彼女がどうしてそこまで頑張ったのか、少しは考えてやれよ」


 連城敏昭野球バカは眉間にシワをよせながら首をひねっている。

 ここから先は二人次第だ。

 がんばれ――。


 おっと、【恋愛対象】に亀ケ谷暁子エセ京都を指名しておかないとな。

 もしかすると二人の関係が進展するかもしれないのだから。

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