第28話

 財前哲史サトリをめぐる新垣沙弥香ギャル乃木坂羽衣義妹との争いは泥沼化している。

 食料事情は改善されないままデッドラインが刻一刻と近づく。

 このままでは飢え死にしてしまう。


 ふだんの俺なら絶対にしないが、背に腹は代えられない。

 筒井卯月歌姫と話をしてみよう。

 俺の予想では、彼女の加護は魚に関係しているはずだ。

 土下座してでも魚を捕まえてもらおう。




 村では、川の水を下水処理と農園に利用しているけれど生活用水にはしていない。

 見た目はキレイでも細菌がいるのだ。

 なので生活用水は三門志寿漫画家が加護の力で出した清潔な水を利用している。


 各施設に設置してある給水タンクに水を補充するのが彼女の日課だ。

 作業には彼女の友人である筒井卯月歌姫がいつも同行していた。


 二人は食堂の裏にいる。

 巨大な給水タンクは三門志寿漫画家の倍くらいの高さだ。

 備えつけのはしごを使い、上へのぼるとタンクの蓋を開き水を注入する。

 筒井卯月歌姫は彼女の後ろ姿を下から眺めていた。




筒井つついさん」


 俺が声をかけると彼女はゆっくりと振り返る。

 腰まで伸びる艶やかなストレートの黒髪がサラリと広がる。

 クラスメイトに話しかけられたら愛想笑いくらいするのが普通だろう。

 だが、その表情から感情は読み取れない。

 無、だった……。


「珍しいね、苦瓜にがうり君が話しかけてくるなんて」


 俺ランキングでは学校内でダントツ一位の美声。

 柔らかく、けれど透明感のあり、いつまででも聞いていたいと思わせる。


「女子に話しかけるなんてめったにしないからな」

「へぇ~。そんな奥手な人がいったいなんの用かしら」

「この前、裕之ひろゆきが酷いこと言ったみたいだから、気になって」


 食堂で儀保裕之悪友が彼女を怒らせたのだ。

 アイツは土下座して謝ったと言っていた。

 いちおう許してくれたらしい。


「ああ、アレね。もう忘れていたわ」

「良かったら怒っていた理由を聞かせてくれないか?」

「良くないわ」

「え?」

「言いたくないの。理解できない?」


 筒井卯月歌姫は合唱部。

 食堂で行なわれたプチコンサートでは、悲しい片思いを感情豊かに歌い上げた。

 そんな彼女が、まるで別人のように涼やかだ。

 氷の女王が憑依ひょういしていると思えるほど、その声は俺の心を凍らせようとしてくる。


「怒らせてしまったのなら謝るよ」

「誰だって触れて欲しくない過去ぐらいあるでしょ。無遠慮に触れようとするから不機嫌になっただけよ」


 どうやら地雷を踏んだらしい。

 これ以上粘っても状況は悪くなるだけだろう。


「悪かった、もう聞かない」


 俺は意気消沈した演技をしながらトボトボと去る。

 そして、二人から見えない位置まで移動すると鍛冶屋へ急行した。

 部屋に入り、俺はスキルで姿を消す。


 きっとあの二人は俺のうわさ話をするはずだ。

 ヒントが掴めるのならば、悪口でも、陰口でも、好きなだけしてくれていい。

 不機嫌になった理由がわかれば攻略の糸口が見つかるかもしれない。




 透明な姿で二人の後を追う。

 次は銭湯に水を入れるようだ。


 男湯と女湯。もちろん入口は離れている。

 旅館の浴場で見かける青地の布に男、赤字の布に女と大きく書かれた暖簾のれんが入口にかけてある。

 いったい誰の趣味なのだろう?


 女湯の入口に『準備中』の看板を置くと二人は仲へ入る。

 俺は音をたてないようゆっくりと後を追う。




 浴槽に水を入れているのだろう。

 ドドドと地鳴りのような、けっこう大きな音がする。

 誰もいない脱衣場を抜け、浴室につながる引き戸を少しだけ開く。


 浴槽に入れているのは水なので湯気は出ていない。

 男湯と女湯の浴槽は小さな隙間でつながっている。

 なので、女湯に水を入れれば男湯にも水が溜まるのだ。


 三門志寿漫画家筒井卯月歌姫は浴槽の縁に座っている。

 水を入れているだけなので服は着ていた。




 湯船に水が溜まったのだろう。

 三門志寿漫画家が水をとめると、先ほどまでの轟音がうそのように、浴室が静かになる。


 見間違い?

 筒井卯月歌姫が彼女のほほにキスをしたかもしれない。




 いや、見間違いじゃない。こんどはクチにキスをした。


「ダメだよ、誰かに見られちゃう」

「大丈夫だって。準備中の看板出してるんだから、誰も入ってこないよ」


 筒井卯月歌姫の透き通るような声が、とても淫靡いんびに聞こえる。


「もうっ……」


 筒井卯月歌姫は彼女のメガネを優しくはずすと、浴槽のふちに置く。

 アゴをくいっともち上げ、クチビルを塞ぐ。


「んっ」


 三門志寿漫画家は抵抗するような発言をしているけれど顔は嫌がっていない。


 これもネトラレになるのか?

 試しに【恋愛対象】に三門志寿漫画家を指名してみた。


 【経験値】が増加している。

 どうやらネトラレ判定は男女の性行為に限定していないようだ。

 しかし、男女のソレとは違い、増加速度はとても遅い。


 小さな舌が絡み合う。

 粘性の高い水音が静かな浴室に微かに響く。


 息苦しそうな吐息が漏れる。

 三門志寿漫画家は目を閉じているが、筒井卯月歌姫は薄っすらと目を開いている。

 彼女を眺める瞳は、とても愛おしそうだ。


「んっ」


 二人の距離が遠ざかる。

 三門志寿漫画家はクチを開いていたまま。

 物足りなさを主張するかのように舌が出て。

 頬を染め、目は蕩けるように潤んでいた。


「足りないの?」

「うん……」


 ふたたび二人の唇がふれた。

 待ちわびていたかのように三門志寿漫画家が舌を激しく動かす。

 筒井卯月歌姫は舌を動かさず彼女の好きにさせている。


うーちゃん……」


 筒井卯月歌姫が動いてくれないのがじれったいのだろう。


「どうしたの?」


 筒井卯月歌姫は彼女のショートヘアに指を通すと優しくなでる。


「もっと……」


 おねだりする彼女を見て筒井卯月歌姫がほほ笑む。

 わざと焦らし、彼女の心を乱したのだ。


「んっ!!」


 筒井卯月歌姫が激しく舌を動かすと彼女は歓喜の喘ぎ声を漏らす。




 女子たちのキスを見て、初めて気づいたことがある。

 アダルトビデオに出演する男優の顔をまったく覚えていないのだ。

 キスシーンで男優の顔がアップになる。

 けれど目線を奪われたことがない。

 女優の表情ばかり目で追っていたのだ。


 今、俺の目線は激しく左右に揺れていた。

 二人の表情の変化を見逃したくないからだ。


 汚い男のいない清潔で美しい世界。

 そこはまさに楽園だ。


 初めての感情に胸がキュッと閉まる。

 男が邪魔。

 そう、俺の存在が邪魔なのだ。

 世界がオスを拒絶し、廃絶する。


 欲しいものに手が届かない悔しさ。

 触れることが許されない尊さ。

 そうか、これもネトラレなのかもしれない……。



 新たな体験に俺は激しく興奮する。

 それは【経験値】の増加速度を見れば一目瞭然だ。


 テッテレー♪テーレー♪テッテレー♪


 彼女たちのおかげで俺のレベルは上昇した。



 このまま二人の美しさに酔いしれていたいけれど、今日の目的はのぞきじゃない。

 あくまで交渉だ。

 【のぞき見】のスキルを停止し姿を戻す。

 俺は勢いよく引き戸を開いた。


筒井つついさん、やっぱりさっきの件、謝らせてくれるかな? ええっ!!!」


 我ながら名演技!

 偶然、彼女らの情事を見てしまった男子を演じる。


「キャッ!」と三門志寿漫画家が顔をそらす。

「ここは女湯よっ!!」


 筒井卯月歌姫はキッとした瞳で俺を睨む。


「準備中なんだから誰も入浴していないのは知ってたさ。それよりも、二人は、まさか」


 痴漢扱いされる前にたたみかける。


「ふふふ、二人は、つきあっているのかっ?!」


 大げさなくらいがちょうどいい。

 重大な秘密を知ってしまった感が出るからだ。


 彼女たちは俺から目線をそらしている。

 警戒されないようにゆっくりと近づく。


「安心してくれ誰にも言わないから。俺はLGBTに理解あるほうだと自負している」

「ホント?」


 筒井卯月歌姫が俺を睨んでいる。


「信用できない?」

「男なんて誰も信用できないわ」

「どうしたら信用してもらえるだろう」

「死んでよ」


 目がマジだ。すげ~怖え~っ。


「厳しいな。……そうだ、俺の秘密をひとつ教えるよ」

「その秘密の価値が高ければ信用するわ」

「いいだろう。俺は女の子を不死にすることができる」

うそよ」

「委員長の首についていた隷属の首輪、どうやってはずしたと思う?」

「知らないわ」

「首を切り離してから抜いたのさ」


 俺は親指で自分の首をかき切るジェスチャーをした。


「冗談でしょ?」

「真実かうそか、瀧田たきたに判定させてもいいよ」


 俺は不敵に笑う。これも余裕ある態度の演出だ。


「ホントのようね」


 筒井卯月歌姫の瞳から殺意の匂いが消える。

 けれど、俺にたいする不信感は拭えていないようだ。


「不死の属性は付け替えができる。いまは三門みかどさんが不死の状態だ」

「そのままでいいわ。志寿しずの不死を今後はずさないと約束するのなら、あなたを信用するわ」

「交渉成立と言いたいが、こちらの譲歩が少し高いね。筒井つついさんの加護を教えてくれないか?」


 彼女の眉間から力が抜け、眉毛の角度が少しだけ優しくなる。


「わたしの加護は水産よ」

「やっぱりね。俺の推理はあたっていた」

「推理?」

「加護は両親の特徴が反映されている。筒井つついさんの家は魚屋だろ。きっと魚が関係していると考えていた。三門みかどさんも水に関係してるだろ?」

「あっ、父が消防士です」

「嫌な縛りだわ」

「魚が嫌いなんだね」

「そうよ、見るのも嫌!」


 俺は筒井卯月歌姫の前で立膝になり手を差し出した。


「この手はなに?」

「手を置いてくれないか?」

「キモッ!!」


 筒井卯月歌姫は手を隠すかのように胸の前で手を組んだ。


「俺は傷心を癒すこともできるんだ。手を置いて、その嫌な記憶を吐き出せよ。気が楽になるよ」


 メンタルケアのスキルが役に立つかもしれない。


うそだったら殺すわよ」

「そうしたら三門みかどさんの不死は消えるけどね」


 筒井卯月歌姫はチラリと三門志寿漫画家を見る。

 そして、深い溜息ためいきを吐いたあと、嫌な顔をしながら俺の手に触れた。


「わたしは昔から魚が嫌いだった。学校で魚屋だとバカにされたこともあるわ。それを父に話した。すると父はわたしのクチに生の魚を押し込んだのよ! 魚屋の娘が魚嫌いなんて許せないって。信じられる? 何度も! 何度も! 嫌がるわたしのクチに生臭いモノを無理やり押し込むの。引き抜くときに鱗が逆立ってクチの中が切れたわ!」

「それは酷いね」

「泣いても、叫んでも、許してはくれなかった。その日から毎朝、毎晩ずっと魚料理よ」

「魚のどこが嫌いなの?」

「まぶたのない目。ずっとこっちを見てるのよ。それに臭いし。ぬるぬるしてるし。食べるときに骨が喉に刺さるし。マズイし」

「魚はおいしいよ」

「そうね、魚はおいしいかもしれないわね、わたしは食べないけど」


 苦虫を噛んだような顔をしていた筒井卯月歌姫が柔らかい表情になる。


「クラスのみんなに魚を食べさせてあげたいだろ?」

「それもいいわね、わたしは食べないけど」


 三門志寿漫画家が目を見開いた。


うーちゃんを洗脳したの?!」

「違うよ、嫌な記憶を薄くしただけ、どの程度の効果があるのかわからないけど、心が軽くなったはずさ」

「そう、ね、たしかに魚が嫌いになった理由が思い出せないわ」


 俺は二人に頭を下げた。


「すまない。村の食料事情は知ってるだろ。乱暴な方法で悪かったけど、どうにかしたかったんだ」

「薄々感じてたわ。いいわよ、わたしだって加護をみんなに伝えようか悩んでいたんですもの。嫌な記憶を忘れさせてくれただけでも感謝するわ」

「そう言ってもらえると助かる」


 筒井卯月歌姫がとても清々しい笑顔を俺にむけた。


「いつまで手をつないでるのよっ!!」


 三門志寿漫画家に手を叩かれてしまった。


 とりあえず食料問題は少しだけ改善できただろう。

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