第25話

 村全体が夕焼け色に染まり、暖かな安らぎに包まれている。


 俺は村の中心に立ち、空を見上げている。

 なぜだろう、この寂しさは……。

 ああ、そうか。下校の時間だ。

 部活の連中と『そろそろ帰るか』なんて話す時間。

 アイツらは今ごろ何をしているんだろう。

 次の演目ではおもしろい役を演じるはずだったのに残念だ。

 俺の代役は、いったい誰になったのかなあ。



 堤防の上を自転車に乗った人が走っている。

 遠いので豆粒くらいの大きさだが、たぶん自転車部の菊池潤奈サイクラーだな。

 部活じゃないのに頑張ってるなぁ~。



 何気なくその姿を目で追う。

 すると、姿がふっと消えたのだ。


 ――まさか堤防から落ちたのか?!


 彼女がいた場所まで全力疾走する。






 堤防のスロープを駆け上がる。

 しかし、途中で息が上がってしまった。

 運動不足だと痛感する。


「はぁはぁはぁ……」

「はぁっ、はぁっ、ぁっ……」


 俺の呼吸とは別の息づかいが漂ってくる。

 とりあえず彼女が水堀に落ちていないようで安心した。


 スロープをゆっくり上がり、堤防の上をのぞき込む。

 そこに菊池潤奈サイクラーが倒れていた。


 両足で自転車を挟み、横になっていた。

 俺の位置からだと自転車越しに彼女の体が見える。


 ハンドルとサドルの間。

 トップチューブと呼ばれる太い棒を両手で握り、前後に揺らしている。


「あっ、はぁっ、はぁっ、あっ……」


 ときおりビクンと腰を痙攣けいれんさせながら、サドルを股間に押し付けている。

 まさか堤防のうえで自慰行為をしているとは思わなかった。



 レベルアップの特典として【恋愛対象】の指名可能人数が増えていたので菊池潤奈サイクラーを指名する。

 自慰行為でもネトラレと判定するのかテストするためだ。


 【経験値】の増加速度はとても遅い。

 オマケ程度なのは残念だが、塵も積もればなんとやらだ。



 トップチューブを体のほうへ引きつけるとサドルが強く股間にあたるらしい。


「あっ、あっ、あああぁっ! あっ……」


 緩急を調整しながら体の奥から快楽を引きずり出す。

 半開きのクチからこぼれた唾液が、地面にシミを作る。


 夕焼けが堤防という名のステージをライトアップした。

 鉄の棒を握りしめるその姿は、まるでポールダンスを踊る女優のようだ。


 蛇のようにうねる妖艶な腰。

 湿り気をおびた熱い吐息。

 その色香に惑わされ、思わず中腰になってしまう。


「あっ! あっ! あああぁぁぁっ!!!」


 絶頂に達したようだ。


 今まで閉じていた目がすぅっと開く。

 頭だけ出している俺と目があった。


「や、やぁ菊池きくちさん、転んだみたいだけど怪我とかしてないかな? 薬もらってこようか?」

「みみみみみみみみ見た?」

「夕焼けが逆光になってなにも見えないよ」

「ウソだ……」

「ウソです」

「うっ、うっ、うわぁぁぁぁぁん、見られたぁ~~~~~~」


 寝たまま泣き出してしまった。

 手で顔を押さえている。


 しかし大丈夫、俺にはメンタルケアというすばらしいスキルがあるのだ。

 クラスの男子に自慰行為をのぞかれてしまったという辛い記憶を癒してくれる。


 俺は堤防のスロープをよじ登り、彼女に駆け寄る。

 そして彼女の肩をがっし・・・と掴んだ。


「ひっ!」


 突然のことで驚いたらしく、顔を覆っていた手をどけて俺を凝視する。


「たしかに俺は菊池きくちさんの自慰行為をのぞいてしまった」

「自慰って言ったぁ~っ」


 ふたたび両手で顔を隠す。


「だが! とてもキレイだった」

「キレイ?」

「ああそうだ。夕日に照らされキラキラ光る汗。スポーツする女性の美しさ。俺の目と心は釘付けになり、この場から離れられなくなったんだ。だからゴメン!」


 指の隙間から俺をうかがう。


「イヤラシイ目で見てないの?」

「感動すら覚えたね」

「でも、痴女だと思ったでしょ?」

「いや、美女だと思ったよ!」

「美っ……」


 彼女は頬をほんのりと赤くする。

 涙は止まっていた。


「自慰行為は恥ずかしいことじゃない、誰でもやっている、だから気にするな」

「ホント?」

「マジで!」

「なんでだろう、死ぬほど恥ずかしかったのに、平気になってきた」


 ――よしっ、メンタルケア成功!


 俺は彼女の肩から手を放した。

 彼女は上半身をおこし、横座りになる。


「転んだみたいだけど怪我してない? 大丈夫?」

「心配してくれてありがとう」

「無事ならいいんだ」


 彼女は涙を拭いたあとフゥとひと呼吸して落ち着きを取り戻した。


「あのね、念のため断っておくけど、バイクでシタの初めてなんだからね! 誤解しないでよ!」


 照れくさいのかもしれない。

 俺から顔をそらし、目線は自転車にむいている。


「健康的な高校生男子は、女子は自転車に乗るとアソコがこすれて気持ちいいと思ってますが」

「バッカじゃないの? バイクは相棒なの、汚していいワケないだろっ」

「違うの?」

「レディースサドルというのがあってね、デリケートゾーンは凹んでいるし、あたるところは柔らかい素材で作られてるの」

「へぇ~っ、それなのにナゼ自慰行為を?」

「バイクを作ってくれた油科ゆしな君はそこまで知らなかったと思う。それに材料がないって言ってたから」

「なるほど」


 彼女はサドルをたたいた。

 コンコンと乾いた音だする。


「ね、ほどんと木なんだ。凄く硬くてさ~、デリケートゾーンがヒリヒリして辛かった」

「なら乗るのやめろよ」

「こっちの世界にきて、もうバイクに乗れないんだって絶望してたんだぞ!」


 俺にむけた表情はとても真剣で、少し悲しみを含んでいた。

 水泳部の片倉澄夏OLと同じで、彼女もこの世界を受け入れるのに必死なのだろう。

 趣味を奪われたクラスメイトは彼女たちだけじゃないはずだ。

 注意しておかないと心を病んでしまう人がでてくるかもしれない。


「あ~、そうだな」

油科ゆしな君が作ってくれてホント嬉しかった。ボク泣いちゃったよ」

「うんうん」

「今まで乗れなかったぶん、取り戻すぞってはりきっちゃって」

「うん、うん、自転車バカなんだね」

「自転車バカ言うな!!」


 彼女がクスクスと笑う。


「ねえ、苦瓜にがうり君と話すの初めてだよね」


 褐色の肌が印象的で、胸やお尻の肉付きは少ない。

 女子だけど一見すると男子のよう。

 初めて話したけれどボーイッシュな口調は予想通りだった。


菊池きくちさんは休憩時間になると彼氏のクラスへいくからね」

「彼氏じゃないし! バイク仲間だし!」

「似たようなもんだ」

「まあいいや。このこと、クラスの人には話さないでね、絶対だからね!」


 俺を指さすな!


「条件がある」

「うわっサイテーだこの男子、弱みを握った女子にエッチな要求する気なんだ」

「しね~よ」

「だよね! 苦瓜にがうり君は紳士だもんね」

「自慰行為をしてくれ」

「やっぱサイテーだった! ボクの自慰行為を見て楽しむ気なんだ」

「いや、ひとりのときにコッソリとしてくれればいい」

「は? なぜに?」


 彼女は不思議そうな顔をしながら首をかしげている。

 もちろん経験値を稼ぐためだ。

 けど、彼女にそんな説明はできない。


「高校生男子は想像力の化け物なんだ。女子が自慰行為をしているのを想像するだけで興奮するんだよ」

「日本語でお願い」

「全裸より下着姿。モロパンよりスカートから見えるリラリズム。わかるだろ?」

「わかりませんけど?」

「宇宙人かな?」

「平行線だね。――でも条件は飲むよ。それで秘密を守ってくれるなら安いもんだ」

「交渉成立だ。ああ、毎日しなくていいから」

「しね~よ!!!」


 よし、これで少しづつでも経験値が入る。

 彼氏を作ってくれるのが一番だが、自転車バカは恋愛に興味がなさそうだから妥協点だ。




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




「ちはやぶる~♪ 神代もきかず竜田川~♪ からくれなゐに~♪ 水くくるとは~♪」


 ここは近江神宮ではない。鍛冶屋だ。

 読手、亀ケ谷暁子エセ京都が歌を詠む。

 俺と儀保裕之悪友は、広げた百人一首の取り札から詠まれた札を探す。


 競技かるたでは二十五枚づつの計五十枚で競う。

 けれど、いまは遊びなので百枚並べている。


 俺たちの前には、まだ九十枚以上が残っていた。

 そのなかから一枚を探すのはとてもむずかしい。


「もういちど詠みまひょか?」

「いらん、すぐ見つける」


 儀保裕之悪友はムキになっていた。

 俺は勝ち負けにこだわらないので気楽に探す。


「ヒントくれ」

「わての近くにありますえ」

「あった!」


 まるでモグラたたきのように儀保裕之悪友が取り札をたたいた。


儀保ぎぼ君なかなかやるなぁ」

「はっはっは! 俺にかかればこんなもんよ」

「凄い凄い、才能あんで」


 女子の褒め言葉に舞い上がっている。

 コイツチョロイな。

 亀ケ谷暁子エセ京都は百人一首の仲間を増やすために過剰におだてているのだ。

 俺は見抜いたが、コイツはまんまとのせられている。


「ほな、次、詠むなぁ。秋の田の~♪ か――」

「二度とくんな!」と外から女子の怒鳴り声が聞こえてきた。


 俺たちは急いで店の外に出た。



 服屋の前で出淵旭アニオタが土下座している。

 彼の前には新垣沙弥香ギャルが腕を組んで仁王立ちしていた。

 さらに後ろには、牧瀬遙ミーハー由良麻美ファンがいる。


「お願いでござる! どうかコスチュームを作ってくだされ!」

「キモイっつってんの。なんでウチがアンタのためにゴミを作んなきゃいけないの」

「ゴミじゃないでござる! コスチュームは服でござるよ!」

「はぁ~っ? イミフなんですけどぉ~」

「キモオタどっかいけ」

「バッカじゃないの~」


 派手系女子三人組が汚い言葉で彼を罵倒する。

 その甲高い声は、まるで雷鳴のように鳴り響く。

 現国の点数は低いのに、なぜ悪口だけスラスラとでてくるのか謎だ。




 騒ぎを聞きつけた人たちが集まってきた。


「なにがあった?」


 警察官の瀧田賢インテリメガネが間に入る。

 そこでようやく彼女らの罵倒が止まる。


「キモオタがウチにゴミを作れってうるさいの。だから店から追い出したワケ」

「ゴミじゃない、コスチュームでござる!」

「だ~か~ら~いっしょだっつってんの」


 瀧田賢インテリメガネは頭を押さえながら溜息ためいきをつく。


「作ってやればいいじゃないか。材料費はタダなんだから」

「男子マジキモ。作るときは完成した服をイメージすんの。ウチにそのゴミをイメージしろって、マジありえない」

「それセクハラだから」と由良麻美ファン

「コイツ、沙弥さやにゴミを想像させてオカズにする気だよ」と牧瀬遙ミーハー


 石亀永江委員長才原優斗イケメンは静観している。

 騒動を瀧田賢インテリメガネに任せる気のようだ。


「公序良俗に反するのなら俺が止めるべきだな。出淵でぶち、どんな服を作って欲しいんだ?」


 出淵旭アニオタが二枚の紙を瀧田賢インテリメガネに渡す。

 たぶん新垣沙弥香ギャルが破ったのだろう。

 瀧田賢インテリメガネは紙をつなげて絵を眺めた。


「これは、その、なんだ……。判断がむずかしいな」


 紙を見ながら瀧田賢インテリメガネが首をかしげてうなっている。

 出淵旭アニオタはどんな絵を描いたんだ?

 凄い気になるな……。


「はぁっ?! 瀧田たきた、目、腐ってんじゃね?!」


 新垣沙弥香ギャルの怒りが烈火のように燃え上がる。


「やっぱりぃ~瀧田たきたわぁ~男だからぁ~キモオタの味方なんだぁ~」


 牧瀬遙ミーハーのいいかたが凄く嫌味っぽく聞こえる。


「警察は贔屓ひいきしちゃダメだとボクは思うよ」


 才原優斗イケメンが見ているのに気づいた由良麻美ファンが言葉遣いを優しくする。




 彼らを囲うクラスメイトの輪から薬屋の財前哲史サトリが前にでた。


「どんな絵を描いたの?」


 彼は瀧田賢インテリメガネに近づくと絵を受け取る。


出淵でぶちがこの絵を描いたの?」

「そうでござる」

「へぇ~、よく描けてるね。三面図っていうんでしょ。布の指定とかも凄く細かいね」

財前ざいぜん君はどう思う? その絵」


 新垣沙弥香ギャルの怒りがクールダウンしている。

 やっぱり彼女は財前哲史サトリのことが好きなんだな。


「女子はキモイと感じるよね。けどアニメ好きの出淵でぶちは普通なんだろうな。だからどちらの言い分も正しいよ」

「ウチの気持ちわかってくれる?」

「もちろん」


 彼女はホッと胸をなでおろした。


「けどね、この村には娯楽が少ないんだよ。アニメ好きの出淵でぶちはその影響を強く受けているひとりだね。新垣あらがきさんは服が作れて充実してない?」

「ウン! ウチ楽しいよ」

由良ゆらさんは弓が撃てて気持ちがいいかな?」

「ボク? そうだねストレス発散にはなってるかな」

「ゆとりのある人がゆとりのない人を助ける。ボクはそんな心に余裕のある人が好きだな」


 財前哲史サトリは破れた紙を新垣沙弥香ギャルに渡すと薬屋に帰っていった。

 マジで僧侶みたいなヤツだな。


出淵でぶち新垣あらがきが服を作れるからといって強要するのはナシだ」


 瀧田賢インテリメガネ出淵旭アニオタの肩を優しくたたいた。


「わかったでござる」


 出淵旭アニオタは土下座をやめて立ちあがった。


新垣あらがきさん悪かったでござる」


 彼は頭を下げた。


「ウチもゴミなんて言って悪かったよ。お詫びにコレ作ってやんよ」

「えっ、ホントでござるか!」

「ああ、待ってな」


 イメージの集中のしかたは人によって違うらしい。

 儀保裕之悪友はお参りするみたいに手を合わせていた。

 新垣沙弥香ギャルは神に祈るように手を組んでおでこにつけている。




 ポンッと地面にコスチュームが落ちた。


 日曜日の朝に放送される女児向けアニメ。

 たぶん魔法少女だろう。

 水着のような露出の高い服にヒラヒラの布がたくさんついている。


 その服を見た女子はドン引き。男子は無言でうなずいた。

 たしかに意見のわかれる服だ。


「やった……、やったぁ~!! 嬉しいでござるっ!!!」


 出淵旭アニオタは服を拾うと広げて眺めた。


新垣あらがき殿! 主人公の友人のコスチュームも作って欲しいでござるっ!」


 彼はポケットから新しい紙を取り出し、彼女に渡そうとする。


「ふざけんな! 作るのはソレだけだ!」


 近寄る彼を彼女はおもいっきり蹴り飛ばす。

 地面を転がる彼は、手に入れた服を強く抱きしめる。

 それはまるで、大切な宝物が傷つかないように守る戦士のようだ。

 コスチュームが彼にとってどれほどの価値があるものかが伝わってくる。

 それはただの衣装ではなく、彼の心を満たす何か、彼自身を表現する一部とも言える存在だろう。

 その服を優しく、そして大切に抱きしめる彼の姿は、見る者の心に深く、キモく響く。


 あの情熱、見習うべきかもしれないな……。

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