第9話
委員長救出部隊は夜の森を慎重に進む。
星の明かりは生い茂る木々の枝葉で遮られる。
光は松明とランタンだけ。
恐怖心は、風で揺れる葉音を猛獣の吐息に錯覚させる。
緊張で体力を消耗するが、弱音を吐く人はいない。
以外だったのは、
送迎登校しているのだから足腰は弱いと勝手に決めつけていた。
深窓の令嬢と森。なんてアンバランスなんだ。
俺の道案内でクラスメイトを誘導する。
ネトラレ気配が強くなる。
「たぶん近い」
「警戒しよう」と
俺たちの歩みを妨げていた木々は次第に減る。
視界が開けると、視線の先には、小さな丘が静かに佇んでいた。
俺たちは木の影に隠れ、様子を伺う。
「ここがゴブリンの巣か……」
攻略方法でも模索しているのだろうか。
それとも怯んでいる?
「昼の戦闘でアイツらの強さは把握した。俺が先行する」
トゲの付いた鉄の板を、革で手に巻いていた。
古代のグローブでカエストスという武器らしい。
凶暴な彼にお似合いの物騒な見た目をしている。
「行けるのか?」
「余裕だ」
俺や
不安そうな表情をしていると
そういえば先ほど彼は加護を始めて使ったと言った。
もしかすると昼間の訓練では
「任せた」
彼は、ゆっくりと歩きながら首をコキリと鳴らす。
肩を回し、筋肉を暖めているようだ。
緊張感がまったく感じられない。
まるで散歩にでも行くような気軽さだ。
「俺が最後尾で後ろを警戒する」
前の
松明とランタンの光を前に向け、
「グギャギャ!!」
雄叫びとともに暗闇からなにかが飛び出してきた。
邪悪な黒い瞳が、俺の心を氷結させた。
初めて目にしたゴブリン。
想像を遥かに超越した存在だ。
肌は緑色で、醜悪さを
さらに鋭利な牙は、俺の心に深い恐怖と衝撃を刻み込んだ。
だが、骨の割れる音、肉の潰れる音、体液の飛び散る音。
それらがすぎ去るとゴブリンの叫びは聞こえなくなる。
洞窟の床や壁には新しいシミが無数にできた。
俺は、目の前に広がる悲惨な光景に吐き気を抑えることができない。
血なんて、鼻血を出したときくらいしか見たことがないのだ。
以外なのは、
なんだか自分が情けなく感じる。
「その分岐、左だ」
弱音を吐いてはいられない。道案内の役目だけは果たそう。
しかし、血の鉄臭さと、洞窟のカビ臭さでめまいがする。
【経験値】の増加が止まり、ネトラレ気配が薄まってきた。
騒動に気づいたゴブリンが
「マズイ!!」
俺は後先考えずに走り出した。
「おいっ!」
先頭を進む
斧をかまえたゴブリンが突然現われた。
しかし、戦ってなどいられない。
かろうじて攻撃を回避。先を急ぐ。
すでにネトラレ気配は消えた。
しかし方向は覚えている。
たぶん大丈夫だ。大丈夫なはずだ!
足がもつれる。呼吸が苦しい。空気が汚い。肺が汚れる。
開けた場所が目に飛び込んできた。
洞窟内の交差点。先につづく穴は五ヶ所だ。
感覚を信じ、左から二番目の穴に飛び込む。
「あぁ……」
目の前に広がる光景は、予想とはまったく異なっていた。
裸に
両目は潰され。
手足は切り落とされ。
腹からは臓物が飛び出し。
陰部は血に染まっている。
――まに合わなかった。
彼女はいつも怒りっぽく、不機嫌そうだったが、それでも委員長として、自分なりにクラスを引っ張っていた。
その事実は、クラスメイトなら誰でも理解している。
彼女とは特別親しいわけではない。
しかし、彼女がもういないという現実は、心に重くのしかかってきた。
後悔が心を塗りつぶす。
もっと彼女を理解しようと努力すべきだった。
もっと彼女とコミュニケーションを取るべきだった。
なぜ。なぜだ?
洞窟に入るのに
森を進むスピードが遅かったのか?
馬車の手配に手間取ったのがいけなかったのか?
助けにいこうと言い出すのが遅かったのか?
いや、そもそも宰相の企みを知っていて、なぜみんなに教えなかった?
俺、俺が悪いのか?
彼女が死んだのは、俺のせいなのか?
しかし、もう遅い。
彼女の冷たくなった体を見つめることしかできない。
心のなかで、彼女の存在が静かに薄れていく。
それは、言葉にできないほどの悲しみだった。
「ひっ……」
遅れて穴に入ってきた
しかし、すぐに気を取りなおして
「もう無駄だ」
「いいえ。わたくしの加護は癒し。まだ諦めません!」
彼女は
手のひらの周囲が薄い青色にほんのりと光る。
しかし、なんの効果も発揮されなかった。
少ししてから
「うっ、これは……」
彼はすぐさまクチを押さえた。
穴の外からは戦闘の音がつづいている。
他のクラスメイトは戦っているのだろう。
「間に合わなかったのか……」
「ごめんなさい、わたくしの力でもダメなようです」
俺は背負っていたバックパックからシーツを取り出す。
服が破れているのは想定内。それを見越して裸を隠すためにもってきたのだ。
限界を超えたらしくもう吐き気はしない。
シーツを地面に広げ
離れた場所に落ちていた食い残しの手足も集めた。
シーツのうえにはバラバラに分裂した彼女が寝ている。
そこで、信じられないことが目の前でおきたのだ。
ジュルリ、ジュルリと不気味な音がする。
手足の欠損部分の肉組織が伸び、まるで手をつなぐように連結していく。
はみ出た臓物も腹部に引き込まれ、裂けた腹が塞がる。
くぼんだまぶたの奥では潰れた眼球が復元されたようだ。
「
「いいえ違うわ。わたくしの力では蘇生は無理だったもの」
「脈がある。生きているわ」
俺のもつネトラレの効果だ!
加護のスキルを改めて確認する。
【恋愛対象】
加護を得るための対象を指名可能。
指名された者は、どのような責め苦にも耐えられるよう不死再生の恩恵が与えられる。
指名可能人数は二人。
このスキルのおかげで
しかし諸刃の剣だろ。
どんなに辛い責め苦を強いられても自害すら許されないなんて呪いだ。
外の戦闘音がやみ、
「ダメだったのか……」
真っ赤に染まるシーツを見て死んだと判断したのだろう。
「いや、意識はないが生きている」
「そうか、良かった」
けれどみんなには教えないみたいだ。
さすがカースト上位。他者への気遣いに慣れている。
「あれ?
「アイツはゴブリンを掃討すると言って先へ進んだ。止めたんだがな、聞いてはくれなかった」
「目的は達成できたし、アイツなら大丈夫だろう」
「どうする、馬車まで戻るか?」
「委員長を連れて夜の森を移動するのは危険じゃないかな。一晩ここで休むほうが良いと思う」
「賛成だ」
しばらくして
全身血まみれだ。
「怪我したのか?」
「いや、返り血だけだ、一撃もくらってないぞ」
俺はバックパックに入れていた手ぬぐいを
彼は無言で受けとると顔や手の血を拭いた。
「マジでオマエ、人間やめてるな」
「誉めるなよ」
照れ笑いする般若顔なんて不気味なだけだな。
「国を出て村を造る件だが、魔物の討伐いけそうか?」
「この程度なら余裕。もう二段階くらい強くても倒せる自信はある」
「戦闘に参加できるのはこのメンバーだろう。クラス全員を守る自信はあるか?」
「俺の加護は護衛だ、もちろん守ってみせるさ」
「愚問だ」と、
「球を打つのは自信あるんだがな。まあやってみるさ」
野球部に戦闘は無理だろう。
「ボクは自信ないけど、精一杯やってみるよ」
「自信がない……」
「ボクの加護は建設。みんなのように戦闘に役立つ力はないみたいなんだ」
「運動部でも加護のないクラスメイトは一般人と同じようだな。俺も探偵の加護に戦闘に関する力はない」
「戦えるのは俺と
「まだ加護を隠しているクラスメイトがいる。そこに期待しよう」
どうやら俺には聞いてこないようだ。
はなからアテにされないのも悲しいな。
役に立たないのは事実だが……。
「委員長が回復したあと、もっと森の深い場所に遠征に出たいと申し出よう。クラス全員参加すると言えば、加護を知りたがっている宰相は許可を出すだろう」
「そうだな」
心配があるとするなら
回復するのだろうか……。
もうひとつ気がかりがある。
「なあ、
俺の質問にみんな渋い顔をする。
気にはしていたようだが、誰もクチには出さなかったのだ。
空気を読まない性格で悪かった。
嫌悪感を隠さずに
「計画を伝えたところで素直に従うとは思えない。むしろ計画を宰相に暴露しないか心配だ」
「残していけば
「いや、
「あぁ、たしかに。殺される心配はないか」
俺の意見に
「なら残していくか」と
しかし、誰もがクチを閉ざしたまま無意識に目線をそらした。
賛成すれば見捨てたも同然の決断を背負うことになる。嫌な役回りだ。
この世界に足を踏み入れてから今までの自分を振り返る。
重要な決断は、クラスカースト上位陣にいつも委ねていた。
この世界にきてからがんばっている
じつを言えば、俺はけっして人前に出ることを嫌っているわけではない。
演劇部に所属しているくらいだ、多少の承認欲求はある。
だが、委員長のような役割を任されることには、抵抗を感じるのだ。
彼らは自発的に行動している。役割を与えられたわけじゃない。
なら俺は?
なぜだろう、いままでのように彼らにすべてを任せきりにするのは、どこか卑怯な気がしてならない。
――はぁ……。柄じゃないが一歩前に出るか。
「俺が話をつけるよ」
みんながいっせいに俺の顔を見た。
ちょっと恥ずかしい。
「アイツの本心を確認しないまま置いていくのは後味が悪すぎる。選択肢を見せて、それでも乗ってこないのなら置いていこう」
「嫌な役目だぞ」
「俺以外、ここにいるヤツらはクラスのためにいつも働いているじゃないか。たまには役に立たないとな」
「スマン、正直言って頼りにしてなかった」
ちょっと傷ついたけどな!
「
「骨は拾ってやる」
……冗談だよな?
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