召喚士の兄は儘ならない

 中学校が終わって自宅に帰り部屋着に着替えてから地下に降りる。そこには特殊な金属で作られた重厚な扉があり、横の認証パットに触れて魔力を流し込みロックを解除した。

中は広さ五〇〇平方メートル高さ二〇メートルの空間があり、ドアを閉めれば中の音は外には伝わらない。

 入ってすぐ、塗装のされていない最低限の骨組みと天板だけの無骨な長机とパイプ椅子が二つあり、机の上にはこまごまといろんなものが転がっていて、横には腰の高さくらいの小型冷蔵庫が置いてある。

 パイプ椅子に腰かけると、

「おにーちゃーん! おかえりー!」

 声がすると共に部屋の中央から半透明の青緑色をしたゼリー状の生き物が床を這ってやってきた。当然声の主ではない。というか、その謎の生き物に発声器官が備わっているかどうかも怪しいところだ。

「ネイル。まーた変な生き物を」

「変じゃないよ! 可愛いもん!」

 そう言って頬を膨らませたのはゼリー状の生き物と一緒にこちらにきていた、白の長袖ティーシャツとサスペンダーで吊った紺色のスカート姿の、今年で一〇歳になる妹である。

「クロウ召喚士みたいに実用一辺倒ではないのです!」

 ネイルは左手を腰に当てて肘をはり、右手の人差し指を立てて顔の横でクルクルさせた。

「ははっ、似てる似てる」

それは知り合いの召喚士見習い、ボタンの真似である。

 二人で笑っているとゼリー状の生き物が足元にすり寄ってきたので、反召喚で魔界に送り返してやった。

「あー、まだ主従契約もしてないのに」

 魔物の召喚には二パターンある。

 一つは魔界の生き物、魔物をランダムに呼び出す仮契約召喚。

 もう一つは過去に主従契約を結んだ魔物をピンポイントで呼び出す本契約召喚だ。

 仮契約召喚では魔物のランクに応じて使う魔力の量が多くなる上に簡単な命令しか出せないが、一方、本契約召喚ではわずかな魔力消費で呼び出せる上、複雑な命令を出すこともできる。

 だが。

「あんなの下僕(しもべ)にしてなにをやらせる気だよ。排水溝の掃除なら間に合ってるぞ」

「んー、お風呂のとき身体洗うくらいはできるんじゃない?」

「お前使い魔に身体洗わせてるのかよ」

「便利だよ?」

「そりゃ、便利かもしれんが」

「それより! 見ててお兄ちゃん! 同時召喚の自己ベスト、今日こそ更新するから」

 ネイルは元気満々に言うと部屋の中央の方へ戻って行き、本契約召喚を始めた。

 ただ見ているのも退屈なので冷蔵庫に何かないかと開けてみると、プリンがあった。しかもプラスティックのスプーンと一緒に。

「ラッキー」

 パイプ椅子に深く座り直し、プリンを食べながらネイルの召喚士修行を見守る。

 猫のようなものからワニやライオンのようなもの、人型種等々、様々な魔物を次々と召喚していき、いよいよネイルの新記録、二十五体目を召喚したタイミングでストップウォッチをスタートさせた。

 本当に一瞬だけなら、例え見習いであっても一〇〇や二〇〇は召喚できる。だが同時召喚と一般的に見做(みな)されるには、一分間コントロール下に置き続けるのが条件である。

 58、59、とタイマーは数を刻む。指で輪っかを作り、召喚術の応用で拡大鏡を作り顔を見やると、額に汗を流しながらも余裕と言った表情でだった。。

「一分経ったぞ」

 教えるとネイルは魔物たちを魔界に帰して俺の所へ駆け寄ってきた。

「どお?」

 ネイルは両手を腰に当てて胸を張り、褒めて欲しそうなドヤ顔を浮かべた。

「やるじゃないか。さすが俺の妹だ」

頭を撫でてやるとネイルはうんうんと満足そうにうなずいた。

とたん、

「ああー!」

「ど、どうした?」

「わたしのプリン!」

「え? ああ、食ったけど」

「食ったけど、じゃないよ! なんで食べちゃうの!」

「なんでって、そこにあったから」

「バカー!」

 ネイルは大声で叫びながら『クラス:恐竜』の魔物を召喚して俺にけしかけて来た。

「おいおい」

 突進を躱して反召喚で魔界に帰すと、即座に『クラス:獅子』の魔物を三体、俺を取り囲む様に呼び出した。

「あのなぁ、こんなの何体出したってネイルの力じゃ俺は倒せないぞ」

 言いつつ三体とも送り返してからしまったと思ったが、もう遅かった。

 ネイルは負けず嫌いだ。

 怒っているときにこんなことを言っては。

「私だってお兄ちゃんに勝てるもん!」

 空間に円状の穴が出現し、その穴をこじ開けるように、背中に四対の翼と禍々しい紫色の角を生やした、全長一〇メートルはある黒山羊の姿の魔物を呼び出した。

それは『クラス魔獣』であり、どう考えてもネイルにコントロールできるレベルの魔物ではない。

「アギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 空間そのものを震わせるような雄たけびを上げると、体内にエネルギーを溜め始めた。それはこの地下室はおろか、この町を容易く破壊するレベルのものだ。

「おいおいおいおい! どうすんだよ!」

「はわわ! どうしようお兄ちゃん⁉」

「どうにもできないよ!」

 魔物がエネルギーを放つ直前に俺はネイルを掴みよせ、自分自身をネイルごと上空一〇キロの空に召喚した。

 自宅を中心に崩壊していく町を見下ろしながら、

「汝の主クロウが許す! 我が名をもって体(たい)を現せ! 今ここに出でよ『クラス精霊』シルフ!」

 風の精霊シルフを呼び出した。

「はぁい、ご主人様ー♡ あら、この子が例のご主人様の妹様? よろしくね」

 少女のシルエットを纏って姿を現したシルフに俺とネイルを抱えさせて空中に浮かび、ひとまず呼吸を整えた。

「すー、はー、すー、はー」

「こ、すー、これが、はー、精霊? は、初めて見た」

「ああ、はー、すー、はー。ネイルの前で呼ぶのは初めてだったな」

魔獣と精霊は大きく異なる。

 魔物とは魔界にいる生き物なので文字通り呼び出すだけだ。

一方精霊は世界中どこにでも存在しているので呼び出す必要はない。しかし精霊は基本的に姿や形を持つことはないため、精霊を召喚する際は名を一時的に貸すことで器を作ってやり、その中に精霊の力の一部を注ぎ入れてもらう。

そして異なる点がもう一つある。

召喚の力さえあれば誰にでも、人格を持つような高位の魔物でも呼べるが、精霊は基本的に主を自分で選ぶ。そのため、精霊に気に入られなければどんな凄腕の召喚士であっても力を借りることはできない。

 時間があればネイルに授業をしてやりたいが、今は俺たちの町を破壊する魔物を退けるほうが先だ。

「ネイル。送り返せないか?」

「無理! 出てきた瞬間契約破棄されちゃった!」

 呼び出した本人であれば反召喚などせずに「帰れ」と言えば帰るのだが、当然、力の弱いものが強いものを従えることはできない。

こうなれば俺が反召喚で送り返すしかないだろう。

先ほどの量のエネルギーを蓄えた状態だと、いくら一級召喚士の俺でも魔界に送り返すには相応の時間が掛かり、その時間の間にあの攻撃でお釈迦だった。

しかしクールタイムなのか標的を見失ったからなのか、今は体内に高エネルギーは溜めていない。

「シルフ! 俺に風の守りを。それと、そこでネイルを死守」

「あいさー♡」

 返事を聞くと同時にシルフの腕から飛び降りて、魔物に狙いを定めて突っ込んだ。

 風の守りのおかげで空気抵抗を無視し、目はしっかりと開けていられる。その上加速も自在だ。

 それだけではない。

精霊の力とは大自然そのものであり、それに包まれているため、知性が低く力だけの魔物は俺を大自然の一部だと認識する。

「畏れおおくも世(よ)の界(さかい)を司る者よ。予(かね)てよりの一方(ひとかた)ならぬ寵愛に謹んで感謝申し上げます」

 一直線に魔物の背中に飛び込んで魔物の背中に手のひらを押し付け、

「御力(おんちから)をあやかることを赦し給え」

 魔界の門を召喚して門の方を押し込むことで、魔物を魔界に押し込んだ。

 魔物は寸前まで抵抗をして叫び声をあげていたが、門が閉じると同時に静寂が響いた。

「守りはもういいぞシルフ。ネイルをこっちに運んでくれ」

 瓦礫の海になった町を見回しながら伝え、ネイルを受け取った。

「命は終わり。名を返せ」

「はーい。またね、ご主人様♡」

 シルフが消えてネイルを降ろし、もう一度町を見回した。

「どうするんだよ、ほんと」

「どうしよう?」

「感情に任せて召喚するからだぞ。はぁ」

「お兄ちゃんがプリン食べるからだよ!」

「なっ、この期に及んで人のせい、だと⁉」

 大物すぎるだろ、ネイル。

『お説教はワシが帰ってからたっぷりとしてやる、二人ともな』

 声のした方へ振り返ると、魔界の友達の家に遊びに行っている師匠の使い魔のクロネコモドキが目を細めてこちらを睨んでいた。

「なんで俺まで」

「うへぇ、悪いのはお兄ちゃんだけです」

『監督不行届だ。あとネイル。シバかれたくなければ本当のこと言いなさい』

「はい。わたしがやりました」

 ネイルは両人差し指をツンツンさせて目を逸らしながらぼそぼそとそう言った。

『クロウも手を焼かされたが、この兄あってのこの妹だな、まったく』

「いやあ、それにしても師匠、どうしましょう。このありさま」

『どうするもこうするも、ワシらにできるのは召喚だけだろう』

「それはそうですが」

『こうなれば、破壊される寸前の町を召喚するしかなかろうが』

「ですが、そんな大規模な時空干渉召喚なんて俺一人じゃとても」

『ネイルがいるじゃろ」

「え、わたし?」

「俺もネイルも天才ですが、魔力が無尽蔵にあるわけでは」

『ワシ、クロウの自己評価が高すぎるところ好きじゃけど嫌いじゃ。じゃが手はある。二人は血を分けた兄妹じゃからな。よいか。お前たちが真に愛し合えば魔力を増幅できる筈じゃ。それこそ無尽蔵に。愛とは力じゃよ』

 師匠は最後に「愛じゃよ」と言うと使い魔は姿を消した。

「愛、ねぇ」

「真の愛、なんて言ってもプリン食べちゃうお兄ちゃんだしなぁ」

「お前、まだ言うか」

「つーん」

「悪かったって」

 手を顔の前で合わせるも、ネイルはぷいっとそっぽを向いてしまった。

 時空干渉召喚は魔力の消費が激しいのだが、しかたない。

プリンとスプーンを召喚した。

 このくらいなら俺一人でもできる。

「ほら、弁償するから」

 差し出してもネイルは受け取ってくれなかった。

 困ったな。

「許してくれたらちゅーしてやるから」

 ダメもとでそう言ってみると、

「仕方ないから、食べさせてくれるなら許してあげる」

 ネイルは口を開け、少し頬を赤くしていた。

 なんだかんだで可愛い妹だ。

「ほらあーん」

 プリンを掬ってネイルの口の中に落としてやった。

「えへへ。おいしい」

プリンがなくなってからネイルにキスをしてやり、俺たちは無事仲直りを果たした。そして唇が触れあっている間、魔力が増幅するのを感じた。これは以前も感じたことがあるが、そうか。

「これが師匠の言っていた」

「愛の力、だね」

ネイルは目を閉じて顎を突き出し、もう一度唇を触れさせた。

魔力を十分に増幅させてから離れ、俺は破壊される寸前の町を時空干渉召喚した。



魔力は増幅させたとはいえ大規模な召喚を行ったことで全身がだるく、部屋のリビングのソファで数時間ダウンしていた。

ネイルはその間、膝枕をして頭を撫でてくれた。

さっきまであんなに怒っていたのに、ネイルのことはよくわからない。

というか、こういう意味ではネイルには勝てないな。

俺は今回の一件でそんな教訓を得たのだった。


〈召喚士の兄は儘ならない。終〉

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