建前の自由

 教卓に近い二つの机を向かい合わせて僕と先生は席に着いていた。

「なんで残ってもらったか分かるかい?」

 小中学生の嫌いな言葉ランキングで三位には入ると思われる言葉を、クラスの担任に言われ僕は首を横に振った。

「わかりません」

「私は中学だけでも十五年以上教師やってるけど、君だけだよ。書初めの宿題でこんな字を書いてきたのは」

「先生」

 今年で四十二になる先生は、僕よりも頭一つ半背が高く、ワイシャツの襟にはネクタイの代わりに、緑の飾りのループタイを首から掛けている。

「でも、課題は、その。もちろんお手本はありましたが、先生はこうも言いましたよ。好きな字を書きなさい、って」

「ああ、責めているわけではないよ。ただ、ね」

 先生は立ち上がると骨ばった手で課題の半紙の束から一番上を取って再び席に着くと、机の上に広げた。

「これ、全員のやつを廊下に張り出すわけで、授業参観もあるし」

 言葉の上では否定していないが、その裏にははっきりと否定の意が含まれているように感じられる。

 いったい、この書初めのなにがいけないというのだろうか。できる限り丁寧に書いたし、一文字の生徒はほかにもいるはずだ。

 だから本当に、わからない。

 僕の出した『妹』と書かれた書初めの、なにを先生は問題視しているのか。

「因みに、どうしてこの字を選んだのか、教えてもらえるかい? もしかしてだけど、何か深い理由でも、あるんじゃないかな?」

「はあ」

 どうしてそんな、と思わなくもないが、まあ先生が聞きたいというのなら、話すしかないだろう。

「あれは、一週間ほど前のことです」



 新年を迎えるまえに他の宿題は全て終わっていたが、書初めだけは年が明けてからやろうと残しておいた。

 そして一月三日、習字道具を広げて何を書くかを考えていた。

 謹賀新年。

 賀正。

 などなど、お手本には書いてあるが、どれもこれもピンと来ない。

 ふむ。どうしたものか。

 なにか、なにかビビッとくる文字はないだろうか。

 そう思い家の中をうろうろと歩き回っていると、

「お兄ちゃん!」

 妹の部屋の前を通ったときに呼び止められた。

「一緒にゲームしよ?」

 一分考えても思い浮かばないものは、考え続けても浮かばない。そう思い妹と遊びまくり、気がついたら冬休みの最終日になっていた。

 再び習字道具を広げた僕は、冬休みの記憶を辿り、一番思い出に残っているものを、妹を書こうと決めた。



「と、言う訳です先生」

「うん」

 先生は頷き、ループタイの位置を少し上に上げてから眉間を人差し指と親指で揉んだあと、

「んんっ」

 咳払いをして向かって左の口角を上げてみせた。

「謹賀新年で再提出してもらっていいかな?」

「なぜ!?」

 僕は思わず叫んでいた。



〈建前の自由・終〉
















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