第五章 第六話

 黄金竜がブレスを吐く――苦しげな顔で。


 あらゆるものを消滅させる不可視のブレスに、アデライーダはただ片手を向けた。それだけで、ブレスは霧散した。


「はぁ、はぁっ……! 

 あり得ません……このような事態が……!」


 息を切らせながら黄金竜は翼をはためかせ、空へ逃れる。先程までの状況とは完全に真逆だ。消耗しきった黄金竜と、一方的に攻め続けるアデライーダ。


 聖剣は黄金竜の力のほとんどを制圧した。黄金竜による加護と呪詛、そのほとんどが維持できなくなるほどに。かろうじて残された力で、黄金竜はアデライーダに対する呪詛を維持しようとした。しかし。


「逃げるな」


「ぐ、あぁっ!?」


 アデライーダが黄金竜の翼を睨む。それだけで両翼が千切れ、黄金竜は地面に叩き落される。


 視線だけで黄金竜が撃墜されるほどの力を取り戻したアデライーダだが、決して全力ではない。呪詛は黄金竜に突き刺さった聖剣が打ち消しているが、完全に無効化できているわけではない。魔王の間での直接的な攻撃は無力化される呪詛も、黄金竜に対する負債によって生まれる呪詛も、どちらも最低限は機能している。黄金竜に攻撃しようとする度に、アデライーダの力は削がれているのだ。


 にも関わらずアデライーダが圧倒的な力を見せつけている理由は二つ。まず、黄金竜が聖剣の力で弱体化しきっていること。そしてもう一つは。


「戦いなさい」


「がっ、ギィ!!!」


 聖剣の力から解放された大魔王を、最低限の呪詛で止めることなど不可能というだけの話。


 黄金竜に接近したアデライーダが手を横に薙ぐ。その瞬間、黄金竜の両足が弾け飛んだ。転倒しながらも黄金竜は必死に、自らの尾へ右手を伸ばした。突き刺さった聖剣を抜いて呪詛を蘇らせれば、という考えだったが……それも無駄。アデライーダが手刀を放つと、黄金竜の右腕は肘から切り飛ばされて落ちた。左腕に至っては、代わりに動かそうとした矢先から肩から指先までみじん切りにされ血と肉片の集まりと化す。


 両手両足両翼を失った黄金竜は、もはや無様に地面に転がることしかできない。そんな彼の前で、静かに立つアデライーダ。


「ま、待ちなさい! 商談、商談があります!」


 もはや文字通り手も足も出ない状況で、黄金竜は口を開いた。ブレスを放つためではなく、口八丁に頼るために。


「魔王は争ってはならない、という呪詛は全ての魔王に共有されているとご存知のはず!

 呪詛が揺らいでいることは他の魔王も勘付くでしょう。

 ここで私を殺せば、貴女が呪詛を破ったと気付かれる可能性がある。

 そうなれば、他の魔王は揃って貴女を敵視するのです!」


 今も四肢から血を垂れ流している重傷者とは思えない流暢さで、黄金竜は言葉を並べ立てる。


 対象的に、アデライーダは何も言わない。ただ冷めきった表情で、黄金竜を見つめるだけだ。


「分かりますか、貴女は私を生かす必要があるということを。

 もっとも、この場の敗北は素直に認めましょう。

 我が財の半分を譲り渡すことをお約束します。

 どうです? 私を見逃すことの利益が理解できるのではありませんか?」


 あまりにも堂々とした態度で、黄金竜は命乞いを続ける。

 アデライーダは、やはり何も言わない。ただ、片足を踏み出した。


「は……半分で足りないというのであれば仕方ありません。

 我が財の六割、いや七割を貴女に……」


 流石に焦り始めた黄金竜が、早口になって条件を譲歩する。


 だが無駄だ。とっくに聞く気を失ったアデライーダは、手を固く握り締め。


「な、ならば! 私の財の九割をぉ!」


「呪詛だとか財だとか、そんなことはどうでもいいのよ。

 仮にも魔王なら、最期まで力を振り絞って戦いなさい。

 それができないと言うなら――」


 命乞いを真っ向から無視して、黄金竜に叩き込まれる大魔王の拳。


「潔く、混沌に還れ」


 その瞬間、黄金竜は爆散した。胴体も、首も、頭部も、そしてもちろん舌も。たった一撃で原型を留めないほどに全身が引き裂かれ、周辺に血と肉と黄金の鱗を撒き散らす。


 黄金竜ヴィヤチェスラフの、無惨な最期であった。




「馬鹿な……まさか。黄金の魔王が……!?」


 我に返って上半身を起こしたロペは、加護を失いただの人間に戻った自分自身を見て呆然としていた。その様子に、フアナは状況を理解する。


 ――アデライーダさんが、黄金の魔王をやっつけたんだ。


 ロペもまた、同じ結論に至ったらしい。慌てて起き上がると王都からの逃走を試みた。


「こ、こ……の?」


「ぎゃあっ!?」


 追いかけようとしたフアナだったが、その必要は無かった。走り出した途端、ロペは無様に転倒したからである。


 彼は長い間、黄金竜の加護を受け魔人として活動していた。当然ながら、魔人だった頃の身体能力とロペ本来の身体能力では全く異なる。魔人の力に慣れきったロペは、人間としての身体の動きをとうの昔に忘れていたのだ。


「…………ふぅ」


 フアナは一度深呼吸をすると、倒れたロペに歩み寄っていく。拾った木の棒を手放さないまま。その姿をどう思ったのか、ロペは必死に声を張り上げた。


「自分が何をしようとしているのか、わかっているのだろうな!?」


「え…………?」


 想像もしていなかった行動に、思わずフアナは呆けてしまった。そんな彼女をよそに、ロペの言葉は続く。


「いいか、今の俺は人間だ。魔人ではない。しかもお前の叔父だぞ。

 俺を殺すということは人殺しであり、肉親殺しということになる!」


「は、はぁ?」


 一瞬、フアナの脳が意味を理解することを拒んだ。


 勇者であるフアナの父を死に追いやった裏切り者。フアナの目の前でも、村人を爆弾として扱って殺し続けた。その男が、人殺しを糾弾している……?


「ふ……ふざけないで下さい。

 あなたのせいでお父さんは死んだんじゃないですか。

 人殺しの肉親殺しはあなたです!」


「俺が兄上を殺したおかげで、この国の被害は最低限で済んだのだ!

 あの時、早々に黄金の魔王の支配を受け入れたことで戦力が温存された。

 いいか……今こうして魔物たちと戦うことを成し遂げたのは、俺が戦意を挫いたからだと理解しろ。

 この国を守ったのは俺だ!」


 自分勝手な理屈をまくし立てるロペに、思わずフアナは全身を震わせて……あっという間に落ち着いた。確かに、彼女は理解した。


 フアナが指の力を抜く。手放した棒が地面に落ちて、乾いた音を立てた。


「そ、そうだ、それで……」


 安心しかけたロペは、棒の近くに落ちているものに気付いた。ロペ自身が捨てた、折れた剣だ。そしてフアナは棒の代わりに剣を拾い上げた。


 フアナはどれだけ村人から酷い扱いを受けても、かつて受けた恩を忘れなかったような少女だ。ロペが村人を爆弾として扱った際もざまあみろ、とは思わずに悲しみ嘆いて、村人たちがフアナに罪悪感を抱けば水に流す、勇者の娘らしい善性の塊。


 そんな彼女ですら、確かに理解した。もはや、何を言っても無駄だと。


「おい、やめろ!」


 ロペの叫びなど、何の意味もない。彼の目の前では、フアナが無言で折れた剣を振り上げて。


「ひ、人ごろっ……!」


 助けを求めるロペの胸に、剣を突き刺した。


 フアナは剣の素人だったが、それでも十分。鮮血が噴き出し、返り血がフアナの衣装を汚していく。ロペの身体から力が抜けていくのが、素人目に分かる。初めての殺人。けれどもフアナは決して震えず、後悔もしなかった。


「よく……わかりました。

 魔王でも立派なひとがいるみたいに……人間でも本当にどうしようもないひとはいるんだって」


 フアナがロペに感謝する事が一つだけある。殺しても全く罪悪感を抱かず、安心して仇討ちができるような人格の持ち主だったことだ。


 ロペが動かなくなったことを確認すると、フアナはその場を離れた。今も倒れたままのノウンを助け起こすために。ロペの死体から目を離す彼女には、何の後腐れもありはしなかった。

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