第四章 第八話
――――魔領、黄金竜ヴィヤチェスラフの本城。
数多いる魔王たちの中でも、黄金竜の城塞は特に豪奢である。配色は黄金を基本とし、装飾と防衛設備を兼ねた宝石が各所に埋め込まれている。外見はもちろんのこと内部もまた同様だ。己の財を誇示するような城構えは、華美を通り越して悪趣味とすら言ってよい。
その黄金と宝石に彩れた謁見の間に、魔人ロペはいた。かつて人間たちに対して見せた慇懃無礼はどこへやら、魔人の身体は縮こまるように平伏している。
それも当然。今の彼の目の前にいるのは黄金竜ヴィヤチェスラフ。ロペに魔人としての力を与えた、黄金の魔王である。
「ロペよ。事態はよく理解しました。
あなたは何の打つ手もなく、ただ逃げ出したという訳ですか?」
黄金竜がため息を吐くと、謁見の間にすら積まれている金貨や財宝がじゃらじゃらと揺れた。
ある意味滑稽な光景ではあるが、ロペにはそれを笑う余裕などない。ため息で姿勢を崩さないよう、そして魔王の不興をこれ以上買わないように必死だ。
「お、恐れながら……呪詛が解かれるという事態においては、対策の打ちようがなく……」
「では、なぜ貴方は聖剣の使い手から逃げ出した人間たちを殺したのです?
私の呪詛を突破した者が相手だった、という点では今の貴方と同じ条件ですなぁ」
大商館から無事に撤退することができたロペであったが、待っていたのは黄金竜からの呼び出しであった。
さすがに国の規模で呪詛が解除されたとなれば、本人もとい本竜が確認できないはずもない。本城にまで足を運ぶことになったロペは、こうして黄金竜直々の詰問を受けている。
「ど、どうか命だけは! 死一等を減ぜられますように!
命だけはお助け下さい!」
「………………」
ロペの命乞いに、黄金竜は表情を変えない。ただ、指をロペに対して向けた。それだけだ。しかし。
「ぎゃああああああああああああああ!?」
ロペは身悶えながら悲鳴を上げた。
彼は魔人。黄金竜から加護を受けた魔人だ。そして、黄金竜は魔王の中でも特に呪詛に優れた魔王。己が与えた加護を即座に変換させ、呪詛として行使することも可能である。今この瞬間、ロペが授かった加護は全身に苦痛を走らせるほどの呪詛に変化させられていた。
「あ……あ、ぁ…………」
やがてロペの身悶えが止まり、悲鳴さえ枯れ果てた様子を見て黄金竜は呪詛を止めた。もっとも、それを喜ぶ余裕はロペにはない。その場に倒れ込んだまま、身体を痙攣させるだけである。
だが黄金竜が指を上に向けた途端、ロペの身体は立ち上がった。操り人形のごとく、強制的に。
「私は寛大です。一度だけ猶予を与えましょう」
ロペの精神は激痛で摩耗し、まともに話を聞ける状態ではなかった。にも関わらず、黄金竜の言葉はその脳内へと染み込んでいく。黄金竜もまた魔王。発する言葉には呪詛ではなくとも力が込められる。
「呪詛から逃れたあの国が財政を立て直す前に、決戦を起こします。
私直々に軍勢を率いて、です。
もしその決戦で功績を挙げられたのであれば、その命乞いを聞いて差し上げましょう。
しかし……」
黄金竜の目つきが鋭いものとなる。
魔王の声に力が込められるのであれば、視線にもまた力が乗ることが自然。
「更に無様を重ねるようであれば……わかっていますね?」
ロペは決して動ける状態ではなかったにも関わらず、首を縦に振って頷いてみせた。
魔王の言葉に対して肯定の意を示さなくてはならぬと、本能的に理解したがために。
アデライーダたちは無事に王との謁見を終えた。兵をまとめて国内の「借金取り」や商館を掃討することが決定され、王都の慌ただしさは状況確認から出兵準備のものへと移り変わる。
とは言え話が纏まった頃には日が沈み始めていたこともあり、フアナは城に泊まることになった。普通の人間なのだから今日はもう休んだほうがいい、とアデライーダからも言われてはそうするしかない。
フアナは城に留まった。だが、アデライーダ自身はそうではなかった。彼女は王や貴族の決起を伝えるためにハルディンの街へと戻っている。
「……はぁ」
時刻はもう、夕方を通り過ぎて深夜。フアナはベッドに座りながら物思いに耽っていた。
あてがわれた一室はテラス付きの立派なものだ。それだけで王や貴族が彼女をどれだけ重要視しているか分かる。勇者の遺児。それが、今の彼女に与えられた評価。アデライーダが望んだ通りに。
「これで……いいのかな」
さすがに、フアナもアデライーダとの付き合いが長くなってきた。だから、アデライーダの意図がわかる。わかるが……フアナがそれに納得できるどうかとは別の話だ。
思い悩むフアナは、誰にも聞こえないという前提で独り言を呟いている。しかし。
「眠らなくて大丈夫なの?」
「あっ…………」
大魔王の地獄耳には、その前提は通じない。
フアナが声の方を振り向いてみれば、開け放したままだったテラスにアデライーダが立っていた。
「街に戻るか、城に残るか……
どちらになるかはわからないけど、どちらにせよ戦うのは間違いないわよ。
寝たほうがいいんじゃない」
夜風に髪を靡かせながら、アデライーダは言う。
彼女はちょうど、ハルディンの街から王都へと戻ってきたところだ。つまり、王都と街を往復したばかり。にも関わらず、その立ち振る舞いにはやはり乱れがない。せいぜい何度か深呼吸をしたくらいだ。フアナとは比較するのも失礼なほどの、圧倒的な超人ぶり……もっとも、実際には超人すら蹴散らす大魔王であるが。
だからこそ、フアナは問いかけずにはいられなくなった。
「あ、あの……アデライーダさんは……
もし黄金の魔王を倒すことができたら、どうするつもりなんですか?」
「?
この剣をあなたに返して、この国から去るけど?」
「名声とか、褒美とか……そういうのを全部捨てて、ですか」
フアナが予想した、アデライーダの意図。それは、黄金竜討伐の栄誉を全て譲るつもりなのではないかというものだった。
フアナから見れば過剰としか思えない持ち上げと、人間に対して一線を引き始めた態度。それはアデライーダが去っても問題がない状況を整え始めているようで。
「私が人間からちやほやされるような状況はおかしいでしょう?」
事実、そうだった。
「あ……アデライーダさんがちやほやされるのがおかしい、なんて言ったら……
この国に褒められるような人間なんていません。
アデライーダさんがいなかったらここまで来ることもできませんし、これから黄金竜と戦うことだって無理です。
私の力じゃ、きっと……お父さんの仇を、ロペを倒すことだってできないのに」
フアナは俯いている。
父親を裏切り、黄金竜の配下となった魔人。更に村人を爆弾扱いして殺したばかりの、二重の意味での仇。王や貴族はロペをフアナが討つことを明らかに期待していたし、彼女自身だってできることならば殺してやりたい。
けれども、彼女の力ではどう考えてもこの手で仇を討つことなどできない。結局のところアデライーダに頼るしかないのだ。
「私が魔王であることを忘れたの?
黄金竜という共通の敵がいるから、協力しているだけよ。
人と魔が競い争う前提を崩すつもりはないわ」
アデライーダは自分が魔王であることを崩さない。あくまで、魔王は人間の敵であるべきなのだと。
だから、フアナには分からない。
「そこまで魔王としての……伝統を、大切にしてるのに。
なんで人間の私なんかに、ここまで気を遣ってくれるんですか」
「今更なに言ってるのよ」
「だ、だって私……アデライーダさんがいなかったら、きっと何もできてない。
お父さんみたいな、立派な勇者になれる人間じゃないんです」
アデライーダから受けた恩は、あまりにも大きすぎた。
逃走も、安全も、睡眠も、魔物退治も何もかも任せっきり。礼儀作法も完璧で、対外的な振る舞いも問題なくやりきって見せる。そんな姿を見続けて、魔王だから結局は敵なのだと思えるような恩知らずにフアナはなれない。
「ま……魔王が、人間の敵だって言うなら……
なんで私なんかに、ここまで味方してくれたんですか」
「この剣を貸してくれたでしょう?」
自分を卑下し続けるフアナに対して、心底不思議そうな顔でアデライーダは答えた。そんなの当たり前じゃないか、と言うように。
その声色には揺らぎが一欠片もなく、本気で言っていることが明らかで……思わずフアナは顔を上げて、アデライーダの顔を見た。
「この聖剣があなたにとって本当に大切なものなのは、旅の中でよく分かった。
あなたが両親から受け継いだ、伝統そのものだって。
その大切なものを献上してでも私を頼りにした、という事実を重んじるべき。
私はそう思ってる」
「そ、そんな……あの時は、ただ」
アデライーダが浮かべた微笑みは、本当にフアナに感謝しているのだと語っていて……思わず、フアナは顔を背けた。
あの時のフアナは、そんな立派なことなど考えてはいなかった。戦うことすら許されず、かろうじて絞り出した勇気も潰されてしまって、逃げ出すことしかできなかった。ただそれだけの行動でしかないと、彼女は思っている。
「私は……自分で戦えなかったから、アデライーダさんに助けを求めただけで」
「だったら最初にオークに襲われた時、私に剣を渡さずに一人で逃げればよかったじゃない」
自らを卑下しようとするフアナの言葉を、アデライーダは遮った。
父親のために母親が創り出した聖剣。フアナが受け継ぎ、隠し通してきた遺品。それを貸し与えた事実を「だけ」で終わらせることは、大魔王が許さない。
「あの時、私を見捨てて逃げる機会なんていくらでもあった。
でもあなたは逃げずにずっと戦いを見ていて、私に剣を渡した。
それはあなたが助かるためじゃなくて、私を助けるためじゃないの?」
アデライーダは言う。
あの時のフアナの心は、決してただ逃げるだけの臆病だけではなく……戦うための勇気が残っていたのだと。
「あなたは結局、助けられる誰かがいたら見捨てるような真似はできない。
だから力不足を感じてしまうと、今みたいに自分が悪いって思い込む。
でもね……そうやって悩むことそのものが、勇者の資質。
この私が保証する」
「で、ですけど……私は、強くなんかないし……」
「別に、勇者を名乗るのに強いとか弱いとかは関係ないわよ?
私より強い勇者なんてこの世界に存在しないでしょうし」
そう言って、大魔王は笑った。
冗談で言っているのか本気で言っているのか、判断に困ったフアナはなんとも言えない笑みを浮かべることしかできなかった。
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