第四章 第五話

 ありとあらゆる音が平伏し、大魔王の声を優先して響かせる。この場にいる人間全てが、間違いなく聞いた。自分たちはもはや自由であると。


「ちぃっ!」


 ロペは手近な村人へと手を伸ばした。ロペの目的はデモンストレーションである。適当な人間を血祭りに上げ、黄金竜に対する恐怖を再確認させて離反を防ぐ。何より、黄金竜の呪詛が消えたとしてもロペの異能……爆破は別という可能性も高い。それを思い知らせてやれば、人間たちは精神的な支配に置かれたままだ。


「ひ……!」


 村人は反射的に、宝石を掲げていた。


 ロペが連れてきた村民たちは一時的に黄金竜の配下として認められてはいるが、扱いとしては最も低い地位だ。彼らが抵抗できるような魔物は使い走りくらいで、魔人であるロペに対して抵抗などできるはずもない。


 だが村人が掲げた腕は脱力せず、宝石はその魔力を発揮して光を放った。


「あっ」


「ぐ……!?」


 魔力光が、ロペの脇腹を抉っていった。宝石一つの魔力では魔人を仕留めるにはほど遠く、僅かに出血させた程度。致命傷にはほど遠い。しかしその僅かな出血だけでも、十分だった。魔人に逆らうことができるということの証明には。


 人間の明確な離反を確認したアデライーダが、大地を踏みしめて跳躍を試みる。盾を失った魔人へと斬りかかるために。


 だが、仮にもロペは黄金竜からの加護を受けた魔人である。馬車の荷台に飛び乗ると、残っていた宝石を叩く。アデライーダは察知した。叩かれた宝石だけではなく、別の馬車に積まれた宝石にまで伝播する魔力を。


「うわっ!?」


 村人たちが悲鳴を上げた。爆発するような勢いで、残っていた全ての宝石が次々に魔力を放ったのだ。


 魔力光と魔力壁が何の法則性もなく展開する。乱舞する魔力の嵐は、ロペの姿を完全に覆い隠した。バラバラに魔法が行使されたために魔力光と魔力壁が相殺しあい、村人たちに被害が出ることはなかったが……目眩ましや足止めとしては十分だ。法則性がないせいで掻い潜れず、次々に魔法が暴発するためいつ終わるかも予想ができない。


 ようやく魔力が落ち着いた頃には、消耗したアデライーダでは追いつけないところまでロペは逃げ出していた。


「ふぅ……」


 そう、アデライーダは消耗していた。人間爆弾は今の彼女にとって効果覿面と言ってよかった。正直に言えば、座り込んで休みたい。


 だが、それはできない。多数の人間が、アデライーダを見つめている。彼女は大魔王。一人や二人を相手にしている時ならともかく、耳目を集めているときは相応の振る舞いを心がけなくてはならない。例え大魔王であることを隠していても、だ。


「あ、あの……ありがとうございました……」


 村人が、おずおずとアデライーダに頭を下げてきた。


 ただでさえ先程まで敵対していた上に、フアナと共にいた時にも邪険に扱ってしまったことを村人たちは覚えている。許されるかどうか心配なのだろう。愚かな、とアデライーダは思った。まず心配するべきはアデライーダに対してではない。


「私より先に、頭を下げる相手がいるでしょう」


 アデライーダは後ろを指差した。崩壊した大商館の門。そこには大商館からようやく出てきた、フアナがぽつんと立っていた。


「みんな」


「フ、フアナちゃん…………」


 近付いてくるフアナの姿を、村人たちは直視できない。


 彼らにとって、アデライーダは結局のところよそから来た他人だ……実際には人ではないが。しかし、フアナは違う。彼ら自身が受け入れて、世話をして、育つところを見てきた。フアナのことをよそ者だと思う村人など、いない。いなかったのに。


「う…………」


 村人たちは黙り込むことしかできなかった。謝罪すらしない、できない。身内だと思っていた相手を我が身可愛さに脅し、殴りつけておいて、何を言えばいいというのか。


「…………」


 アデライーダは何も言わない。自分の役目は終わったとばかりに下がって、聞き役に徹している。


 だから、この場において話すことができる人物はただ一人。


「み、みんな……大丈夫だった?」


 フアナだけだ。


 彼女の口から紡がれたのは、気遣う言葉。だからこそ、村人たちは顔を見合わせてしまう。本来なら何を言われてもおかしくないのに、責められても妥当なのに、フアナはそれをしない。


「ほら、その……なにか仕掛けられてたみたいだから。

 あの、爆発とか……」


 フアナはたどたどしい口調でロペに殺された村人たちを悼み、生き残った村人がその影響を受けていないか心配する。その様子に、村人たちのうちの一人が耐えられなくなった。


「やめてくれ、フアナ! 俺たちのせいで」


「そういうの……いらないよ」


 村人たちの言葉を、フアナは遮った。


 彼女の声にはアデライーダのような特別な力はなかったが、今この場においては凛として響いた。


「誰のせいだとか……知ってる人とそういう考えを向け合うのは、もう嫌だよ。

 されるのは嫌だし……自分がされて嫌なことを、したくなんかない」


 再び黙り込む村人たち。合わせる顔がなく、俯く村人すらいる。この場で目に強い意志を宿しているのは、アデライーダと……フアナのみ。


「悪いのは……黄金の魔王。

 だから……できれば、でいいんだけど。

 私と一緒に、魔王に立ち向かってほしい」


 フアナの言葉を受けて、顔を合わせようとする村人はいない。今までとは別の理由で、だ。


 黄金竜の呪詛が解けたとしても、恐怖はやはり残っている。支配はもはや日常であり、前提。逆らう勇気を持つ村人は、存在せず――


「やるぞ、俺は」


 ――否。


 若い男の村人が、まっすぐ前を見た。


「どうせ俺たちは黄金竜に目を付けられてるんだ。だったら戦ってやる」


「ワシもだ!

 息子をあんな風に殺されて、従ってやれるものか!」


 続いて声を張り上げたのは老人だ。ロペに爆弾として投擲された村人の中には、彼の息子が混じっていた。


 それがきっかけとなったように、爆発的に声が広がっていく。


「ぼ、僕も!」


「私も戦うわ!」


「あたしも!」


 次々に張り上げられる声。もはや顔を逸らす村人はいない。誰もが顔を上げて、まっすぐフアナを見ている。老若男女の区別なく、誰もが。


 むしろ、フアナのほうが目を逸らしたくなった。嬉しさのあまり涙が零れそうになったからだ。思わず俯こうとして。


「それはダメよ」


「わ、わ!」


 後ろからぐい、と顔を掴まれる。


 フアナは、アデライーダの手で強制的に前を向かされた。


「今のあなたは、黄金竜と戦うための主役。

 それなら魔王を倒すって決めた時は、勇ましくね」


「しゅ、主役って、私は……」


「私は『この国』の『人間』じゃないのよ?」


 アデライーダの言葉に、フアナははっとする。アデライーダもまた、魔王なのだ。もしかして、魔王と戦うという言葉に思うところがあったのだろうか……そんな不安が、浮かんでくる。


 だが、それは無駄な心配だとすぐに分かった。


「ようやく、人間たちがまともになってくれてよかったわ。

 わざわざここまで力を制限して、戦った甲斐があったというもの」


 顔を掴まれているせいでフアナはアデライーダの方に振り向けないが……声だけでわかった。


 アデライーダは村人たちの様子を見て、本当に楽しそうにしているのだ。

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