第四章 第二話
大商館を目指すことに決めたアデライーダだったが、ハルディンの街を出るまでには一悶着あった。
次に来るだろう魔物の群れから街を守って欲しいと、街の人間たちが必死に引き止めてきたのである。
「黄金竜の呪詛を解除すれば、ワタシが戦えるようになります。
足が動かずとも、ワイバーン程度であれば対処できます」
そうノウンは説明したが、ドラゴンの暴虐を見た彼らにはあまり効果はなかった。結局、用事を済ませたら全速力でハルディンの街に戻ってくると街の人間に言い聞かせた上で、アデライーダはフアナと共に大商館へと旅立った。
フアナを連れて行ったのは、呪詛の解除が終わったことを確認次第ハルディンの街へと引き返すためである。魔導具である羽ペンがこの国の呪詛を解除したとしても、アデライーダの呪詛は解けない。つまり、アデライーダだけでは本当に解除ができたかどうかわからないのだ。確認するために、この国の人間を一人連れて行く必要があった。
アデライーダがこの国の人間として誰を選ぶかと言えば決まっている、フアナである。
無論、普通ならわざわざ人間を一人連れて行くよりも別の手段で呪詛の解除を確認したほうが早い。だが、大魔王は違う。
「う、うわ…………」
フアナを抱えたアデライーダが跳ねる。その度に、先程までいた場所が後方へと置き去りにされていく。圧倒的な速度で跳躍しているにも関わらず、フアナの身体はせいぜいそよ風程度の風圧しか感じない。
アデライーダにとっては人が一人いたところで何の負担にもならない。それどころか、抱えた人間にさえ何の負担も与えない。大魔王が存在するだけで、自然の理は大魔王を受け入れるように変わる。
「ふぅ」
少し疲れたようにアデライーダがため息をついたのは、大商館が見え始めた頃になってからだった。降ろされたフアナが空を見ると、太陽は夕日に変わってさえいない。
ノウンから受け取った地図によれば、ここまでにいくつかの街や商館、そしてその倍以上の村や集落を通り過ぎている。人間の足では何日掛かるか分からない距離を、アデライーダは日が沈む前に踏破してみせた。もし聖剣による弱体化がなければ、疲れた様子さえ見せなかっただろう。
大魔王の無茶苦茶ぶりについてフアナはもう触れず、大商館へと視線を移した。
「まるでお城……みたいですね」
この国における黄金竜の一大拠点である、大商館。有り余る財力が投入されたこの拠点は、当然のようにこの国に建てられたあらゆる建築物よりも華美で、堅牢だ。壁や門に埋め込まれて輝く宝石は単なる装飾のみならず、魔力を宿した防御機構である。
敷地内の魔物は相変わらずゴブリンやオークが多数だったが、他の商館とは明らかに装備が違う。オークはキメラを引き連れて闊歩し、ゴブリンは悪趣味に輝く装備で身を固めている。更に、上空ではワイバーンたちが旋回中だ。
「や、やっぱり、魔物を倒してからじゃないと羽ペンは使えないんでしょうか」
魔物の姿ははっきりと見えなかったフアナだが、この大商館が段違いに堅牢な作りであることは分かる。戦わずに呪詛への干渉だけ済ませて帰ればいいのでは、と考えるのは当然だ。
だが、アデライーダは首を振った。
「魔物よりも、設備を壊すか止めないと無理ね。
見なさい。壁に宝石が埋め込まれているでしょう?」
「え……いや、遠すぎて見えないです」
「あぁ、ごめん。ともかく、宝石には魔力が込められているわ。
宝石が残っている状態で商館内にある帳簿を書き換えようとしても、たぶん宝石の魔力で弾かれると思う」
これだけの魔物が揃っているにも関わらず、アデライーダは魔物たちを全く脅威だとはみなしていなかった。
彼女にとっては、大商館の設備のほうがよほど厄介だ。
「かといって、設備を壊そうにも……
魔導具の羽ペンによる干渉は帳簿の存在があってこそだから、帳簿が失われないよう気をつけないといけない。
面倒な注文ね」
アデライーダが心配しているのは、戦い方が制限されることだ。戦いの中で帳簿が損壊した場合、羽ペンは魔力を行使する先を失って結果的に呪詛への干渉ができなくなる。そう、事前にノウンから注意されていた。
「ま、大した問題じゃないでしょう。フアナ、荷物を持っておいて」
「は、はい」
ここまで来るための地図や魔導具の羽ペンといった、聖剣以外の荷物をフアナに預けてアデライーダは跳んだ。跳躍を繰り返す中でワイバーンが気付いたが、その時にはもう遅い。弾丸となった大魔王が、大商館に突撃する。敵を察知した宝石が魔力を放ち、外門を覆うように魔力壁を展開したが……アデライーダが聖剣を一振りすると、魔力壁ごと門が両断された。
侵入者を知ったオークがキメラを解き放つ。ゴブリンが粉をばら撒くと、着地したアデライーダの周囲に竜牙兵が湧き出てくる。上空からは舞い降りてくるワイバーン。大商館の壁は次々に輝き、魔力光による砲撃の準備をしている。
前後左右上下、全方位からの攻撃に、しかし大魔王は不敵な笑みを浮かべるだけだった。
結果から言えば、アデライーダによる大商館制圧はつつがなく終わった。
ワイバーンも、キメラも、竜牙兵も、アデライーダの敵ではなかった。当たり前と言えば当たり前だ。ドラゴンですら敵わぬ大魔王を、有象無象がどうにかできるものではない。
アデライーダは防御機構を停止させると――帳簿を巻き込むリスクを考えて、破壊は外面部のものだけに留めた――フアナを大商館に招き入れた。城じみた屋敷の作りはやはり中身も豪奢で、食料目的で制圧した商館すら比較にならないほどの装飾が施されている。おまけにアデライーダは最低限の破壊しかしていないため、その装飾のほとんどが無事だ。豪華な内装に気圧されてしまったフアナの足取りが、おっかなびっくりになってしまったのも仕方ないと言えるだろう。
「フアナ、あの羽ペンをちょうだい」
「あ……は、はい」
一方で、アデライーダは戦闘の疲れを見せる様子すらなくいつも通りだ。
そのままフアナから魔導具の羽ペンを受け取り、魔力を注ぎ込む。すると羽ペンは大商館内へのどこかへと魔力を伸ばし始めた。おそらく、その先に帳簿があるのだろう。それを確認したアデライーダは、羽ペンをフアナに返した。
「羽ペンが書き換えを終えて動作を止めた時に、フアナの呪詛が解けていたら成功……
ということになるかしら」
「た、たぶん。
でも羽ペンを持っていれば呪詛の状態が分かるって、どういう……」
「自分の腕を見てみなさい」
「え……あっ」
アデライーダの言葉に、フアナは自らの腕を見て……気が付いた。怪しく光る文字が、腕に浮かび上がっている。その様子について、アデライーダは解説した。
「黄金竜の呪詛が、書き換えに反応して浮かび上がっているみたいね。
これが消えたら、呪詛から逃れることができた証明になるでしょう」
「な、なるほど……」
納得して顔を上げたフアナだったが、アデライーダは何の前触れもなく明後日の方向を向いていた。困惑するフアナをよそに、険しい表情をしている。
「あ、あの…………アデライーダさん?」
「ペンを持ったままこの建物の奥に向かって、身を潜めてなさい」
「えっと、もしかして……」
「また敵よ」
そう告げて、アデライーダは大商館の外へと跳び去っていく。明らかに不愉快そうな彼女の顔が、なぜかフアナの頭から離れなかった。
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