第三章 第七話

 言い争いをする住民たちは、文字通りに立ち位置を真っ二つにしていた。街の隅にある家屋の前で、線を引くように二つのグループが別れている。


「こいつを使って、黄金の魔王を騙すようなことをしたからこんな事になったんだ!」


「今からでも遅くないわ。差し出して許してもらいましょう!」


 片方のグループは、いつ暴れ始めてもおかしくない様子だ。彼らは口を揃えて言う、この家屋にいるものが悪いと。黄金竜に従うべきだと。


「お金も農作物も、言われた通りの量を引き渡していればよかったって言うんですか?」


「お前さんが余った金で散々酒を買っていたのを知っとるぞ!」


 もう片方のグループは、そんな相手を牽制する様子を見せていた。落ち着かせようとしている者もいなくはないが、ヒートアップしたのか半ば挑発じみた発言が増えてきている。


「襲ってきたドラゴンはもう死んで――」


「次の魔物が来たら――」


 街の人間が言い争うこの場に、新たに現れる二人。即ち、アデライーダとフアナである。


「もし」


 アデライーダの呼びかけは極めて短い言葉だったが、それだけで街の人間は言い争いをやめて声の主を向いた。


 大声を出したわけではない。アデライーダの声はただ澄んでいるだけで、人間たちの怒声に比べれば小さなものだ。にも関わらずアデライーダの発した声は、誰のものよりもはっきりとその場に響いた。


「なんだよ、急に割り込んできて」


「私はアデライーダ、旅の武芸者です。

 偶然この国に立ち寄ったところ黄金竜……黄金の魔王による暴虐を聞き、討伐を決意いたしました。

 立ち寄ったこの街でドラゴンを討ち取ったのもその一環です」


 アデライーダが述べた虚偽の説明――もっとも、内容を大幅に省いているだけで、発言そのものはほぼ真実と言えなくもないが――を聞いて、街の人間は揃ってざわめいた。


 魔女を擁護していた側でさえ、考えていたのはやってくる魔物をなんとかする程度である。はっきりと黄金竜を倒す、などと言い切れるほどの覚悟は持ち合わせてはいなかった。


「いや……いくらなんでも魔王に立ち向かう、だなんて……」


「適当なところで相手を譲歩させればいいだけで……」


 先程までの険悪な様子はどこへやら、街の人間はどちらのグループも仲良く揃って難色を示している。もっとも、それを気にするアデライーダではない。


「黄金の魔王と戦うために、呪詛を誤魔化す術は大いに役立つはずです。

 この街でどのような事をしていたのか、教えて頂けませんか」


 アデライーダの言葉に、街の人間は何も言わない。だが、彼らの顔は明確に語っていた。黄金竜と最後まで戦う勇気を持ち合わせた者は、誰もいないということを。


「この街の秘密を、教えるべきです」


 ――否。いないわけではなかった。


 新たに響いた声の主に、注目が集まる。フアナに子供を助けられた母親が、我が子を抱えてこの場を訪れていた。


「ぼくは……パパのぶんまで、魔王をたおしてほしい」


 少年は、ワイバーンだけが仇だとは思っていなかった。今回、このハルディンの街を襲ってきた魔物を倒しただけでは、何も終わってなどいない。この国がこうなった根本である黄金竜を倒してやっと戦いも支配も終わるのだと、少年は分かっていた。


 街の人間たちからの反論はない。父親を失った子供の声を封じては、さすがに恥だと思うくらいの理性はある。その様子を見た少年の母親は、アデライーダとフアナに向き直って告げた。


「あの中にいるものが、この街の秘密を説明してくれるはずです」


 母親が指差したのは、街の人間が取り囲んでいる家屋であった。


「行きましょ、フアナ」


「は、はい」


 人間たちの視線が集まる中、アデライーダは堂々と歩き出した。思わずフアナもアデライーダの顔を見たが、それは街の人間とは異なる理由による。


 少年の仇である黄金竜とは別個体とはいえ、魔王であることには違いないアデライーダ。魔王を倒してほしいという言葉をどう思うのだろう、とフアナは心配したのだが……しかしアデライーダの顔には、全く不愉快に思ったような様子はない。彼女の表情にあるのは、むしろどこか楽しげな微笑みだった。




「普通の家……ですね」


 件の家屋に入って、フアナが最初に発した言葉がそれだった。村に住む農民の家よりは広く家財も整ってはいるが、黄金竜の商館のように豪奢というわけではなく、まして何か特異な……それこそ魔女が使うような設備は見当たらない。


 そんなフアナの感想を、しかしアデライーダは否定した。


「いいえ、見事な工房よ。

 術者はもういないというのに、ここまで完璧な偽装をしてる」


「えっ?」


 思わずフアナが戸惑ったのは、偽装の存在ではない。術者はもういない、という言葉に引っかかったからだ。この家屋は自分の母親のものなのではないか、と期待し始めていたフアナに対して、その言葉は冷や水を浴びせるも同然だった。


 同時に、新たな足音が響き始める。家屋の奥から近づいてくるそれは、どこか人のものとは違った。


「街の方々の承認を認識」


 果たして二人の前に現れたのは、メイド服を着た「一体の」女性。一見すると人間に見えるが、アデライーダは異常を見抜いた。


 人間と同じような足は、実際には中身がない。外見を取り繕っただけで、内部はがらんどうにほぼ棒切れを通しただけの出来の悪い義足。そして、その義足が繋がる肉体もまた、生身ではない。その答えを、大魔王は知っていた。


「単体でここまで動くなんて、よくできた魔法人形ね。

 足は壊れてるみたいだけど」


 魔女などが組み上げる、魔力によって稼働する疑似生命がこの世界には存在する。ゴーレム、使い魔、ホムンクルス、様々なものがあるが……大抵の場合はせいぜい製作者の補助が限界であって、一人暮らしなどできないものだ。


 そう、アデライーダは見抜いている。この家屋に住んでいるのは、この魔法人形が一体だけであると。フアナも単体という言葉からそれに気付いて、少なからず落胆してしまった。勝手な期待だとはわかっていても、フアナは自分の母親が出てきてくれればと思っていたのだ。


「アラディア様の……聖剣を確認。

 アラディア様の……ご息女を確認」


「え……えっ?」


 落胆した後だからこそ、フアナは魔法人形の発言に驚かされた。

 アラディア。その名は間違いなく、フアナの母親の名だ。


「お待ちして、おりました。ワタシの個体名はノウン。

 アラディア様に造られ、研究を引き継いだ魔法人形です」


 頭を下げる魔法人形に、フアナは何も言えなかった。言いたいことがないわけではない。母親に作られた魔法人形という、母親の遺産。しかも、その遺産は会話が可能で……質問が山ほど思い浮かんでしまったフアナは、どれから聞けばいいのか分からなくなったのだ。


 アデライーダはしばらく黙っていたが、フアナが半ば混乱に陥ってしまった様子を見て自分が会話を進めることにした。


「私はアデライーダ。もう知ってるみたいだけど、こっちの子はフアナ。

 ノウン。あなたがなぜ作られてこの街で何をしてきたのか、一から教えてくれるかしら」


「受諾」


 魔法人形はアデライーダの要求に応じると、初めから順序立てて説明を開始した――

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