第三章 第六話
半ば倒壊したヌエボ・ハルディンの街門をフアナたちがくぐると――少年はアデライーダが背負った――確かに言い争いと思しき声色が、フアナの耳にも聞こえ始めた。街門からは離れた場所で言い争っているらしく、まだ内容ははっきりと聞き取れないが。
「くだらないことを言ってるわね」
一方で早くも内容を理解したのか、アデライーダはつまらなさそうな表情を顔に浮かべている。だが、フアナにはそれよりも気になることがあった。
ハルディンの街は完全に火が消えたわけではなく、消火作業にあたっている人も多い。にも関わらず、それを放置して言い争っているのだ。
「あ、あの……アデライーダさん。先に火を消す手伝いをしませんか」
「そう? これくらいの火でも気になるって言うならいいけど」
どうやら、大魔王にとってこの程度の火は考慮に値しなかったらしい。アデライーダは背中から少年を降ろすと、まだ火が残っている家屋に手を向けた。
その途端、火が消える。消火作業に夢中でアデライーダに気付いていなかった街の人間たちは、いきなりの鎮火で逆に驚いた。
「な、なんだ!?」
「うーん、一回でこれだけしか消えないとはね」
「い、いや……十分だと思いますけど……」
そんな街の人間たちをよそに、アデライーダは手を向ける先を変えていく。その度に家屋は鎮火し、それどころか煙すら消えていく。全く想像とは違う「消火作業」に、フアナはどんな反応をすればいいのかわからない。
「お……おねえちゃん、すごい!」
素直な反応を示したのは、少年のほうであった。石畳に座り込んだまま、目を輝かせてアデライーダを見上げている。
「あれ、おねえちゃんがやってるんでしょ!」
「うんうん、もっと褒めなさい。私はすごい、私はつよい、私はえらい」
少年の無垢な称賛に、大魔王は満更でもないご様子である。今までフアナが見たことのないアデライーダの反応に、もしかして今までの自分の態度はよくなかったのでは、とフアナは慌てた。
「言っておくけど、歳で求められる振る舞いが変わるのは私だって知ってるわよ?」
「え、あ、はい」
そしてそれが顔に出ていたらしく、アデライーダから突っ込まれた。
そうこうしている間に消火作業が終わった……というよりアデライーダによる鎮火で消す火がなくなった街の人間の行動は、三つに分かれた。
一つ目は、負傷者や遺体を処置する。二つ目は、街で言い争っている者たちを気にする。そして三つ目の行動が、アデライーダたちの元へ集まってくるというものだ。
三つ目の行動を取った中の一人に、中年の女性がいて……その女性が駆け寄ってくる様子に、少年は声を上げた。
「ママ!」
「よかった、無事だったのね……!」
女性が少年を抱え上げる。涙ぐむ女性、いや母親に対して街の人間たちが温かい声を掛け始めて、思わずフアナも嬉しくなっていた。安堵、達成感……そして、共感。母親と会えた子供に、喜ぶ気持ち。
やがて少年の母親は我が子との話を終えると、アデライーダたちに頭を下げた。
「ありがとうございます。もしや、空でドラゴンと戦っていたのは……」
「はい、私です。
私は旅の武芸者なのですが、たまたま通りかかったこの街をドラゴンたちが襲うところを見かけまして」
村で対応した時と同様に、アデライーダは身分を偽り態度を切り替えた上で応対する。
相変わらず、民衆を相手にするには度の過ぎている礼儀作法だったが、フアナの村とは違ってそれを理解できる者もちらほらといたらしい。アデライーダがカーテンシーを行うと、少年の母親は礼を返した後に我が子を見た。
「この子を助けて頂いたのも、あなたが?」
「うぅん、たすけてくれたのはこっちのおねえちゃん」
男性の言葉に少年は首を振って、フアナを指さした。アデライーダがどれだけ凄いところを見せようとも、少年にとって助けられた相手はあくまでフアナなのだと。アデライーダも、それに異は唱えない。
「ありがとうございました、本当に……!」
「い、いえ……」
少年の母親が、改めて頭を下げた。他の街の人間もまた、フアナに感謝の視線を向けている。ただフアナ自身だけが、所在なさげな様子で恥ずかしがっていた。
「その……他に、誰か生き残っていませんでしたか。この子以外に……大人は」
続けて問いかけた少年の母親の声色は、少しばかり暗くなっていた。それが意味することをフアナは理解する。
子供がたった一人で逃げ出すはずはない。おそらく、父親と子供の二人で街から離れようとしていたのだ。だが、最終的にあの場で生き残ったのは少年だけだった。
「ご、ごめんなさい……助けられたのは、この子だけです」
「やめてください!
この子を助けて頂いただけでも十分ですから……」
思わずフアナは謝ってしまう。もっと多くの人が助けられたかもしれない。そんな自己否定の虫が、彼女の中に巣食っている。少年の母親が逆に慰めても、その虫は消えなかった。
人間たちの心の機微を読んだのかは定かではないが、アデライーダは話を切り替えた。彼女にとっての本題に入ったのだ。
「向こうで人々が言い争っているのはなんでしょうか。
先に少し聞いたところ、黄金竜の呪詛を誤魔化して引き渡す金銭や物資の量を偽っていたようですが」
「えっ!?」
思わず、フアナは横から間抜けな声を上げてしまっていた。聖剣を持っていたフアナでも、いや、フアナだからこそ思う。黄金竜の呪詛に抗う術が聖剣以外にあるのか、と。
だがその言葉を聞いた途端に、街の人間たちは顔を見合わせて口ごもる。少年の母親ですら迷いを見せていた。いくらドラゴンを倒したと言えど、アデライーダたちは所詮「よそ者」だ。街の秘密を教えていいものなのか、彼らは迷っていた。
しかし、フアナに助けられた少年はそんな迷いなど気にも留めない。
「あのね、魔女さまのおかげでこの街はゆーふくなんだって」
あっさりと喋った少年に街の人間たちは慌てたが、既に放たれた言葉は消えない。少年の発言に、アデライーダとフアナはそれぞれ違う反応を見せた。
「確かに、この街の兵士たちはそれなりに武具を揃えていたわね」
裕福、で反応したのはアデライーダだ。彼女は衛兵たちを思い起こしていた。
本来であれば黄金竜に対しての支払いがある以上、まともに装備を揃える資金はない。だが、この街の衛兵たちはしっかりと槍や剣を持ち、鎧で身を固めていた。購入する資金があった証拠である。
「魔女、って……」
そして、魔女という言葉にフアナは反応した。理由は言うまでもない。彼女の母親が魔女であるからだ。聖剣を完成させたはずの街で魔女の存在が出てくれば、関連性を疑うには十分すぎる。
「魔女に思い当たる節があるの?」
「え、ええっと……」
アデライーダの質問に、フアナは口ごもった。家族のことについて、フアナはまだ話していない。もっとも、中途半端な返答は魔女が気になると認めたようなものだったが。
「じゃあ、確かめに行きましょうか」
言うやいなや、アデライーダは言い争いが聞こえる方向へずんずんと進み始めた。あまりにも唐突すぎて街の人間は目を白黒させるしかない。フアナだけが反応して、慌てて追いかけていく。
フアナの行動が早かったのは、アデライーダの行動に慣れてきたというのもあるが……何より、魔女について確かめたいからだ。もしかすると自分の母親が生きていたのかもしれない、そんな期待のために。
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