第三章 第五話


「おの……れ!」


 アデライーダを睨むドラゴンの口から、苦悶と憎悪に満ちた声が漏れる。既に戦いの均衡は崩れていた。自在に空を舞っていたはずのドラゴンが、見る影もない不格好な飛行をしている。当然だ。翼に穴が空いているのだから。


 鞘に聖剣の輝きが残っていることに気付いたアデライーダは、隙を見てドラゴンへと鞘を投擲。見事にドラゴンの翼を貫いた鞘は重力のままに地上へと落ち、ワイバーンの翼を切り裂いたというわけだ。


 フアナが助かったのは偶然ではあるが、必然でもある。魔を討つ輝きが宿った鞘は、落下する中でワイバーンへ向けて僅かながらも誘導されていたのだから。


「お前たち、我の元に戻れ! 奴を囲め!」


 もっとも、ドラゴンにはワイバーンのうち一匹が巻き添えになったことを気にする余裕はない。動きの鈍ったドラゴンへ向けて、アデライーダが迫っている。聖剣の輝きと共に。鞘だけでもドラゴンの翼を貫く威力となれば、剣がどれほどの切れ味なのかは嫌でも想像できる。ドラゴンという種族にとっての鎧である鱗に、ドラゴン自身が信を置けなくなっていた。


 街から慌てて飛び上がってくる、生き残りのワイバーンたち。そのままアデライーダへと包囲攻撃を仕掛けたが、ドラゴンはワイバーンたちが成果を挙げるとは思っていなかった。すぐに切り捨てられるのがオチだろう、と。


 故に喉を震わせ、吸い込んだ息に魔力を込める。アデライーダが敵を切り捨てる数瞬にブレスを放つことで、ワイバーンごと焼き殺す腹積もりだ。


 ワイバーンはアデライーダの相手にはならないだろう、というドラゴンの予想は当たっていた。

 だが、それでも甘すぎる予想だった。


 アデライーダの振るう聖剣が煌めいた瞬間、ワイバーンのうち一匹の首が消し飛ぶ。そこまではドラゴンの読み通りである。だがそこからアデライーダは首無しとなったワイバーンの身体を掴むと、宙に浮いたまま身体を回転。ワイバーンをドラゴンへと投擲したのだ。大魔王の膂力からすれば、鞘もワイバーンも大して差はない。どちらも軽々と投げつけられる程度の重量である。


 不意を突かれたドラゴンは投擲を避けられない。翼が傷ついているのだからなおさらである。砲弾となったワイバーンの死体がドラゴンの身体に直撃し、姿勢を崩したドラゴンの口はあらぬ方向へと向いた。そのまま吐き出してしまった火炎のブレスがアデライーダに当たるはずもなく、空に飲み込まれるように消えていく。なんとかドラゴンが姿勢を直した頃には、残ったワイバーンたちも既に全滅しており……大気を蹴ったアデライーダが、ドラゴンの眼前に迫っていた。


「貴様、まさか……!」


 ようやくドラゴンは気付いた。これだけ接近されてしまったことで、聖剣に覆い隠されたアデライーダ本来の力がドラゴンの感覚器に届いたのだ。その力が帯びる色、明らかに人の持つものではない。


「大魔――」


 しかし、気付くにはあまりにも遅すぎた。


 ドラゴンの驚愕が言葉になる前に、振り抜かれた聖剣が頭を消し飛ばし……制御を失った胴体が、地面へと墜落して轟音を響かせる。


 それに比べ、アデライーダが着地する様子は静かなものだ。大地は揺らがず、大気は騒がず。まるで歩いてきたかのような自然さで、アデライーダはフアナたちの前に降り立った。あまりにも自然すぎたせいで、フアナに助けられた少年は「初めて見る空から降ってきた誰か」という事態に驚くことを忘れてしまった。


「あら、その子は?」


 アデライーダの質問に、少年は自分のことを聞かれているのだと気付いて……ようやく、見知らぬ誰かが空から降ってきた異常性を思い出して、フアナの後ろに隠れた。立ち上がれないので、上半身をずらしただけだが。


「ワ、ワイバーンに襲われていたところを助けたんです」


「ふぅん?」


 フアナの返答は最小限の内容だったが、それだけでアデライーダは少年への興味を失ったようだった。彼女の興味は別のところにある。ちらりとワイバーンの死体を見たアデライーダはフアナに笑顔を向けた。


 人魔を問わず、勇気ある者を大魔王は評価する。


「これをあなたが倒したのね。頑張ったじゃない」


「そ、そうでしょうか…………」


 アデライーダは本心から褒め称えたのだが、それを受けたフアナの返答は歯切れが悪い。当然と言えば当然だろう。フアナは未だに、自分がワイバーンを倒したという実感がない。


 たまたま鞘が降ってきて、たまたまワイバーンに当たったから、トドメだけをやった……そうフアナは自認していた。褒めてきた相手がドラゴンとワイバーンをまとめて討ち滅ぼした大魔王であるのが、余計にフアナの自己評価を下げる。


 そんなフアナから、アデライーダは視線を外した。目を向けたのは、街の方向。ワイバーンはアデライーダに向かったため全滅、襲撃は終わった。後は消火に専念すればひとまず事態は落ち着く、そのはずの街を……なぜかアデライーダは厳しい目で見ている。


「何か言い争ってるみたいね」


「えっ?」


 いきなりの発言に、フアナはもちろん少年も目を丸くした。当然ながら、二人には街の中の会話など耳まで届かない。


「き、聞こえるんですか」


「さすがにこの距離じゃ、何を言っているかははっきり分からないわよ。消火の音も混じるし」


 いやそういうことじゃなく、と突っ込むのをフアナは諦めた。大魔王が根本的に人間と異なる生き物なのは今更である。


「街へ行ってみましょう」

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