第三章 第二話

 フアナとアデライーダが、商館を襲撃してから数日が経った夕暮れ。二人は、とある街にたどり着いた。


 すぐ疲れが取れる、というアデライーダの言葉は嘘ではなく、夜が明ける頃には元気な顔で起き上がっていた。これからどうするべきかという話題になって、アデライーダは一枚の紙を取り出したのである。


「あいつらの馬車に落ちてたのを拾ってきたの。

 ゴブリンに与えられた予定表らしいんだけど」


「えっと、ゴブリンって……文字が読めるんですか?」


「普通は読めないわね。ま、あいつは普通じゃなかったみたい」


 識字もまたイリダールに与えられた加護の一つであったが、二人にそれを知る術はない。


 ともあれ、アデライーダとフアナはその予定表を読み解いた。母の遺した本を僅かながら受け継いでいたフアナは、それを通して読み書きを学んでいる。特別な魔導書などではなかったし、最終的には『借金取り』に回収されることとなったが。


 イリダールの遺した紙は査察の予定表であった。本来なら別の街に査察へと向かうはずが、たまたまアデライーダが襲撃した商館から逃亡した魔物と出会ったことで行き先を変えたのだとアデライーダは気付いた。そして、フアナはその街の名前について覚えがあった。


「こ、この街って……」


「なにかあるの?」


「お、お母さんが、この剣を完成させた時に住んでいた街……って、言ってました。

 小さかったから、私は覚えてない……んですけど」


 フアナの口調が、いつも以上にたどたどしいものとなる。


 両親のことについてフアナはまだアデライーダに話していない。話すとしても母親との記憶は幼い頃のものだけで、父親に至っては伝聞でしか知らない。そんな程度の知識だから、当然この街にどのような価値があるのかもわからない。自信を持って話せるような理由が、何一つとしてない。


 しかし、アデライーダは軽い調子で決めた。


「じゃあ、この街を調べてみましょう」


「い、いいんですか……?

 私、この街に何があるのかわかりませんよ……?」


「だって、他に行くあてもないじゃない」


 かくして二人はこの街を目指すことになり、商館からある程度の物資を回収してから旅立った。街の名前はヌエボ・ハルディン。かつてのこの地域は開拓地として人の往来が活発で、ヌエボ・ハルディンはその中心となるように作られた街である。


 しかし。


「駄目だ。身元が分からぬ者がこの街に入ることはまかりならん」


 調査は初手から躓いた。


 街の門は人間の衛兵によって固められていて、そして彼らは決してアデライーダたちを通そうとはしなかったのである。


「そこをどうにかして頂けないでしょうか」


「駄目だと言った」


 アデライーダはまた猫を被った上で頼み込んだが、衛兵の返答には取り付く島もない。引き下がるしかなかった。


「ど、どうしますか……?」


「とりあえず森の中に戻るわ。隠れられるしあの街も見える、くらいの位置にしましょう」


 フアナの問いかけにアデライーダはそう返事をすると、森へ向かって足を進めた。アデライーダにとっては街の近くだが、フアナからすればそれなりに街から離れた森だ。進路としては半ば元来た道を戻っているのだが、アデライーダは前進しているかのように迷いなく進む。いちいち街を振り返っては悩むフアナとは、対象的に。


 そんなフアナをよそに、アデライーダは適当な木の陰を見繕うと座り込んだ。そのまま丁寧に荷物を広げて中身を取り出し。


「ん~~~~~~~~~! 甘くて、おいしい!」


 ドライフルーツに蜂蜜を付けて、存分に味わい始めた。追いついたフアナの視線は、一瞬にして疑問に満ち溢れた。


「アデライーダさんって、食べなくても平気……なんですよね?」


「んく……そうだけど?」


 アデライーダはしっかりとドライフルーツを飲み込んで、自分の口内に果物が残っていない状態になってから返答した。完全に食事だけをする状態に切り替えている。


「な、なんか、商館を出てから私以上のペースで食べてるような……」


「餓えないことと食べたいことは別の問題」


 そう言ってまたドライフルーツを頬張るアデライーダ。彼女は断食を終えて以降、甘い物しか食べていない。大魔王の甘味に対する欲望は尽きるところを知らない。


 フアナは腰を下ろすこともできず、また街のほうを振り返っては悩む。落ち着きがないことこの上ない。何かをしなければならない、そんな強迫観念に首を動かされているかのようだ。


「焦らなくてもいいと思うわよ。私たちは間に合ったみたいだし、のんびり待てばいいんじゃない」


 そんなフアナの動きを止めたのは、アデライーダの落ち着き払った声だった。


「間に合った……?」


 予想もしない言葉に、思わずフアナは首を傾げた。いったい何に間に合ったのか、彼女にはさっぱり分からない。


「私はこの街に来る査察役のゴブリンを殺した。

 だったら、いつか別の魔物が査察役として代わりに来るでしょ。

 なんで査察が入るのか、それを見届ければこの街に何があるのかわかるかも」


 それが、アデライーダの立てた予定だ。


 フアナは母親との記憶を通してハルディンの街を見ているが、アデライーダはゴブリンの査察予定という観点から考えている。街に入れないのであれば、街にやってくるであろう魔物を待てばいい。アデライーダはそう考えていたのだ。


「だからのんびり食事でもして、寝なさい。

 いつ来るのかわからないんだから、長丁場になるかもしれないわよ」


「は……はい」


 そう言われてようやく、立ちっぱなしだったフアナは腰を下ろした。ある程度の風が吹いているにも関わらず、周辺には葉が落ちてくる様子はない。虫は去り、大地は土煙を消していく。


 まるで森そのものが認めているかのようだった。この場はアデライーダのものである、と。

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