第三章・魔王と人間

第三章 第一話

 王都オリゲン。


 かつては勇者――フアナの父を中心として魔物と戦い、活気と熱意に溢れていたこの国の中心。


 だが、今となっては見る影もない。活気も熱意も消え去って、ただ諦念という泥の底に沈んでいる。かつては勇者を歓声と共に送り出した街道は、何の興奮もなく静かだ。


 当然と言えば当然だろう。もはやこの王都は、王宮ですら魔物が堂々と闊歩する有様なのだから。


 城門を一人の若い男が通り過ぎていく。かつては直立不動で門を守っていた衛兵たちも、今は俯きながら開門を指図するだけだ。男は礼もなく、我が物顔で王宮を突き進んでいく。


 かつては魔物に備えるために城塞を兼ねていたこの王宮は、しかし今となっては城塞としての役割を果たす設備のほぼ全てが取り払われている。城内から外へ射撃を行うための狭間は埋め立てられ、塔は次々に崩され、今となっては城門とその周辺の壁のみが城塞だった過去を残している。


 男は待つことなく、待たされることもなく、玉座の間へと直行した。玉座には確かにこの国の王が座り、周囲に控えているのはれっきとした人間の貴族たちだったが……男を見るなり、揃って姿勢を正した。貴族たちはおろか、王ですら。


 実質的な立場はどちらが上なのか、明らかであった。


「やあやあ、王よ。ご機嫌麗しゅう」


 男は敢えて、大仰な手振り身振りで礼をした。言葉遣いも合わせて、意図的な慇懃無礼。


 だが、それを咎めることはこの場に控えている貴族にはもちろん、王にすらできない。黄金竜の呪詛がある限り、この国の人間が男に逆らう手段はないからだ。ただ不甲斐なさに、ほぞを噛むばかりである。


「何用だ、ロペ」


「……これを言うのは何度目だったかな?

 魔人と呼べよ、王様。

 我が身は黄金竜の加護を受けた人ならざる者にして、黄金竜の代理なのだから!」


 そしてその慇懃無礼すら、男は即座に捨てた。男の見た目はほとんど人間と変わらない。だが、尖った耳や蛇に似た目つきなどが、魔物であることを示していた。


 彼こそは、この国を黄金竜に売り渡した勇者の弟、フアナの叔父。国家の商取引に黄金竜を介入させ、負債を積み重ねさせることで呪詛の発動を招き、この国が黄金竜に逆らえぬようにした張本人。帰国した兄を騙し討った勇者殺し。その功績によってロペは竜の魔人へと転生し、亜竜の一種とも言える頑健かつ長命な身体を得た。


 現在、黄金竜は更に支配を広げるべく、様々な共同体へと――人間、魔物を問わず――経済工作を仕掛けている。そのため既に体制が固まったこの国に対しては、ロペに管理を一任していた。黄金竜の代理という自己紹介は決して大げさなものではない。


「……魔人よ、すまなかった」


 故に、王はロペの態度を咎めることもなく、ただ謝罪をするのみ。その対応に、ロペはニヤリと蛇のような笑いを浮かべる。


「なぁに、ただの冗談だ。そこまで気にするな。

 さて……前置きはここまでにして、いきなり要件に入ってもいいだろう?」


「……構わん」


 楽しくてたまらない様子のロペとは対象的に、この国の王は苦虫を噛み潰したかのような表情である。貴族の中には、耐えきれずに目を背ける者さえいた。


「黄金竜様は苛立っておられる。呪詛を潜り抜けたとしか思えぬ、昨今の不穏な動き。

 更にはつい最近、我らの商館の一つが人間の少女に潰されたとの報告が入った」


 ロペの言葉に、貴族たちはざわめいた。ここまで堂々と黄金竜に反抗する者がいるとは思っていなかったからである。国全体が呪詛に縛られている状況では、魔物の一体に反撃することすら叶わない。にも関わらず商館を潰すというのはいかなる手段を取ったのか。王ですら表情を変えていた。


 ある意味では希望を見出したとも言える人間たちの中で、しかしロペは笑っていた。


「いやいや、困ったことだ。

 襲われたのであれば、自衛をしなくてはならない。そうだろう?

 王よ、我らが正規軍をこの国で動かしたいのだが……構わないな?」


 貴族のざわめきが止まる。王が凍りつく。


 実のところ、今のこの国で活動している魔王軍のほとんどは末端の雑兵、あるいは雇われの傭兵の類いだ。商館に黄金竜の主戦力たる竜や亜竜がいなかったのがその証拠である。ロペの言う正規軍とは即ち、その竜たちのことを指す。


「何をするつもりだ……」


 王の問いに対して、ロペは顔の笑みを大きくしていく様子を隠さず。


「襲われているんだ。居場所を突き止めて、こちらから襲うのが普通のやり方だろう?

 まあ、その過程で?

 街や村の一つや二つは焼くことになるかもしれないが?」


 巻き添えを少なく抑えるつもりなどないと、言外に伝えていた。むしろ増やしてやると。


 先程までは僅かに期待を取り戻したかのような素振りだった貴族たちは、揃って青ざめている。反抗者が現れたことに対して見せしめを行うつもりだ、と理解したからだ。


「我々は対等な商取引の関係にあるのだ。

 こんな事件を起こす輩が出てこないよう、皆様には気をつけて頂きたいものだな?」


 対等な、と言う言葉をわざわざ強調してロペは言った。皮肉げに、見下しながら。その口ぶりが何よりも、実際には対等でないことを証明している。


「……努力しよう」


 王の表情は、またしても苦虫を噛み潰したものに戻っていた。断言するのではなく曖昧な言葉に留めたのは、政治的判断ではなくせめてもの抵抗か。


「では、これにサインを。

 我が正規軍の活動を認めた証となるものだ」


 ロペが差し出した書類の内容は、魔物たちによる国内での殺人・略奪を対価なく正当化するも同然の内容だったが……それを拒否できる権力を、この国の王は事実上失っていた。

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