第二章 第二話

 黄金竜がこの国に対して行ったことは、名目上は軍事行動ではなく商取引である。ゆえに、配下の滞在は魔軍の進駐とは異なる。その気になれば魔軍を名乗って進軍しても問題ないほどには国を掌握しているが……それでも皮肉と嘲笑を込めて、黄金竜は配下の駐屯地を城でも砦でもなく「商館」と名乗らせた。あくまでこの国で商いを行い、商人もとい商魔が滞在した結果として、人間たちは苦しんでいるのだという悪意の元に。


 さて、フアナの村がある地域を管理する商館の主はトロールのうちの一体であった。トロールはオーク以上の巨体、オーク以上の剛腕、そしてオーク以上の鈍感さを誇る種族だ。


 トロールらしく肉に包まれた醜い容姿を持つ彼は、屋外で棍棒を撫でていた。その棍棒は、トロールに見合わぬほど美しく輝いている。その美しさたるや、月光にも負けぬほどのもの。


「美しイ……」


 惚れ惚れとした様子で、トロールは呟いた。確かに棍棒が放つ光は美しく、その輝きは持ち主を照らすほどなのだが……その照らされている当人の顔が醜悪極まりないのが最大の問題であった。もっとも、この棍棒の素材となった鉱石にはよくあることなのだが。


 鉱石の名は、まぬけ石。青く輝く希少な鉱石で、その美しさは宝石として扱っても問題がないほどのものだが、観賞用には適さない。とにかく重いからだ。運ぶのが困難などころか、飾れば棚や机が壊れるというのも日常茶飯事。鋼鉄より硬いために武器や防具としての活用を考えられたこともあったが、魔力との相性が悪く魔法で容易く欠けてしまうため、装備としても使う者はいなくなった……トロールたちを除いては。


 トロールの戦闘スタイルは単純である。その膂力で以て、敵を潰す。魔法は不要、技量も不要、必要とされるのは怪力のみ。そんなトロールにとって、まぬけ石は武器の素材として最適であった。重い武器でも平気で振るえるトロールたちにとって、小さいサイズでも凄まじい重量となるまぬけ石は運用に難があるどころか、その重さで威力を増すために最適である。魔力と相性が悪いことも関係がない。トロールたちは魔法に興味がないし、たとえ敵の魔法を受けて欠けたとしても、棍棒としてただ叩きつける分には大して影響がない。


 トロールにとってまぬけ石は限られた強者のみに与えられる最強の鉱石であり……故に他の種族はまぬけ石と呼ぶ。美しい輝きを持つにも関わらず、その光が照らすのはトロールの間抜け顔ばかりだからだ。


「あぁ~、逃げ出した『借金持ち』でも運ばれてこねえかなァ。

 そしたら、この棍棒の試し叩きができるのになァ」


 そんなまぬけ石で作られた棍棒をこのトロールが得た理由は、彼がトロールの中でも強者に分類される個体だからではない。金の力である。


 熱心に人間たちから収奪し金銭を送り続けた働きを黄金竜は認め、国外からこの棍棒を調達。このトロールに褒美として与えたのであった。ただその重さ故に部屋には置けずに屋外に設置することとなったため、トロールは一日のほとんどを庭に出て棍棒を鑑賞することに費やしている。


「まだやってるあいツ……」


「飽きねぇなァ……」


 棍棒鑑賞を行うトロールを、巡回中のオークたちは辟易した様子で眺めていた。


 日は沈んでもう夜、闇の中で棍棒の輝きは特に目立つし、それに照り返されたトロールの顔も目立つ。オークも決して容姿に優れた種族ではなく、彼ら自身も自覚はしているが、トロールよりはマシだという自負はあった。自分たちより醜い顔がニヤつく様を見せつけられるのは、愚痴を漏らしたくもなる。


「ア?」


 そのために、反応ができなかった。


 突然門の前に降ってきたドレスの少女――アデライーダの存在に気付きすらしなかった彼らのうち、片方は聖剣で首を飛ばされて死んだ。もう片方は砲弾代わりに商館の扉へと投げつけられた結果として、扉どころか商館の反対側まで貫きながら死んだ。


「脆い。だから砦と名乗っていないかしら」


 アデライーダは剣をくるくると回しながら、呆れた様子で扉を眺めているが……実際のところ、言いがかりもいいところであった。


 たしかに商館と名乗ってこそいるが、それはあくまで名前に限った話。中身は今の時代において一般的な砦と同様の防備を固めている。古く広大な魔王城を住居としていた彼女の判断基準がおかしいだけだ。


「敵カ! 敵なのカ!?」


 ちょうど庭に出ていたトロールが、さっそく反応した。その声色は驚きではなく、喜色に満ちていた。ぶんぶんと棍棒を振りながら駆け寄る姿が、雄弁に語っている。この棍棒を実戦で使う機会が来た、と。


 そんなトロールの姿に、しかしアデライーダは呆れる様子を見せなかった。ただ、感嘆したような声を上げる。


「『トロールの強き石』を持っているのね」


「オ? 分かるカ、分かっちまうかァ」


 アデライーダの言葉に、トロールは立ち止まると自慢げに鼻息を吹き出した。「まぬけ石」はあくまで他種族からの呼称だ。棍棒に使われている鉱石を、トロールたちはこう呼ぶ……「強き石」。他種族からその石の持ち主であると見抜かれたことに、このトロールはたいそう満足した。


 一瞬にして戦意を忘れたトロールがこれ見よがしに棍棒を掲げている間に、同じく商館に滞在している他の魔物たちが集まってくる。何事だと慌てて出撃した彼らは、トロールが目の前にいる侵入者を放置している光景を見て呆れ果てた。


「リーダー、リーダー。人間と戦わないト」


「お……そ、そうだナ」


 部下からの指摘で、トロールは我に返った。しかし、指摘した部下も指摘されたトロールも、アデライーダが大魔王だと気付く様子はなかった。


 トロールはオーク以上に鈍いためやむを得ないとしても、この場に集った魔物は数十体はいる。にも関わらず、揃って気付かないのは理由があった。今のアデライーダは、魔を討つ聖剣の輝きによって縛られている。そのため大魔王として放っている力が覆い隠されてしまい、聖剣の力ばかりが目立ってしまうのだ。


「お前もいい武器を持っているようだが……『強き石』で作られたこいつには敵わねェ。

 どういうつもりかは知らねえが、ここに殴り込んだことを後悔して死んで行けヤ」


 そんなことはつゆ知らず、トロールが棍棒を振り上げる。部下たちは援護どころかむしろ後退した。ただでさえトロールの戦い方は見境がない上に、振るわれるのは「まぬけ石」の超重量なのだ。巻き込まれてはたまらない。


 だが、アデライーダは逃げなかった。ただ静かに聖剣を構え、夜闇に同化したかのように、目視できない速さで腕を振って。


「エ?」


「……『強き石』を持っているからには、トロールの英雄だと思ったのだけど」


 アデライーダの声と共に、鈍い音が重なった。


 棍棒の振り下ろしで、地面が軋んでいる。鈍い音の片割れはそれだ。だが、アデライーダは無事だ。剣を切り返した姿勢のまま、オークを見上げている。大魔王の身体にも、衣服にも、そして棍棒を打ち返した聖剣にも、傷どころか汚れ一つない。


 ずぅんという巨大な響きと共に、トロールの手から棍棒が零れ落ちる。トロールは自らの腕を見た。魔物としてもありえない方向に関節が曲がっている。今の一撃で、折れていた。重なった鈍い音のもう片割れは、トロールの腕が大魔王の膂力に耐えきれなかった音であった。


「期待外れだったわね。あなたにその石は宝の持ち腐れ」


 失望に満ちた大魔王の声に、思わずトロールは地面に落ちた棍棒を見た。聖剣によって跳ね返された棍棒はしかし、その光に欠けた所はなかった。傷一つ付いていないと示すかのように、輝きを維持している……持ち主とは、対象的に。


「お、おおおおおおおおおおォ!!!!」


 痛みと屈辱がないまぜとなったトロールは、叫び声と共にもう片方の腕でアデライーダに殴りかかり、その腕を聖剣で消し飛ばされた。返す刀で首を撥ねられたトロールの巨体が倒れていく。興味なさげに、アデライーダはトロールの部下たちへと向き直った。


「それで、あなたたちはどうするの?」


 問いは世間話でもするような調子だったが、聞かれた側はびくりと身体を震わせた。事態を理解しきれぬ困惑と、理解し始めたことによる恐怖が明らかだ。アデライーダへ向けて足を踏み出そうとする者は一体もいない。ただ、様子を伺うようにそれぞれの顔を見合わせているだけだった。


「………………」


 明らかに不機嫌になった顔で、アデライーダは足を踏み出した。戦え、という怒りの表情は、魔物たちには殺意に満ちているようにしか見えない。


 もっとも、彼らは正体に気付いていないとは言え……大魔王から戦いを挑まれるなど死ね、と告げられるのと何ら変わりはなく、ある意味では正しく見ていたが。


「ひ、ひいいいいいいいいいいィ!!!」


 結果として、魔物たちは選んだのは逃走であった。それも規律を保った撤退ではなく、数十体もの魔物全員がてんでバラバラの方向に逃げていく潰走である。


 あまりにも情けない姿ではあったが、仕方のない理由もあった。実際のところ、商館にいた魔物のうち兵士と呼べる存在は十体程度しかいない。残りは帳簿の記録や物資の保存、運送を任されている言わば非戦闘員である。あくまで呪詛による支配を行うための手段として商取引をしている黄金竜だが、それはそれとして財を集めるためにも本気で商人をやっているのだった。足元を見続けるような商人だが。


 もっとも、逃げていく魔物たちをアデライーダが追撃しないのはそのあたりの事情を気遣ったからではない。戦意を完全に失った相手など、戦う気にもならないからである。


「バカらし……」


 ため息をついて、アデライーダは森の中へと跳んだ。


 魔物たちが逃げ出しても仕方のない理由といえば、もう一つあるだろう。仮にも大魔王がこんな国にやってきた挙げ句、聖剣の力で呪詛を無効化し、気配を偽って暴れるなどと予想できるはずもない。


 大魔王の興味を引くほどの聖剣がこれまでずっと隠し通されていて、ちょうどいいタイミングで大魔王と出会うなどと想像しろという方が無理な話だ。


「もう出てきても大丈夫よ、フアナ」


 ましてや、人間の少女の食料を確保するためだけに大魔王が拠点に殴り込みをかけてくるとは。

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