第九夜 コロッケとエールビール

 金曜日の夕方頃、そろそろ帰れるという安堵感からオフィスの空気が緩い物になっていた時、仕事をする私の頭を支配する物があった。



「……やっぱりコロッケかな」



 昨夜ボーッと眺めていたテレビ番組でクリームコロッケを作っていたのを今朝思い出した瞬間にずっとコロッケの口になっていたのだ。そうして昔見たアニメの主題歌がコロッケ繋がりで頭の中を流れそうになった時、石山さんと貫地谷さんが話しかけてきた。



「なんだか懐かしい曲が聞こえると思ったけど、今日はコロッケ?」

「あ、口に出てましたか。すみません」

「別に良いですよ。それにしてもコロッケですかあ。色々なコロッケがありますけど、何コロッケにするんですか?」

「シンプルな奴にする予定ですけど、たしかに色々ありますから何種類かを買ってきて食べるのも良いかなと思い始めました」

「最近は冷凍のコロッケも色々あるものね。業務スーパーで牛すじコロッケっていうのも見かけたしね」



 それを聞いた貫地谷さんは驚く。



「牛すじのコロッケ? 本当に色々ありますね」

「あとは野菜コロッケとカレーコロッケがあったわね。そういえば、前にたくあんのコロッケのレシピなんてのもネットで見かけたわ」

「たくあんまで……そういう色々な工夫が出来るのもコロッケの良いところなんでしょうか」

「そうかもしれませんね。因みに、私が子供の頃から読んでいる小説には温めたコロッケを冷やご飯に載せて、ソースをかけてから甘いたくあんと一緒に食べようとしているシーンがありましたね」



 貫地谷さんの目が輝く。



「なんですか、それ! 絶対に美味しいじゃないですか!」

「たしかに……ウチも今夜はそれにしてみようかしらね」

「ウチもそうしてみます。久し振りにその本も読んでみようかな」

「あ、私も読もうかな。どんな名前の本なんですか?」

「せっかくだし私も」

「わかりました」



 その後、私は本の話もしながら仕事を続けた。そして終業後、私は最寄りのスーパーに寄ってお総菜売場のコロッケと冷蔵のたくあん、少なくなっていたソースや明日の朝に食べる菓子パンなどをカゴに入れて、お会計をしてから家に帰った。



「ただいま」

『おっかえりー。今夜のご飯はなんだい?』

「今日はコロッケを載せたご飯だよ。ほら、私が読んでる本の中に出てくる奴」

『ああ、あのたくあんも載せた学生大歓喜の奴。あれ本当に美味しそうだよね。冷やご飯の上に載っかった温かいコロッケを食べてから冷やご飯をパクッと食べる。冷と温のハーモニーが奏でられている口の中で更に甘いたくあんを一齧りして甘さとしっかりとした噛みごたえを味わいながら更にお酒をクイッ。はあー……たまらんねえ』

「その本の主人公はまだ高校生だからそれは出来ないけど、大人組はそれを楽しんでそうだよね」

『うわばみレベルのお酒飲みばかりだからね。さあさ、早速作ってこー!』

「はいはい」



 買ってきていたエールビールとたくあんを冷蔵庫に入れてから部屋着に着替えて私は袋の中からコロッケを取り出した。パックからお皿に移したそれを電子レンジで温めている間に私は冷蔵庫の中に保存していた冷やご飯を取り出してそれをお茶碗に移す。温め終わったコロッケをお茶碗の中の冷やご飯の上に載せてからソースを少し多めにかけ、冷蔵庫の中のたくあんを一口サイズに切って、それを三切れほどコロッケのそばに添える。そして軽く冷やしたエールビールとコロッケ丼をテーブルまで持ってくると、クロは楽しそうな声を出した。



『こ、これが……作中に出てくるコロッケ丼……! その上、エールビールだなんてもう最高に決まってるじゃないか!』

「何だかんだで食べてみたかったものだからね。コロッケの口になっててよかったよ」

『だよねえ。もちろん、ほかほかのご飯に熱々コロッケを載せて、それを食べてからビールをグイッと飲むのも良いけど、この冷やご飯の上の温かいコロッケと甘いたくあんというのも良いもんだよね。さあ、早く食べちゃおー!』

「うん」



 箸を手に持ってからいただきますと言い、私はコロッケを箸で一口分割ってからそれを食べ、それに続けて冷やご飯を口に運んだ。



「……うん」

『良いねえ良いねえ。ほわほわ温かなコロッケを食べた後に冷やご飯をパクッとする。その二つの温度が心地よい上にこの後に甘いたくあんをパリッと出来るんだからほんとにたまらんよね』

「ソースで少ししょっぱいところに甘いものを食べるわけだからまあ合うんだろうね」

『そりゃあね。さあ、ビールもいっただこーう!』

「うん」



 もう一度コロッケと冷やご飯を口に運んでから私はビールを飲む。



「……うん」

『そもそも揚げ物とビール、丼ものとビールが合うのにそれがトリオとなったらもう言葉はいらないくらいだよね。何かをベラベラ喋る方が無粋って感じ』

「ああ、だから今日は比較的おとなしめなんだね」

『喋ってる方ではあるけど、たしかにいつもに比べたら多少は抑えてる方かな。華ちゃんが望むならもっと喋るけど?』

「クロが話したいように話してて」

『りょーかい! さあ、本日も華金を噛み締めながら穏やかな夜を過ごしてこー!』



 穏やかな夜とは真逆の賑やかなクロが再び話し始める。そしてそれを聞きながら今夜も私の夕食兼晩酌は穏やかに過ぎていった。

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