第11破 初クルーズは砂の海!

「で、でっかい……」


 見上げると首が痛くなりそうになる。ここまでくると船というよりもはや建築物のレベルだ。大木のような2本のマストが青空に向かって突き出し、横木には丸まった帆が括り付けられている。マストの間には何本もロープが張り巡らされていて、まるで電線みたいだなと思った。


 視線を下げると、真っ白な船体が視界を埋める。いくつもの丸窓が規則正しく並んでいて、かえって玩具のように見えた。船首からは細長い衝角しょうかくが伸びている。


 船はゆっくりと上下に揺れている。細かな砂がざざざー……ざざざー……と満ち引きを繰り返して、船底を持ち上げたり下ろしたりしていた。巨大な船が、折り紙の船みたいにふわふわと動いている。


 砂海さかい――言葉では聞いていたけれど、本当に海みたいだ。水平線? 地平線? いや、砂平線? 見渡す限り一面の砂がのたりのたりと波打っている。


「こんな大きい船なのに、ずいぶん軽そうっすねえ。素材に秘密があるんすか?」


 砂海と地上を隔てるちょっとした段差を降りて、トレードが船に近づいていく。足元が少し沈んでいるが、砂海の上は歩けるみたいだ。そして白い船腹を手の甲で数度叩いた。想像していたのとは違い、ぽーんぽーんとずいぶん軽い音がする。


「へえ、わかるかい嬢ちゃん。こいつはな、砂に俺様たちの抜け毛を練り込んだ特別性の薄焼きレンガで作ってるんだ」


 ロジャーさんが胸を反らしてふふんと笑う。といっても毛玉だから、あんまり胸を反らしている感は出ていないのだけれども。


「俺様たちキーウィの毛は火にくべても焼けず、牛が引いても千切れない。下手な木造船よりもずっと丈夫なんだぜ」


 何やらふさふさした不思議生物だと思っていたけど、あの毛ってそんなに丈夫だったんだ。それで砂漠の日差しからも身を守っているのかな。船の素材はFRPのようなものなんだろう。プラスチックにガラス繊維などを混ぜ込んで強化した素材で、前世でも船舶の材料として使われていた。


「ま、立ち話も何だ。船を案内するぜ。おーい、野郎ども! タラップを下ろせ!」

「アイアイサー!」


 ロジャーさんが呼びかけると、甲板から威勢のよい声が降ってくる。折りたたみ式の階段がしゅるしゅると伸びて地上まで届いた。それを上って甲板に出る。


 甲板にはたくさんのキーウィ族がいて、忙しそうに働いていた。ある者はデッキブラシで床に溜まった砂を払い落とし、ある者はマストに登って何か作業をしている。荷物を抱えてあっちこっちに運ぶ者も多かった。


「この船はざっくり4層になっててな。甲板を屋上とすると、上から1等客室、2等客室、3等客室と分かれてる。で、その下が貨物室だが、ここには絶対に近寄るな。船底まで降りるのもダメだ。これを破ったらいくら客でも簀巻きにして砂海に叩き落とすのがこの船のルールだ」


 ロジャーさんの隻眼がぎらりと光った。かわいいもふもふ生物だと思っていたのに、ちょっと怖い。最下層には近寄らないようにしよう。


「ま、見張りも付けているし、船底に通じるドアには鍵もかかってるから行きたくても無理だろうがな。念のための忠告だ」


 険しい雰囲気が一転、今度はからからと爽やかに笑う。それから船内の主要な設備を教えてもらって、私たちを客室まで案内するとロジャーさんは去っていった。


「おー、なかなかいい部屋っすねえ。ベッドのシーツも清潔だし、下手な宿屋よりも居心地がいいっすね」

「そ、そうなんだ」


 他の宿屋に泊まったことがないので比較ができない。客室には両脇にシングルベッドが2つ並び、中央には丸テーブルと椅子が置かれている。これらも船体と同じ素材で出来ていて、プラスチックみたいに軽くてツルツルしていた。


 一息ついていると、客室係のキーウィ族が水を張った桶と手ぬぐいを持ってきた。


「やったー! これでさっぱりできるっすー!」


 トレードが服を脱ぎ散らかし、あっという間に下着姿になる。

 え、え、なんで突然脱いでるの!? ちょ、ちょ、えっ、ええっ!?

 私は思わず目を覆って顔を背けてしまう。


「あはは、女同士で恥ずかしがることなんかないじゃないっすか。ニトロって結構いいところのお嬢様だったりしたんすかね?」

「あっ、いや、その……」

「早くしないと水がぬるくなっちゃうっすよー。くぅ~、冷たくて気持ちいいっす!」


 トレードに急かされるまま、私も服を脱いで手ぬぐいを水に浸す。固く絞ってから肌に当てると、心地よい冷たさが染み込んでいく。そのまま体を拭くと、なんだかざらざらした。手ぬぐいを見ると茶色くなっている。厚着でガードしてたのに、それでも砂が入り込むんだなあ。砂漠、恐るべし。


「渡砂船に乗るのは自分も初めてっすけど、普通の船には乘ったことがあるんすよね」


 体を拭きながら、トレードが思い出話を始める。普通の船かあ。どんな感じなんだろう。船旅、憧れるなあ。見渡す限りの青い海を眺めながら、パラソルの影でカクテルを飲んじゃったりするんだ。優雅だなあ。まさか、初めての船旅体験が砂漠になるなんて思いもよらなかった。


「駆け出しの頃は稼ぎも悪かったっすから、3等客室の常連だったんす。3等っていったらひどくって、四段ベッドがびっしり並んでて、そこに詰め込まれるんすよね。臭いはひどいわ喧嘩は起きるわ盗みはざらだわ酔っ払いがゲロを吐くわで大変だったんすよー」


 しかし、トレードの話はそんな優雅さとは無縁だった。

 仕切りもない四段ベッドに詰め込まれての船旅……想像しただけで胸が悪くなりそうだ。大航海時代の奴隷船に比べれば、横になれる分だけマシ……って感じだろうか?


 トレードの思い出話を聞きながら、全身を拭き終えた頃には、桶の水がすっかり茶色くなっていた。


「さて、こんな昔の愚痴を言っててもしょうがないっすね。お腹も空いたし、食堂に行ってみるっすか」

「う、うん」


 ロジャーさんの説明によれば、食堂は階層ごとに分かれているそうだ。料理のグレードも客室のランクごとにきっちり分かれているんだろう。


 一等客室用の食堂は船首側にあり、4人がけのテーブルが8つ、十分な間隔を開けて並んでいた。壁にはランプがかけられていて、オレンジ色の炎が室内を照らしている。


 大きな窓からは外の様子が見えた。いつの間にかすっかり日が沈んでいて、街の灯りが点々と光っている。濃紺の夜空の下に、とんがり帽子の屋根の群れがぼんやりと浮かび上がる景色はなんだかメルヘンチックだ。


 反対の窓からは満月が2つ見える。大きく赤い月と、それに従うように青い小さな月が輝いていた。砂の海が月光を反射してきらきらと輝いている。ドワーフ村は地下だったから気が付かなかったけど、この世界って月が2つあるんだ。異世界ものの定番って感じでわくわくする。


「そういえば、ニトロの国だと月の模様って何に見えるって言われてたっすか?」

「えっ、月の模様? えっと、ウサギが餅を搗いてるって言われてたかな」

「へえー、兎人族が。やっぱり国によって色々違うんすね。自分の故郷だと、がめつい魔女が金貨を数えているところって言われてたっすねえ」


 どうやったらそんな風に見えるんだろう。私は月に目を凝らす。


「ほら、赤月の左の影が腰の曲がった魔女で、右の点々が金貨なんすよ。で、青月の方はそれを盗もうと狙っているドロボウワシっす」


 うーん、言われてみれば、そんな風に見えなくもない気がする。っていうか、月の模様って地球と同じなんだろうか。覚えてないから比べられない。まあ、月が2つある時点で比べたところでしょうがない気はする。


 そんな話をしていたら、コック帽をかぶったキーウィ族がワゴンを押してやってきた。ワゴンには色とりどりの料理がぎっしりと載っている。


「いらっしゃいませ、お客様。キャプテンから話は伺っております。腕によりをかけましたので、どうぞ当船の特別料理をご堪能ください。こちら砂海名物スナクジラのステーキに、ハジケマメの蒸し煮、コウラサボテンのマリネ、フウセンクラゲのスープ――」


 テーブルが見る間に色とりどりの料理で埋め尽くされた。氷で満たされた銀製のボウルにはお酒のボトルが刺さっている。フランス料理のフルコースがいっぺんに出てきたみたいだ。食べたことないけど。


「ひゅー! これは船長さんも気張ってくれたっすねえ。遠慮なく頂くっすよ! ほら、ニトロも食べるっす!」

「う、うん!」


 さっそくスナクジラのステーキにフォークを入れる。おお、抵抗なしにすーっと切れる。これはお箸でもいけちゃうやつじゃ……。一口食べると舌の上でとろけるようにほぐれていく。脂が甘ぁぁぁあああい!!


 脂で濡れた唇をお酒で洗い流す。琥珀色のお酒は甘酸っぱいけどほんのり渋みがあって、口の中をリセットしてくれる。


 よーし、じゃあ次はお豆さんのサラダを食べてみよう。スプーンですくって頬張ると、噛むたびにパチパチと弾けて食感が楽しい。なるほど、だからハジケマメっていうのかあ。


 それから散々食べて飲んで……次の日、また二日酔いになった。うう……頭が痛いよう……。せっかくなんだし黒銀鋼のお茶碗を使えばよかった……。

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