第3破 天空の城に願いを!

「それで、すっかり名乗り忘れてたんすけど、自分は冒険商人のトレードっていうっすよ」


 食後に竈門の片付けをしながら、犬耳少女が名乗ってきた。冒険商人って何だろう? 大航海時代の船乗り的なそんな感じだろうか? 危険を承知で航海に乗り出し、その代わりに莫大な利益を得る。確かそんな感じだったはずだ。


「それで、お姉さんは……?」

「あっ、ご、ごめんなさい。私はトリニトロアミンです」


 いかん、自己紹介の流れだったか。チャットだと相手の名前なんてわざわざ言わなくてもわかるからな……。リアルでのコミュニケーション能力が死んでいることに気がつく。さっきから話すときに絶対「あっ」とか「えっ」とか付けてるし。


「ええっと、すんませんっす。ト、トリニト……?」

「あっあっ、ごめんなさい。ニトロで大丈夫です」


 どこまでゲーム脳だったのか、咄嗟に出てきたのもEoGでのハンドルネームだった。トリメチレントリニトロアミン――C4爆弾の主成分から取った名前である。ネトゲ仲間からはニトロと略して呼ばれていた。


「ニトロさんっすね! 変わった響きっすねえ。服もこの辺じゃ見ない柄っすね」

「そ、そうみたいですね……」


 トレードさんの服装を改めて確認すると、私の迷彩服とはまるで違う。ファンタジーRPGなんかに出てくる旅人や冒険者みたいだ。くたびれた革の鎧を着て、腰のベルトにはナイフが何本か刺さっている。背中にはマントを羽織って、脹脛ふくらはぎまで覆うブーツを履いていた。


「どこか遠くの出身なんすか?」

「あっ、ええと、はい、たぶん……」

「たぶんって。自分がどこから来たのかもわからないんすか?」


 そういえば、この世界って結局何なんだろう。魔法があるっぽいし、犬耳の女の子もいるし、剣と魔法とのファンタジー世界なんだろうか?


「ええっと、日本の……その、地球の日本から来たんですけど」

「チキューのニッポン? チキューって国のニッポンって街から来たんすか?」

「あの、その……だいたいそんな感じ……」


 地球からして通じなかった。これは本格的に異世界っぽい。言葉が通じるのは……転生特典的なものだろうか。


「すんません、自分は知らないところっすねえ。ひょっとして、魔法の実験で失敗して見知らぬ場所にテレポートしちゃったとかっすか?」

「あの、たぶん……そんな感じで……」

「ひゃあ、それは災難っすねえ!」


 要領を得ない私の返事でも、トレードさんは納得してくれたようだ。この世界ってそういう事故が結構起きるのかな? さっきの巨大蜘蛛といい、なかなか危険な世界のようだ。さすがに不安になってくる。


「それじゃ、道がわからないっすよね。街まで案内するっすよ」

「あっ、ありがとうございます! そ、その、トレードさん……」

「いやいや、命の恩人ですし、ニトロみたいな腕利きが道連れになってくれるのは大歓迎っすよ!」


 見知らぬ山の中に放置されるよりもずっと助かる。とりあえず人里まで降りて、ここがどんな場所なのか把握したい。ああ、それからどうやって暮らしていくのかの算段も立てないと。考えなきゃいけないことが多すぎる……。


「それじゃあ街に行くっすよ!」


 トレードさんは残った蜘蛛脚をぽんぽんと何か・・に入れて、元気よく歩き出した。何と言うか、そこに透明な見えない扉がある感じだ。物が入るたび、ほわんほわんと空気が波打つ。いわゆる異次元収納的な感じ……?


 斜面を下っていくと道に辿り着いた。苔むした石畳が並び、道の左右には雑草が生い茂り木々が林立しているが、森の中よりは見晴らしがよい。坂道はゆるやかに上っており、その先には切り立った岩山が雲に霞んでいる。どうやら山道だったのかとやっと気がついた。


「いやあ、このあたりの街道も魔物避けの効き目が弱くなってるみたいっすね。ジャイアントタランチュラにいきなり襲われて、森に逃げ込んだところだったんすよ」


 ああ、それであんな森の中にいたんだ。そこにたまたま私の秘技<丸太飛ばし>が着弾したと。ツイていたのは命が助かったトレードさんだったのか、あるいはほっとけば迷子確実だった私の方なのか。いや、両方ツイてたってことなんだろう。


 坂を登っていくとだんだんと道が細くなっていく。やがて森を抜け、岩場に出た。断崖絶壁に張り付くように細い道が続いている。下界を見下ろすと、緑の草原がどこまでも続いていた。遠い平地には木の柵で囲われた集落らしきものが見える。


 そして上を見上げると……巨大な岩塊……というか、もはや島レベルのものが青空をついーっと横切っていった。その上には、石造りの大きな城が見える。って、何あれ!?


「ト、トレードさん! あ、あ、あれ!」

「おおー、天空城っすね。こんなにはっきり見えるのはなかなかないっすね。あ、お願い事しなくちゃっすね。お金持ちになれますように、お金持ちになれますように、大金持ちになれますように!」


 トレードさんは空に浮かぶ城に両手を合わせた。な、なんだろう。この世界では流れ星的な存在なのだろうか。


「ニトロは何を願ったっすか?」

「あっ、いやっ、その……」

「早くしないと見えなくなっちゃうっすよー」

「あっあっ、えっ、えっと、健康第一! 健康第一! 健康第一!」

「それじゃお願い事じゃなくてスローガンじゃないっすか」


 トレードさんのからからとした笑い声に見送られて、天空城は空の彼方へと消えていった。うう、恥ずかしい……。

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