第2破 大蜘蛛は茹でる!

 声のもとにたどり着くと、そこには惨状が広がっていた。

 まず、木が逆さまに突き刺さっている。地面にではない。何か巨大な生き物に。


 生き物は巨大な蜘蛛だった。体長で2メートル以上、足を広げた幅は4メートルは超えるんじゃないだろうか。八本の足は丸太のように太く、虎縞とらじまの剛毛で全身がびっしり覆われている。その腹に木が突き刺さり、傷口からは青く粘った体液がぶくぶくと溢れ出していた。


「あわ……あわわわわ……」


 あまりの光景に膝の力が抜け、尻餅をついてしまう。降り積もった落ち葉ががさりと音を立てた。


 な、なんだよこの巨大な蜘蛛……。地球には絶対いなかったよね!? ゲーム世界転生だとしても、EoGじゃあ絶対ない。RPGロープレとか狩りゲーとかそういうジャンルのやつだよ。こんなもんいきなり遭遇してたらパニクってむしゃむしゃされてたよ。


「あのう、大丈夫っすか?」

「ひいっ!?」


 突然声をかけられ、思わず悲鳴を上げてしまった。声の主は小柄な女の子だった。ショートボブの青い髪からは三角形の犬耳が突き出していて、ぴこぴこと動いていた。お尻にはふさふさの尻尾がついている。


 これって……コスプレじゃないよね?


「これ、お姉さんがやったんすか?」

「えっ、あっ、はい。す、すみません……」

「いやあすごいっす! おかげで命が助かったっす! ありがとうございますっす! お姉さんは命の恩人っす! いやー、まさかこの山にジャイアントタランチュラなんて大物がいたなんて。それにしても、こんな魔法見たことないっすよ! どこで習ったんすか? もしかして、失われた古代魔法だったりするんすか!?」

「えっ、いやっ、その……」


 怒涛の勢いで話しかけられ、何と返事したらいいものかわからない。私にとって会話といえばテキストチャットが基本であり、声を出して誰かと会話することなんてなかなかないのだ。


「ああ、すんませんっす! つい興奮して一気に喋っちゃって。とにかく助けてくれてありがとうっす! お礼になるかわからないっすけど、よかったら解体のお手伝いをさせて欲しいっす!」

「かい……たい……?」


 あの蜘蛛の化け物を解体するのか? えっ、何か利用価値あるの? 狩りゲーの剥ぎ取りとかそんな感覚?


「じゃあ手伝うっすね! お姉さんは魔法を使った後で疲れてるっすもんね! 休んでてもらってて大丈夫っす!」


 青髪の女の子は、返事を待たずに巨大蜘蛛に取り付いた。腰に差していたナイフを使い、まずは蜘蛛の足の付根の関節を外し、八本の脚をバラバラにして薪のように積んでいく。作業中も青いフサフサの尻尾がぶんぶん振られていた。


「それから忘れちゃいけないのが毒腺っすねえ」


 次はどこからともなく手斧を取り出し、蜘蛛の額をバキッと割った。割れ目に手を突っ込み、左右に広げる。頭の中に手を突っ込んで、中から真っ黒なものを取り出した。紡錘形でぶよぶよしてて、水風船っぽい。


「解体完了っす! うーん、でも……この量だと自分の<収納>には入らないっすねえ。お姉さん、<収納>は使えるっすか?」

「えっ、収納……?」


 な、何の話だろう。魔法がどうだとか言ってたし、ファンタジーあるあるの収納魔法的なこと……?


「<収納>は相性あるっすもんねえ。覚えると自分みたいな稼業には便利なんすけどね。でも覚えたら覚えたでパーティ組むと強制で荷物持ち扱いになるのがキツイんすよねえ。だからソロに切り替えたんすけど……って、そんな話はいいっすよね。じゃ、持ち運べない分は食べちゃうっすよ」

「えっ、食べ……!?」

「ジャイアントタランチュラなんてご馳走はひさびさっすよー。竈門かまど作るんで、適当にたきぎを集めてきてもらってもいいっすか?」

「えっ、あっ、はい」


 言われるままに、その辺りに落ちている枯れ枝を拾い集める。サバイバル系ゲームでこういうのあったなあ。って、勢いに押されて完全に言いなりになっている自分に気がついてハッとする。それに、あの蜘蛛って食べてよいものなのかな……?


 とりあえず一抱え分の薪を拾って元の場所に戻ると、大小の石を組み合わせた簡単な竈門かまどが出来上がっていた。その中には乾いた落ち葉がこんもりと積まれている。


たきぎあざっす! こいつを落ち葉の上に組んで……と。<着火>」


 犬耳少女の手のひらからパチパチと火花が散った。落ち葉が燃え上がり、その火が薪に燃え移っていく。おお、すごい。リアル火だ。生ファイヤーだ。近づくとぽかぽかあったかい。


「まずは毛を焼いて処理するっすね。あんまり知られてないんすけど、ジャイアントタランチュラって根本の関節に近いほど美味いんすよ。売値は変わらないし、一番美味いところをもらっちゃいましょう」


 蜘蛛脚の断面に木の枝を突き刺し、火の上でぐるぐると回す。剛毛が焼き切れると、中から赤い殻が見えてきた。


「処理が済んだら鍋に水を入れて……」


 どこからともなく鍋が現れ、竈門の上に置かれる。そしてまたしてもどこからともなく現れた水筒で水を注ぐ。


「獲れたてだから臭み消しはいらないっすかねえ。塩だけで茹でてみるっすよ」


 寸詰まりの丸太のような蜘蛛の足が鍋に放り込まれる。少女はその上からパラパラと塩を振りかけた。


「味が足りなかったら直接塩を振ってくださいっす。内陸は塩が高くって、あんまり手持ちがないんすよねえ。このへんで岩塩坑でも見つかれば一儲けなんすけど」


 ぐつぐつと煮られるうちに、なんだかいい匂いがしてくる。これはまだ私が固形物を食べられたときの記憶だ。何年前だったか、お見舞い品の中にカニの缶詰があったのだ。その匂いに似ている。


「さ、茹で上がったっすよ。召し上がれっす!」


 木の枝に刺さった蜘蛛脚が差し出される。これ、どうやって食べたらいいんだろう……。少女を見ると、手づかみで殻の中のみをほじくりながら食べている。ちょっと抵抗があるが、匂いを嗅いでいたらお腹が空いてきてしまった。


 空腹の感覚もひさしぶりだ。ここ数ヶ月は流動食すら受け付けず、点滴と胃瘻いろう(※胃にチューブで直接流動食を流し込むこと)で栄養を摂っていたからなあ。ひさびさにちゃんとご飯が食べられると思うと、口の中が唾液でいっぱいになってくる。


「ええい、ままよ!」


 殻に指を突っ込み、中の肉を引きちぎって口に運ぶ。むっちりとした繊維質の身が噛むたびにほぐれ、旨味が広がっていく。食べる前はカニっぽいと思っていたが、エビと……ホタテと……海の幸が凝縮されたような旨味が口の中いっぱいに広がって――


「美味しい!」

「でしょ? 運んでる間に味が落ちるっすからねえ。こればっかりは街でのうのうとしてるだけじゃ絶対に味わえないグルメっすよ。あ、おかわりいるっすか?」

「うん!」


 蜘蛛って食べていいものなのだろうか……という直前までの葛藤は何だったのか。気がつけばお腹がはち切れそうになるまで食べてしまっていた。

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