【2-17】氷空花の記憶
早朝ふと目が覚めた俺は、物音をなるべく立てぬように部屋を後にし、寮の外に出る。
ざわざわと周囲の木々が風に揺れ、地平線から見え始めた朝日がゆっくりと照らし出す中、散歩に行こうかと学園の外へ足を向けた時、昨日は見かけなかった
氷の様な透明な花弁は、冬が近づいているのを知らせるかの様に青が掛かり始めていた。
(もうすぐ冬だしな)
ここ数日は少しずつ冷え込んでいるみたいで、木々の葉も赤や黄へと色付いている。
いつぞやの試練前の様に花に手を伸ばせば、辺りの空気が変わった気がした。
(ああ、またか)
声が聞こえ、立ち上がり振り向けば、そこには制服姿の母さんがいた。ただそのすぐそばに居たのはライオネルでも、話に聞いていた幼馴染でもなく。真っ白で長い髪をした一人の長身の男だった。
母さんはその男を見上げ、持っていた本の山を抱え直した後、笑顔で小さく礼を言ってその場を離れていく。
それから少しした後、その男の背後から現れたのはライオネルだった。表情は見えなかったが、低い声で「アンタ」と呼びかけると、男はこちらを振り向いた。
「っ」
その顔は俺も知っていた。忘れられない奴だった。
俺の右目と同じエメラルドブルーの瞳。切れ長で、白い髪を揺らしながら男……リアンはライオネルを見ると、小さく口角をあげ言った。
「しばらく姿を見ないと思ったら、こんな所で過ごしていたとはな」
「っ……!」
言われライオネルは強く手を握り締める。その一方でリアンは先程母さんが向かった方向を見た後口を開いた。
「随分とあの子を気に入っている様だが……またいつものお節介からか? それとも、今度こそ伴侶を見つけたか」
「うるさい……アンタには関係ない。それに俺は、アンタを消すまでは落ち着く気は無いし」
「ほう。そう言って何年経った。少なくとも六千五百年以上は経っているが?」
こんな途方もない時間を費やしても、何も出来ていない。
リアンの言葉に、ライオネルの手に更に力が入る。けれどもこれ以上は何も言わず、ライオネルは睨むだけだった。
俺もまたリアンを睨んでいると、景色は変わり辺りは冬になった。雪が積もったこの場所に再び母さんは現れるが、その格好は試練の時と同じ白いコートを着ている。
母さんは校舎を見上げた後、どこか小さく「ごめん」と呟いた後、学校を後にする。その謝罪が何に対してなのか気になる所ではあるが、氷空花の記憶はそこで終わってしまった。
景色が元に戻った後、俺はしばしその場に立っていた。朝日がより上がり、暗かった周囲が光り輝く中、俺は数歩前に歩み出すと、頭を抱えながらも一人呟いた。
「
そしてわざわざ母さんに接触した理由は? まさか、ライオネルを陥れる為か?
(いや、そんな幼稚な理由じゃない。そんな筈はない)
いくらあの男でも、そんな理由で。
そう考えつつも、どうしても否定できない自分がいる。だって、あいつはいつだって誰かの恋路を邪魔してきた事は知っているから。
自分含め、沢山の異母兄弟を思い返しながらも、俺は外へは行かず、このままスズ先生のいる場所へと向かった。
※※※
「どうした? 顔色がかなり悪いが」
教室の扉を開いて開口一番、スズ先生が俺を見て気遣う言葉に、俺は小さく苦笑いして「ちょっと」と呟くと、そのまま先生の前にある席に座る。
スズ先生は机にあったティーカップを手にし、俺の前に差し出すと、俺の手にしていた氷空花を見て言った。
「その氷空花、どこに咲いていた」
「校舎に。不思議ですよね、昨日は無かったのに」
「……見てしまったのか。花の記憶を」
この現象を知っているのか、全てを悟った先生が訊ねてくれば、俺は素直に頷く。口にしたアップルティーが少しずつ心身を温める中、先生はその氷空花を見つめながら話し始めた。
「この領域で氷空花が記憶を持つ様になったのはここ数十年の事だ。それまでは咲くことすら無かったからな」
「咲くことすら……? それまで無かったと?」
「いや、以前は咲いていた。だが、数百年位は人々の居住区がかなり増えた事もあって、絶滅したと思われていた」
それが数十年前、突然辺りに咲き始める様になった。とはいえ、咲いているのは、ここやインヴェルノ城跡地など、超弩級ビル群とは離れた場所らしい。
摘んだ氷空花を先生に渡せば、先生はそれをまじまじと見ながらも話を続ける。
「知り合いで研究している魔術師がいたが、その魔術師の話曰く、記憶をよく見るのは氷の力を持つ者。そして、家族を早くして亡くしている者だという」
「……氷、家族か」
「時期や場所といい。まるで君が来るのを待っていたような感じだな」
待っていた。そう言われ、改めて先生の手に渡った氷空花を見る。
摘んでから時間が経ち始めているのもあり、少し萎れていたが、先生が魔術でどこからか小瓶を一つ寄せ、水を注いだ上で花を生けると、それを机の真ん中に起き、先生は自分の席に戻っていく。
「それで、何を見た? あの表情からしてあまり良い記憶では無かったのだろう」
「前半は、リアンと母さん、そしてライオネルの記憶。後半は……多分夕暮れの領域に行こうとしている母さんが、雪の中、校舎に向かって謝っている記憶」
「校舎……か」
覚えがあるのか、先生は言葉を漏らし目を伏せる。
特に後半について、俺も知りたかった為、「知っていますか」と訊ねれば、先生は苦々しくも「ああ」と頷き返した。
「正直、この話をするべきか迷ってもいたのだが……見てしまった以上は話そう。……コハク・ルブトーブランは、二月を最後にこの学園を去っている。一応書類上では卒業にはなっているが」
「学園を去っている? まさか夕暮れの領域の試練に?」
「ああ。だが、当初計画していた様な感じではなかったがな」
「?」
それって、どういう……
それを聞こうとした時、氷空花が輝き始める。先生もこういう現象は初めてらしく、花を凝視していれば、辺りの景色が変わる。
暗い教室。現れたのは、母ではなく一人の青い髪の少女だった。その人物を見た先生は「ラン」と呟いた。
「ラン……ランって」
「コハクと仲の良かった女子生徒だ。あの子が突然居なくなってからだ。コハクも居なくなったのは」
「あの子が」
そういえばと、かつて見た母さんのアルバムを思い出しながらも、ランと呼ばれた少女を見つめる。
彼女は誰かに追われているのか、暗い教室を一人逃げていると、最後窓辺に追いつかれた所で、誰かの手が手前から伸ばされる。
その手が彼女の手を掴んだ所で記憶は途切れ、氷空花は花弁が弾ける様に散ってしまった。
呆然として先生と二人花を見つめていれば、先生は長く息を吐き、「そういう事か」と呟く。
「あの子は連れ去られたのか」
「連れ去られたって……なんで」
「あの子も訳ありなんだ。それもコハクよりも大きめのな」
「母さんよりも?」
先生を見れば先生は頷いた後、「蒼の城の担い手だから」と言う。蒼の城はなんとなく話は聞いていたものの、そこに担い手がいるのは初耳だった。
先生の話によると、このランという少女は元々担い手である【蒼の天使】の血を継いでいるという。そういう血筋は他にもあるらしいが、この領域で存在していたのはランのみになるらしい。
夕暮れの領域の試練というのは、この蒼の城起動によるものだとは分かっている。母さん達がそれについてどこまで知っていたかは知らないけれど、少なくともランが居なくなってから去っている所を見る限り知らなかったのかもしれない。
「担い手って、主に何をするんですか」
「ふむ……それは私も詳しくは知らん。だが、スターチスなら何か知っているかもしれん」
「スターチスかー……」
確かにあいつなら知っているかもしれない。納得しつつも、神出鬼没なあいつから話を聞くのは大変そうだと思っていると、教室の扉が開きノルドとシルヴィアが顔を覗かせる。
「あ、いた」
「おはようございます。フェンリルさん、スズ先生」
それぞれ挨拶をする二人に俺達も返せば、どこからか美味そうな匂いが漂ってくる。時計を見ればとっくに七時を過ぎていた。
エプロン姿のノルドが、「朝ごはんできましたよ」と言った事で話はそこで切れたが、部屋を移動しようと席を立った時、先生は俺しか聞こえない声で呟いた。
「詳しくは後程。先ずは腹ごしらえだ」
「……ですね」
小さく笑い返せば、先生もまた笑んだ。
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