【2-5】庭園のベンチにて
以前キリヤに連れられた庭園で、暗くなった街を眺めながら俺は一人佇んでいた。
落ち着いたら帰ろうと思ったが、その足は鉛の様に重く感じて、帰ろうに帰りづらい。そう思ってしまうのは、自分のせいでキリヤに余計な気を遣わせてしまったからだろう。
息を吐き柵に置いた腕の中に顔を埋めると、己の罪悪感に苛まれる。
すると、背後からシルヴィアの声が聞こえ、顔を上げた。振り向けば、走ってきたのか両膝に手をやり息を切らす彼女の姿があった。
「シルヴィア……」
「っ、夕飯できたので、呼びに」
「……そうか」
わざわざ俺の為に。
心配かけさせぬ様に礼を言うと足を動かし、彼女の元に向かう。シルヴィアは何かが気になるのか、こちらを見つめていたが、俺は笑みを浮かべたまま「今日はなんだろうな」と敢えて話を逸らした。
そんな様子で庭園から出ようとした時、突然気配もなく肩を掴まれ、背筋が凍った。
「うわっ⁉︎ がっ、誰だっ⁉︎」
みっともなく叫び背後を振り向けば、そこにいたのはスターチスだった。
予想以上の驚きっぷりだったのか、今にも吹き出しそうな位に笑いを堪えるスターチスにイラっとくると、目を丸くしていたシルヴィアがスターチスに話しかけた。
「ど、どうしてここに?」
「んーまあ、様子見にね。それにしても、思った以上に揉めてるみたいじゃん」
「揉めてねえよ。ただ、色々あっただけだ」
「色々ねえ」
どこか見透かしたようなスターチスの返しに、俺は目を逸らす。
すると、前から缶入りのジュースが二本投げ渡され受け取れば、スターチスは背後を親指で指しながら言った。
「とりあえず、少しだけ話をしようか。どうせまだ帰りにくいでしょ。シルヴィアも同席できるかな?」
「は、はい……」
「……」
シルヴィアは返事するも、俺は静かに見つめたままスターチスの後をついて行く。
ベンチに三人並んで腰掛ければ、スターチスもまた缶入りのジュースを口にしながら言った。
「朱雀から聞いたけど、コハクとライオネルが恋仲って知ったんだって?」
「……ああ」
頷くと、隣にいたシルヴィアが驚きの表情を浮かべた。何も言わなかったが、俺やスターチスを見ると、スターチスはシルヴィアを見て訊ねる。
「そういや君って昔ライオネルと一緒にいたんだよね。話聞いてなかった?」
「えっ、あ、いや」
「……ライオネルと一緒にいた?」
いつの間にと思わず真顔でシルヴィアを見れば、シルヴィアは申し訳なさそうにこちらを見た後、小さく頷く。
「確かに、それらしき人物がいたと思える様な話をしていたのは覚えています。けれど詳しくは話していませんでしたから」
「そっか……で、フェンリル。その話をしたい所だけど、その様子だとまずはシルヴィアとライオネルの話をした方が良さそうだね」
指摘されぎくりとなりつつも素直に頷けば、シルヴィアはスターチスと顔を見合わせた後、話し始める。
「私は今はこうして半獣人の姿をしていますが、本来は人ですらないただの黒猫だったんです」
「黒猫……?」
「はい」
小さく頷くと、結っていた青い髪留めのリボンを手にする。綺麗な青い髪が解け風に揺れる中、それを見せながら話を続けた。
「ライオネルさんと出会ったのも、その猫の時です。雨に濡れて一匹小さく震えている時に拾ってもらいました」
森の近くで拾ったからシルヴィア。そう名付けられ、彼女は彼と旅をしていた。
それはたったの二、三年だったけど、様々な国を巡ったと話していた。
「旅が終わりを告げたのは、彼の身体が結晶に包まれた時です。突然の事だったので、私は彼を助けようとして、結晶に爪を立てたんですが……無駄でした」
どうしようもできず、結晶に包まれていく様子を見つめていたが、ライオネルの腕に足掻いていた際に出来た傷を見つけた。
意識もなくなっていたライオネルに対し、せめて傷だけでも癒やそうと、猫のシルヴィアはライオネルの傷を舐めたのだという。
「この瞬間、私は今の姿になりました。同時に彼が神という事も知ったんです」
「つまり……ライオネルの血を舐めた事で、今のシルヴィアがあるという事か」
「偶然ではあったんですけどね……」
困った様にシルヴィアは笑む。話を聞いていたスターチスはそれに対してぼそりと呟いた。
「吸血鬼が仲間を増やす時とかはそういう手法を使うけどね。けど、神の血を口にした所でせいぜい数百。長くても千年未満の寿命だ。大体お前達半神と同じくらいかな」
「いや、舐めるだけでそこまで生きられるのかよ。すごいな」
「何もなければね。でも、半神に比べたら身体も力も弱い。半神では大した事のない怪我でも、彼女にとっては致命傷になるから」
気を付けなよとスターチスに忠告され、シルヴィアは頷く。
そんなシルヴィアの過去を聞いた所で、話は母さんとライオネルの話に戻った。
「スターチスも知ってたんだな……その事」
「そうだね。時の神だからってのもあるけど、二人とも知り合いではあったからね」
「だったら……どうしてリアンに連れられた母さんを戻せなかったんだよ」
スターチスだったら、返せていたかも。
そう思ったが、スターチスは首を横に振った後こう答えた。
「あいつの元に行ってしまった時点で、彼女はもう帰れない。それに、俺達が連れ出そうとして、彼女の身の危険もあった」
「身の、危険」
「お前も、見た事あるんじゃないか。あの神殿にいる人々の胸に咲く赤い薔薇を」
「……っ⁉︎」
ハッとなり口を押さえる。
嗅覚に残る、幼少期時折感じた嫌にはっきりした薔薇の香り。それは、リアンが最もよく使う最悪最強の呪いである。
赤薔薇の呪いと言われ、かけられた者の命をじわじわと時間をかけて蝕んでいく。けれどもそれは、リアンにさえ従っていれば何もないと言われている。
「返してやりたかったのは山々だったさ。けど、そうする事で死んでしまうのも分かっていた。だから、何も出来なかった」
「……」
「……もし、お前が今、自分は間違った存在だなんて思っているのだとしたら、それは間違いだからな」
その道を選んだのは他でもない彼女自身なのだから。
スターチスはそう言うと、手にしていたジュースを飲み干す。
俺は茫然として俯いた後、小さく「そうか」と呟いた。
「そう、だよな。あいつの元にいた時点でもう手遅れだったんだよな。……バカだな俺。ずっと疎外感感じて色々考えてた」
「疎外感、か」
言葉を漏らした後、スターチスは背後にあるゴミ箱に向けて空き缶を投げ捨てれば、深く息を吐いて言った。
「そう思わせてしまったのは俺達の所為だよ。見守っていこうなんて言いながら、肝心な事は告げなかった」
「……スターチス」
顔を上げた俺に、「ごめん」とスターチスは小さくもはっきりと謝った。
いつもと違い、真面目な表情で謝る彼に、俺は小さく笑むと「珍しいな」と返した。
「お前がそんな風に謝るなんて」
「今回は流石に非を感じたからね。……ちゃんと話せって
「そうか」
「……それで他に聞きたい事はない? ある程度は話せるけど」
「いや、大丈夫だ。後の詳しい事はキリヤに聞く」
「大丈夫?」
「多分」
完全に吹っ切れた訳ではないが、話を聞く余裕は出来た。スターチスから聞いてもいいが、俺が聞きたい話はきっとキリヤの方が詳しいだろうから。
ありがとなとスターチスに礼を言って、ベンチから立ち上がれば、シルヴィアも続け様に立つ。
スターチスはベンチに座ったまま小さく手を振って見送るが、出ようとした所でまたもや呼び止められた。
「折角だし、一週間くらい学校行ってみない?」
「は? 学校?」
「そう。それもかつてコハクが通っていた学校。当時担任していた先生が理事になっているからさ。話付けるけど」
「……」
突然の提案に、シルヴィアと顔を見合わせる。そこにいつからか居たのか、キリヤの声が響いた。
「男の制服はないぞ。コハクのお下がりはあるがな」
「うわいつの間に」
「うわってなんだうわって。ったく、いつまで空気吸ってんのかと思いきや……」
キリヤがスターチスを見れば、スターチスはにこりとして「二人の制服は用意するから」と返す。その上で、スターチスは再度俺達に訊いてくる。
「それで、行く? 行かない?」
「……じゃあ、行こうかな。シルヴィアはどうする?」
「フェンリルさんが良ければ」
シルヴィアも笑んで頷けば、俺はスターチスに行くと伝えた。
スターチスは親指を立て、「了解」と告げた後、ベンチから立ち上がったかと思いきや、あっという間に姿を消した。
残された俺達はしばしそのベンチを見つめた後、キリヤはボソリと俺を見て言った。
「一体何がどうなってそんな話になったんだ」
「知らない。けど、学校か……」
行った事がないだけに緊張はする。というか、制服を着た所で果たして学生に見えるだろうか。
腕を組み唸れば、シルヴィアがどことなく嬉しげな様子が目に入り、まあいっかとそれ以上考えるのをやめた。
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