【1-8】ルブトーブランの試練

 次の日。キリヤと共にまたも遅く起きた俺は、ぼんやりとしながらもリビングに現れる。

 キリヤはソファーに背中を預け、目をしょぼしょぼさせながら天井を見上げていた。

 

「……おはよう」


 そう挨拶をかけると、キリヤは手を小さく挙げ「おう」と返す。俺は欠伸混じりに椅子に腰掛けると、キッチンからシルヴィアがやってきてコーヒーを置いた。


「おはようございます。フェンリルさん」

「ああ、おはよう。すまん……また寝坊した」

「ふふっ」


 シルヴィアは笑うと、キリヤの前にもコーヒーを置いて傍らに座る。それを見たキリヤはシルヴィアに礼を言ってコーヒーを手にした。

 俺も置かれたコーヒーを口にすると、少ししてキリヤに名前を呼ばれる。視線をそちらに向ければ、キリヤは昨晩の剣の話をし始めた。


「あれから一晩は経ったが、俺としてはまだお前の理由に納得した訳じゃねえ」

「……」

「だが、複数条件を出す」

「条件?」

「ああ」


 俺の返しにキリヤは頷くと、指を三本立てて順に条件を言った。条件は三つ。

 一つ、インヴェルノ城跡に行くこと。

 二つ、ルブトーブラン家の試練に合格すること。


 そこまで伝えた所で、キリヤは悪戯な笑みを浮かべると、唯一折られていない薬指を上下に上手く動かす。


「最後の条件は、前二つの条件を二週間以内にクリアできたら伝えてやる。ま、お前の事だ。そのぐらい朝飯前だろ」

「は、はあ……」

「ちなみに、コハクはルブトーブラン家の試練に一ヵ月掛かっている」

「……ん?」

「更に言うと、ユキヅキ様は四週間掛かったと聞いているな」

「……」

「半神だし、いけるよな?」


 ニヤニヤしながらそうキリヤは言った。

 一体どんな試練なのかは知らないが、いくらなんでも半神である事を過信しすぎではないだろうか。

 顔が引き攣るのを感じながら、「まあ、それが条件ならば」と引き受ければ、キリヤは流石と返し、コーヒーを飲み干す。

 一方で話を聞いていたシルヴィアは、心配そうな表情でキリヤに訊ねた。


「この試練って、フェンリルさん一人……なんですよね?」

「ん? ああ、そうだ。それに合格しないとルーポ・ルーナは扱えない。だから、どちらにせよ合格はしてもらわにゃいけないんだが」

「そこにタイムリミットが二週間、か」

「そうだ。なんなら最初は一週間も考えたんだぞ。だが、ノルドが意地悪だと言うから、あまーく見積もって二週間だ」


 最低限これぐらいはやって俺を納得させてみろ。そんなキリヤの本音が見え隠れしていた。

 そこまで言うのならばと、俺は立ち上がり言った。


「じゃあ、最初の予定通り一週間で」

「フェンリルさん⁉︎」

 

 シルヴィアが驚きの声を上げる中、キリヤは瞬きした後ニィと歯を見せて笑む。そして「いいんだな?」と訊ねられた。


「言い直すなら今だぜ?」

「いや、一週間でいい」

「ほう。なら、そうするぞ」

「ああ」


 頭を縦に振ると、キリヤは立ち上がりリビングを出る。残されたシルヴィアは先程よりも不安げな表情を浮かべ、こちらを見る。


「大丈夫、なんですか? そんな約束をして」

「ああ。……それに、なるべく時間は早い方が良いからな」

「それは、そうですけど……でも、どんな内容かも知らされていないのに」


 本当に大丈夫なのか。そう言いたげに見つめる彼女に、俺は笑みを返す。そして「大丈夫だよ」と言うと、シルヴィアは表情は変わらずとも小さく頷いた。


※※※


 数日後。俺は住居のある超弩級ビル群から少し離れた、人の手の入っていない森の入り口に来ていた。

 その直前まで、俺達の領域にはない自動車に乗せられノルドに送ってもらったのだが、その際に地図とコンパス、後は一週間分の食糧の入った鞄を渡され、説明を受けた。

 試練があるのは、この森の先にあるインヴェルノ城跡地を越えた鍾乳洞の中。そこでは本来の姿でなければならないらしいので、森に入った辺りから青いリストバンドを外す。

 元の姿に戻り、頭上の大きな三角耳から辺りの音を探りつつ地図通りに進んでいると、荒れた道の端に見慣れた氷の様に透明な花が咲いていた。


氷空花ひょうくうかか……」


 ここにもあったのかと、しゃがみ込み手を伸ばす。と、背後から凛とした少女の声が聞こえ、俺は咄嗟に振り向いた。


「本当だ。キリヤの言う通り、時の花がいっぱい咲いてる」


 そう少女は呟くと、沢山の荷物を抱えて前へ進む。

 シルヴィアくらいの背丈で、側頭部を巻くように編み込まれたプラチナブロンドの髪が目に入ると、俺は思わず声を漏らした。


「母さん?」


 けれども少女は俺の言葉が聞こえないようで、こちらに気付く事はなく、そのまま奥へと歩み姿を消した。

 瞬間、無意識に聞こえなくなっていた鳥の囀りが聞こえてくると、俺は唖然として母さんの向かった方向を見つめた。


「……今のは、氷空花の影響か? それにさっき時の花と」


 もしかしてこっちの氷空花は、俺達の領域の花と少し違うのだろうか。

 そう疑問に感じながらも、俺は立ち上がると母さんの進んだ方向へと向かった。

 時折倒れて塞いでいる木を乗り越えつつ、日没する頃になってようやく開けた場所へ出てくる。あちこちに崩れた城壁が放置されていて、殆どが蔓草が巻き付いている。傍にはあの氷空花もあった。

 今度はその城壁近くに咲いている氷空花に触れれば、静かな空間に沢山の人々の声が聞こえた。


「おめでとうございます!」

「おめでとう!」


 祝う声に振り向けば、何もなかったこの地に沢山の建物が現れる。それも今この地にあるような大きなビルではなく、俺達の領域にあるような建物で、見せられている光景の違いをはっきりと感じた。

 人々は皆獣耳や尻尾が生えていた。そんな彼等が集まる先には馬に乗った王族らしき男女二人の姿があった。その二人に見覚えのあった俺は、人々の背後から覗き込む。


「あれは母さんの……」


 写真で見せてもらった祖父母の姿を思い出しながら、じっとこの光景を見つめた。

 綺麗なドレスを纏った祖母を横抱きし、二人して人々に手を振ると、人々から掛けられたフラワーシャワーと共に消えていく。

 その頃になると辺りは元の何もない場所に戻り、俺は一人立ち尽くしていた。


(もし、ここが燃え落ちていなかったら……どうなっていたんだろうな)


 少なくとも、母さんとキリヤは違う人生を歩んでいただろう。母さんは姫だし、ここで幸せに生きていたのではないか。

 そうたらればの事を考えながら俺はその場に座り込むと、真っ暗な空を見上げる。疲れも空腹もそこまでではないが、何故か寂しく感じた。


「……少し休んだら、鍾乳洞探すか」


 ぽつり呟いた後背後に倒れ込むように寝転がり、目を閉じる。旅をしていた時は野宿が殆どだったから、地べたで寝るのも慣れていた。

 そうしてしばし休んだ後、唯一月や星だけが輝く真っ暗な中、荷物を持って出発する。意外にもその鍾乳洞は近くにあり、感覚で一時間も掛からない内に見つける事ができた。

 夜目が利く方だとは思うが、流石に鍾乳洞は暗く、渡された鞄に入っていたランタンに火を灯し、中に入る。


(ここら辺は、整備されているんだな)


 明らかに作られたような階段を下り、狭い中を歩いて行くと、奥から明かりにつられコウモリが飛んでくる。

 情けない事に声を上げ驚きながらコウモリを避ければ、一人ため息を漏らしつつ、長い通路を進んだ。


「ここで母さんは一ヵ月ぐらい居たようだけど……一体どんな試練なんだ?」


 個人的には今すぐにでも帰りたいのだがと、気落ちしながら歩いていけば、奥から水の流れるような音が聞こえ、ランタンをかざす。よく見ると、奥は開けているようだった。

 近づくにつれその音が響いてくると、通路も開き、真っ白な鍾乳石が目に入ってくる。それを眺めていれば、大きな空洞に出てきた。

 足元は石レンガで整えられ、その先には自分よりも何倍もありそうな大きな扉がある。

 先程から聞こえてくる水の音は、その扉の左にある鍾乳石の隙間からの水のようで、滝のようにざあざあと音を立てて下に落ちていた。


「ここか?」


 首を傾げながらも扉に近づき見上げた後、そっと扉に触れれば、黄金色の光が扉から現れ、線を描くように周囲に広がる。

 その時、真っ暗だった空間を灯りが囲むと、扉がゆっくりと地響きを立てて開いた。


「……おお」


 茫然としながらも呟いた後、恐る恐る扉の中に入っていく。中は神殿のように広く、天井には星のように無数の宝石が散りばめられている。

 真ん中まで進んだ所で扉が閉まり、閉じ込められると、壁一列に灯りが付き明るくなる。


「……」


 ランタンと鞄を下ろし、警戒しながらも前に出れば、奥にある大きな扉が開き、中から複数の足音が聞こえてくる。


(なんだ?)


 じっと目を凝らし見つめれば、現れたのはそれぞれ武器を持った屈強な半獣人の男達だった。

 そのどれもが祖父に似たような外見で、一番前にいた二人の男が大きな斧を構えると、俺に向かって攻撃を仕掛けてきた。


「!」


 振りかざされた斧を、後方に飛んで避ける。斧は床に思いっきり振り下ろされ、激しい音を立てながら床が砕けた。

 避けられた事に男達は特に驚く事もなく、顔を上げこちらを見れば、斧を持ち上げ構えた。


「……もしかして、倒せって事か? これら全員を」


 そうだとしたら、確かに時間は掛かるかもしれない。そう思わせるくらいに、その男達の背後には沢山の人々がいた。

 中々の試練に小さく笑んだ後、俺は右手の拳に氷を纏わせれば、「来い」と叫んで構えた。

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