【1-7】選ばれた存在(キリヤside)

 久々に懐かしい夢を見た。まだ子どものコハクと、アンナの坊主との夢。

 恐らくお好み焼きを作ったりしたから、自然とそれを思い返したのだろうが、今の俺にとってそれは胸が苦しくなるだけだった。


(もう、帰ってこないもんな)


 初めからもう生きていない事は分かっている。別れてから四百年も時が経っているのだ。通常だったらとっくの昔に亡くなっている。

 でも、だからこそ別れた先で幸せに暮らしていたと思っていた。そうあって欲しかった。全てを捨ててまであいつが俺を選んだ。その判断が正しかったと、救われてほしいと思っていた。

 けれども、あいつの息子から告げられたのは、それを裏切るような残酷な最期だった。

 どうしようも出来ないこの苦しみを、申し訳なさを強く拳に握りしめ、自分の太腿を何度も殴打した後、深く息を吐きながら顔に手をやる。

 窓を見ればまだ夜は明けておらず、微かに舌打ちした後上体を起こせば、傍にはノルド以外の二人の姿がなかった。


(火の鳥は寝る前に一旦帰ると聞いていたが……あいつはどこにいった?)


 まだ街を案内していないから、そう遠くには行っていない筈だが。

 やれやれと呆れながらも、ノルドを起こさぬように布団から起き上がり、枕元の腕輪を手にして廊下に出れば、玄関から入ってくるフェンリルと鉢合わせになる。

 互いに声を漏らした後、気まずくなったのかフェンリルが顔を背けそのまま部屋に戻ろうとする。それを俺が肩を掴めば、フェンリルは顔を上げこちらを見る。


「少し、付き合え」

「……は?」

「どうせ、この調子じゃ眠りやしねえだろ」


 おら。と少し乱雑に押し返せば、フェンリルは怪訝そうにしながらも、俺の後を付いてくる。

 玄関で腕輪を嵌め外に出るとそこから当てもなくしばらく歩く。

 その間ずっと黙っていたフェンリルが、ビルの端に来たところで痺れを切らしたように言った。


「どこに、行くんだよ。こんな時間に」

「さあ、どこだろうな」

「はあ?」

「まあいい。もし何かあっても、お前強いだろ」


 半神であればここら辺のゴロツキ供も敵ではない筈だ。そんな事を考えながら、この階で唯一屋外の空気を吸える庭園にやってくる。

 端には寂れた非常階段があり、長らく整備されていないのか、途中で崩れ落ちていた。

 来る際にフリースのポケットに忍び込ませていたタバコとライターを取り出しそれを口に咥えると、横で無言で立ち尽くしていたフェンリルにカードを投げ渡す。


「それでそこにある自販機から好きなもん買ってこい」

「え、あ、おう……って、どうやって使うんだこれ」

「あー……ったく、仕方ねえな」


 戸惑いを見せるフェンリルに、俺は溜息混じりに自販機に向かう。

 そして、一度返してもらったカードをパッドに押し当てながらボタンを押して見せると、フェンリルは驚きの声を漏らす。


「分かったか」

「お、おう。……それで、何があるんだ?」

「ん、サイダーにコーラ、後紅茶に、コーヒーだな」

「色々あるんだな」


 カードを手渡しやらせれば、フェンリルは辿々しくも何とか購入する。落ちた缶を手にした時はどこか嬉しげであった。

 それを見つめながら、自分で買った缶コーヒーを口にしつつ、タバコを吸っていると、フェンリルは缶を開けて口にする。


「お前、缶は開けきれるんだな」

「ん? あ、ああ。まあ、見様見真似だけどな」

「そうか」


 見様見真似という事は、缶すらもあちらにはないのだろうか。

 四百年前から既にこちらにはそういった技術はあったが、それすらもないという事は、あちらはかなり技術が遅れているのだろう。

 半獣人にしてはガタイのいい男が、こうして小さな事でも一喜一憂する姿におかしく感じながらも、俺は飲み干した缶コーヒーに吸い殻を入れると、自販機近くにあるベンチに腰掛ける。


「うわ、なんだこれ。口の中がパチパチする」

「何だ? 炭酸初めてか?」

「ああ……」


 顔を顰めながらも頷くフェンリルに俺は笑った。

 そういや、初めてコハクが炭酸飲料を口にしていた時もそんな反応をしていたのを思い出す。

 あの男に似ている部分はあるが、表情の豊かさといい、あちこちにコハクの面影が残っていた。

 初めての炭酸に慣れずにいるフェンリルを眺めていると、俺はふとさっきの話を思い出す。


「お前は……その、コハクが亡くなった後、どうしていたんだ」


 訊ねると、フェンリルは飲んでいた手を止め、こちらを見た。

 フェンリルの話曰く、コハクは病んだ身体で無理して幼いフェンリルを神殿から連れ出したという。だが、その逃げている最中、吹雪によってコハクは力尽き、フェンリルが看取ったらしい。

 じゃあ、その後フェンリルはどうしていたのだろう。俺の問いにフェンリルは手にしていた缶を下ろして、少し寂しげに言った。


「世話になったんだ。母さんの知り合いに」

「コハクの知り合い……?」


 誰だ? と首を傾げれば、フェンリルは言った。


「グレイシャって言う魔術師。知ってるか?」

「グレイシャ……? グレイシャ……あ」


 脳裏に浮かんだのは、リアンとは違う銀髪の男。あいつもまたリアンに家族を奪われたと話していた。

 コハクがいなくなった後、打ちひしがれていた俺を他所に、アンナの坊主を含め、何人かがコハクを追って魔鏡に向かった。きっとその中にグレイシャも居たのだろう。

 そうかと頷きながらも安堵していたが、フェンリルは俯くと話を続けた。


「俺は最近になるまで、親父の正体を知らなかった。ただずっと顔を出しに来ない非情な奴だと思っていた。時折どうして母さんはあんな奴と結婚したんだろうとも思った。けど、そんな事言ってはいけないとグレイシャは言ったんだ」


 けれど、本当に良かったのか。

 フェンリルの言葉に、俺は何も言えなかった。そのきっかけを作ったのは他でもない俺だから。

 しかし、そういった選択をしたからこそ、この目の前にいる男は存在する。同時にこうして俺も生きている。


(だが、皮肉なもんだ。間違いだと言ってしまえば、フェンリルの存在を否定する事にもなる)


 それはきっとグレイシャも分かっていた筈だ。彼には彼なりの事情もあっただろうに、その上でフェンリルの存在を受け入れようとしたのだろう。

 はっきりとした答えは出せずとも、代わりにフェンリルの頭に手を乗せ、勢いよくかき撫でてやれば、フェンリルは声を上げながら撫でられ続けていた。


「な、何だよいきなり!」

「んな事より早く飲んで帰るぞ」

「こんなに頭乱されながら飲めるか!」


 もう撫でるのやめろと怒るフェンリルに、俺ははいはいと言って手を止める。

 乱れた頭のままフェンリルはサイダーを飲み干すと、立ち上がり自販機横のゴミ箱に入れた。

 缶を片手に、俺は家に戻ろうとするフェンリルの後を追えば、フェンリルは振り向かず歩きながら言った。


「あの、さ」

「なんだ?」

「その……今日のお好み焼きと焼きそば……美味しかった。ありがとう」

「ん、そうか。そりゃあ良かった」


 帰る前にもう一度作るかと言えば、フェンリルは振り向き強く頷く。思った以上にお気に召してくれたようだ。

 フェンリルにつられるように俺も笑むと、少し足を早めてフェンリルに追いつき、肩に腕を回した。

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